東西冷戦の構図
冷戦とは、どのような戦争なのだろうか?
1945年:~米英ソ首脳による会談
国連安全保障理事会のなどが決まる
第二次世界大戦後、アメリカとソ連による軍備競争が展開される
西側諸国:~
(1947年):アメリカによる共産主義の封じ込め政策
(1947年):ヨーロッパの経済復興計画
東側諸国:~
(1947年):共産党政党の国際組織
:社会主義国の国際分業体制確立をめざした協力機構
→この対立をと呼ぶ
「恐怖の均衡」~核兵器による勢力均衡のため、が中心となる
1948年:~西ベルリンと西ドイツを結ぶ地上交通をソ連が遮断
1949年:が東西に分断される
=
1961年:東ドイツによって西ベルリンを囲むを建設
ベルリン市民の往来が不可能となる
海のステティンから海のトリエステまでヨーロッパ大陸を横切るが降された。
このカーテンの裏側には、中欧・東欧の古くからの国々の首都がある。ワルシャワ、ベルリン、プラハ、ウィーン、ブダペスト、ベオグラード、ブカレスト、ソフィア、これらの有名な全ての都市とその周辺の住民は、ソヴィエト圏内にあり、何らかの形でソヴィエトの影響下にあるばかりか、ますます強化されつつあるモスクワからの厳しい統制を受けている。
[細谷千博ほか『国際政治ハンドブック』有信堂]
ドイツや中国、朝鮮半島、ベトナム:分断国家の一方を正統政府として米ソが承認
→国内対立と国際対立が重なり、が勃発
1950年に朝鮮民主主義共和国連邦(北朝鮮)と大韓民国の間におこった戦争
北朝鮮:中国の義勇軍、ソ連の支援 韓国:米軍を中心とする「国連軍」
現在では線を基準に停戦ラインが設定されている
1953年に停戦
→資本主義陣営: 社会主義陣営:
1954年:によりが終結
東西のの兆しが見え始めた
南ベトナム、アメリカと北ベトナムの間におこった戦争
アメリカに大きな影響を与える e.g.財政圧迫、反戦運動
→アメリカの撤退後の1976年に南北ベトナムは統一を達成した
1978年:統一ベトナムがに侵攻
ベトナムと中国の対立()
第三世界の登場
第三世界が現れたことで、冷戦はどのような経過を辿ったのだろうか?
の台頭(先進資本主義国を、社会主義国をと呼ぶ)
1954年:~中国の首相とインドの首相との間で取り交わされる
①領土保全と主権の相互承認 ②不侵略 ③互いの内政に対する不干渉
④平等と互恵 ⑤平和的共存
1955年:インドネシアでが開催される
東西いずれの陣営とも距離を置く路線・主義をとる
①基本的人権と国連憲章の原則の尊重 ②すべての国の主権と領土保全の尊重
③人種の平等およびすべての国の平等 ④他国の内政不干渉
⑤国連憲章による自国防衛の権利 ⑥他国に圧力を与えないこと
⑦他国の領土保全と政治的独立の尊重 ⑧国際紛争の平和的手段による解決
⑨相互の利益と協力の促進 ⑩正義と国際義務の尊重
1960年:国連総会にてが採択される
植民地のが確認され、植民地の独立は加速した
cf.「」:1960年にアフリカで多くの国々が独立を果たす
1961年:第1回開催(ベオグラード)
1974年:
1978、82、88年:
この頃には第三世界の国連加盟国が増加
平和共存と多極化
冷戦はどのような経過を辿り、多極化していったのだろうか?
1950年代半ば、ジュネーヴ会談が実現するなどが模索される
1954年:
環礁における実験で日本の民間漁船が被爆
→1955年:第1回がで行われる
実験や使用の禁止を求める国際世論が高まった
1955年:米ソ英仏の首脳がでを開く
ソ連共産党書記長とアメリカ大統領により首脳会談が定期的に行われた
1962年:
米ソが核戦争の危機に陥る
ソ連がキューバへのミサイル配置に踏み切る
→アメリカはキューバを海上封鎖し、ソ連への報復を準備
ソ連がミサイルを撤去したことによって核戦争の危機を回避
→が進むきっかけとなる
※アメリカとソ連の首脳の間にがつなげられるきっかけに
の成立 →米ソの平和共存に向かうきっかけ
米ソの二極体制の揺らぎ~の進行
東側:ソ連のフルシチョフ首相による方針転換
→中ソ間の路線対立()が生じる
アルバニアとユーゴスラビアが独自路線を進む
では「」と呼ばれるように民主化政権が一時樹立
→ソ連はによって鎮圧
※:社会主義国の国家主権は社会主義の枠内に制限される
アメリカの大統領が中国を訪問
→米中関係の改善を図る
西側:がNATOの軍事部門から離脱
ベトナム戦争に介入したアメリカを批判
冷戦の終結と社会主義連邦の解体
冷戦はどのように終結したのだろうか?
