ニクソン
ニクソンとは何か
ニクソンは1969年から1974年まで第37代アメリカ合衆国大統領を務めた共和党の政治家で、冷戦中期の米中接近と米ソデタントを主導した人物である。ウォーターゲート事件により辞任したアメリカ史上唯一の大統領としても知られる。
政治的経歴
カリフォルニア州選出の下院議員、上院議員を経てアイゼンハワー政権で副大統領を務めた。1960年の大統領選でケネディに敗れたが1968年の選挙でヒューバート・ハンフリーを破り、大統領に就任した。
外交重視の姿勢
ニクソンは国務省ではなく大統領補佐官キッシンジャーを中心とする秘密外交を展開した。現実主義的な勢力均衡の発想を国際政治に適用し、米ソ対立の一本調子から多極的な外交へと転換した。
ニクソン外交は何を成し遂げたか
ニクソン政権はベトナム戦争の終結、米中国交正常化、米ソデタント、核軍縮条約締結など、冷戦の構造を変える一連の成果を残した。これらはまとめてニクソン・ドクトリンとキッシンジャー外交の結実と評される。
米中接近
1971年にキッシンジャーが秘密訪中し、1972年にニクソンが大統領として初めて中華人民共和国を訪問した。上海コミュニケが発表され、台湾問題について「一つの中国」の原則が確認された。
米ソデタントと核軍縮
1972年のモスクワ訪問でブレジネフとSALTⅠ協定とABM制限条約に調印した。核軍拡競争に初めて具体的な数量的制限を導入し、デタントを条約化した点が画期的であった。
ベトナム戦争をどう終結させたか
ニクソン政権はベトナムからの段階的撤退とパリ和平協定の締結で戦争を収束させたが、最終的な南ベトナム崩壊は後任のフォード政権期だった。戦争処理は議会・世論との緊張の中で進められた。
ニクソンドクトリン
1969年のグアム声明で、アメリカは同盟国の防衛に核の傘を提供しつつ通常戦力の主力は当該国が担うべきとする方針を示した。ベトナム化政策の理論的根拠となり、アメリカの関与を限定する路線を示した。
パリ和平協定
1973年1月、アメリカ、南北ベトナム、臨時革命政府の四者がパリで和平協定を結び、米軍撤退と捕虜交換が進められた。これによりアメリカの直接的戦争関与は終了した。
ニクソン政権はどう終わったか
1972年の再選直後に発覚したウォーターゲート事件により議会で弾劾手続きが進み、1974年8月に辞任した。アメリカ史上唯一の辞任大統領として政治史に刻まれている。
ウォーターゲート事件
1972年6月、民主党全国委員会本部への侵入事件が発覚し、ニクソン政権の関与が次第に明らかとなった。議会調査と司法手続きが進み、ニクソンの録音テープ提出を経て辞任は避けられなくなった。
歴史的評価
ニクソンは国内政治では不名誉な終わり方をしたが、外交面では米中接近と米ソデタントという冷戦史の転換を主導した評価が定着している。内政の失敗と外交の成功が併存する大統領として記憶されている。