第9章 国際政治の動向と課題

ウサマ=ビンラディン

ウサマ=ビンラディン

ウサマ=ビンラディンとはどのような人物か

ウサマ=ビンラディンは1957年生まれのサウジアラビア出身の富豪でありイスラム過激派の指導者である。国際テロ組織アル=カーイダを率い、アメリカ同時多発テロ事件の首謀者として知られる。

出自と若年期

ビンラディンはサウジアラビア有数の建設財閥の一族に生まれ、莫大な資産を継承した。宗教教育を受けたのち、大学時代に原理主義運動と接点を持ち、アフガニスタンでのソ連との戦いに義勇兵として参加した。

アル=カーイダの結成

1988年、彼はアフガニスタン戦争で集まったジハード戦士のネットワークを組織化し、アル=カーイダを結成した。冷戦後はソ連に代わって米国を主敵と位置づけ、グローバルジハードの戦略を推進した。

ビンラディンはなぜ米国との全面対決に至ったか

ビンラディンが米国を最大の敵と見なすに至った背景には、湾岸戦争以降の中東情勢への不満と、イスラム諸国の世俗化への反発がある。

湾岸戦争と聖地への駐留

1991年の湾岸戦争で米軍がイスラムの聖地を擁するサウジアラビアに駐留したことに、ビンラディンは強く反発した。これをイスラム世界への侵略とみなし、米国打倒を掲げる理由とした。

サウジアラビア追放と亡命

ビンラディンは1991年にサウジアラビアから追放されてスーダンに移り、1996年にはアフガニスタンに拠点を移した。タリバン政権の庇護のもと、国際テロ活動を本格化させた。

ビンラディンの活動はどのような結果をもたらしたか

ビンラディンは9.11事件を通じて国際政治の舞台中央に登場し、米国の対テロ戦争を引き起こす直接的要因となった。

9.11事件の指導

2001年の同時多発テロはビンラディンの指示で計画・実行された。彼は自ら犯行を認め、米国の中東政策への報復を動機として繰り返し主張した。

対テロ戦争の引き金

米国はビンラディンの引き渡しを拒否したタリバン政権を攻撃し、アフガニスタン戦争を開始した。その後のイラク戦争、対テロ戦略、国内治安法制の変化など、世界規模の影響を及ぼした。

ビンラディンはどのようにして追跡殺害されたか

米国はビンラディンを最重要指名手配犯とし、10年にわたる追跡の末にパキスタン領内で殺害した。

潜伏と追跡

9.11事件後、ビンラディンは山岳地帯を転々とし、パキスタン北部のアボッターバードに潜伏していたとされる。米中央情報局(CIA)は衛星・通信傍受・内通者情報を組み合わせて潜伏先を突き止めた。

オバマ政権下での作戦

2011年5月2日、米海軍特殊部隊SEALsがアボッターバードの潜伏先を急襲し、ビンラディンを殺害した。オバマ政権は事件翌日に成果を発表し、米国の対テロ戦争の象徴的決着と位置づけた。

監修者 taisa68
最終更新日 2026-04-23