冷戦の終結は世界にどのような影響を与えたのだろうか?
~ソ連の侵攻(1979年)をきっかけに、米ソ間の緊張が再び高まる
核軍縮交渉の全中断をもたらした
1979年:が行われ、が調印されるも、アメリカは批准を拒否
1983年:アメリカのによってが発表される
宇宙空間でのミサイル迎撃を想定した~「」計画とも呼ばれる
→ソ連がアメリカとの軍事交渉をすべて中断
1985年以降、ソ連ではのもと、改革が進む
と呼ばれる諸改革
:情報公開による党支配の緩和、多党制の採用など
緊張緩和を主調とする「」
1987年:
米ソ間で初めてを廃棄する軍縮ゼロ条約
空中や海中発射のミサイルについては触れられていない
2019年2月:アメリカの政権が離脱を表明し、失効
1989年12月:米ソ首脳がでを宣言
ソ連: アメリカ:(父)
1989年にはが崩壊し、1990年に東西ドイツのを果たす
冷戦終結後
ソ連やユーゴスラヴィアといった連邦が解体
(1991年)、やの解体
→の成立
→独立や自治、少数者の権利などをめぐって対立が生じる
ユーゴスラヴィアの、などで武力紛争がおこる
アフリカの、、でも異なる集団間の対立から紛争が生じた
1990年:東西欧州諸国が集まったが開催
東西ヨーロッパ諸国の協調を謳うが採択
通常兵器を削減する
侵略戦争を禁止するが採択された
1990年8月:の勃発
イラクの政権がクウェートに侵略
安保理常任理事国が一致して武力制裁に賛成
1991年:
1993年:
→2002年にに発展
冷戦後の脅威への対応
冷戦後、世界はどのような脅威と直面することになったのだろうか?
国連の方向転換:テロや国際人道法違反、大量破壊兵器の拡散への対応について、決議を採択
1996年:でが採択されたが、発効せず
地下核実験禁止を含めたすべての核爆発実験を禁止
は禁止されず
の解体
⇔北大西洋条約機構は旧ワルシャワ条約機構加盟国を包含しつつ、現在でも存続
東方への勢力の拡大()を実現し、域内活動も活性化
年月日:
国際的テロ組織による世界貿易センタービルと国防総省へのテロ攻撃
首謀者:と目される
アメリカ:2001年10月にテロ組織の拠点のあるに武力攻撃を行う
アフガニスタンの政権がをかくまっていると主張
2001年12月:アメリカのによるの破棄
2002年:「」
事実上のロシアに準加盟したといわれる
2002年:大統領による「悪の枢軸」演説
イランやイラク、北朝鮮は大量破壊兵器を保有しているテロ支援国家だと断定
2003年:当時の安保理決議を根拠として、アメリカやイギリスはをおこす
実際にはイラクは開戦時に大量破壊兵器を保有していなかったことが明らかとなる
→当時の政権は打倒される
当時のアメリカ
の傾向が強くみられる
将来、アメリカに対してを使用するおそれのある国へのはの範囲
2014年:(「」)によるテロ行為
国際社会による合同対処
2017年10月にシリアの政権がISIS掃討の完了を宣言
主導力なき世界
アメリカの動き
イラクやアフガニスタンの現地政権は崩壊
政治的安定が回復せず、米軍の駐留が長期化
2011年:イラクから撤退
2021年:アフガニスタンから撤退 →イスラム勢力が政権奪回
反政府運動
2011年:
チュニジア、エジプト、リビアなどで反政府運動が連鎖
を利用して連帯し、長期独裁政権を退陣に追い込む
→シリアでは内戦が勃発
過激派組織「」が勢力を拡大
→500万人以上の難民がシリア国外に流出
cf.EU(欧州連合):が深刻化
→難民を排斥する動きもみられる
民主化運動後、内戦や強権的な政権に逆戻りした国も多い
2010年代以降、アメリカ以外にもロシアや中国の動きも注目されるようになる
ロシアの動き
2014年:ウクライナからのクリミア独立を承認し、ロシアに編入
2022年:に軍事侵攻 →国連総会は決議を採択し、侵略であると非難
アジアの動き
中国による台湾周辺での軍事演習
北朝鮮によるミサイル実験
→周辺地域では緊張が高まっている