フランス
冷戦期フランスはどのような国か
フランスは西欧の主要国で、第二次世界大戦後はNATO原加盟国として西側陣営に属したが、独自の外交路線を強めたことで知られる。冷戦期の多極化を西側内部から推進した代表例として位置づけられる。
戦後国際政治上の位置
フランスは常任理事国として国連安保理に参加し、核兵器保有国としての地位も確立した。戦勝国としての地位と旧植民地帝国の残存が、独自外交の背景となった。
ドゴール主義
1958年に成立した第五共和政のもとで、ドゴール大統領は米英中心の西側構造に対抗し、フランス独自の核戦略と多国間外交を進めた。彼の発想はドゴール主義と呼ばれ、フランス外交の長期的基調を形成した。
フランスはなぜNATOと距離を置いたのか
フランスは冷戦期のNATOがアメリカ主導で運営されることに不満を持ち、独自の核戦力と外交路線を重視した。欧州のことは欧州が決めるという発想が独自路線の原点となった。
NATO軍事機構からの離脱
1966年、ドゴール政権はNATO軍事機構からの脱退を決定した。政治機構には残ったが軍事的には独立し、駐仏NATO施設の撤去を要求した。本部はベルギーのブリュッセルへ移った。
独自核戦力の保有
1960年にサハラ砂漠で初の核実験に成功し、第四の核保有国となった。独自の核抑止力(フォース・ド・フラップ)を構築し、アメリカの核の傘に完全には依存しない軍事戦略を確立した。
フランス外交はどのような独自性を示したか
フランスは冷戦下でも米ソいずれにも属さない多角的な外交を展開した。対中国承認、対東欧対話、アラブ諸国との関係構築など、西側同盟の枠を超える動きが目立った。
対中国国交樹立
1964年、フランスは西側主要国として初めて中華人民共和国と国交を樹立した。これは1972年のニクソン訪中よりも8年早く、米中接近の先駆けとなった。
中東アフリカとの関係
旧植民地を中心にアフリカ諸国との緊密な関係を維持し、対アラブ外交では親アラブ路線を強調した。これは米国のイスラエル寄り姿勢と対照的で、フランスの独自性を示す側面となった。
欧州統合とフランスの役割は何か
フランスはECやEUの統合を西ドイツとともに主導し、冷戦期から現在に至るまで欧州秩序の設計者として機能してきた。ドゴールは超国家統合に慎重だったが、ミッテラン以降は欧州統合の深化を積極的に進めた。
独仏協調の軸
1963年のエリゼ条約で独仏和解が制度化され、これが欧州統合の政治的基盤となった。ドイツとの協調はフランス外交の中核となり、冷戦後のEU拡大と共通外交政策にも継承された。
冷戦後の役割
1995年にNATO軍事機構へ復帰する一方、2003年のイラク戦争では介入に反対するなど独立路線を維持した。国連安保理常任理事国として多国間主義を重視する立場は、現代のフランス外交の特徴である。