第2章 中央ユーラシアと東アジア世界

10_中国の動乱と変容

要点解説 資料集

中国の動乱と変容

遊牧民族の動きは、魏晋南北朝の動乱とどのように関係していたのだろうか?

動乱の時代

 後漢末の動乱

  で後漢が衰え、各地の豪族が割拠

  華北の、江南の、四川の

   208年:

    曹操が孫権・劉備の連合軍に敗れ、天下三分の形勢となる

 

  220年:曹操の子が帝位につき、を建国

   都:

  孫権は江南にを建国

   都: 

  劉備は四川にを建国(都:

   cf.など

  ※:遼東半島を中心に樹立した独立政権 

   →魏によって滅ぼされる

 の統一

  263年:魏が蜀を滅ぼす

  265年:魏の武将を受けてを建国

   都:

  280年:を滅ぼして中国統一

   →の成立

 (290~306年)

  司馬氏一族の諸王が互いに抗争する

   それぞれがを傭兵とする

    →北方民族が中国内地に入り、各地で自立する

     五胡の活動が活発化

      :南匈奴の劉淵が八王の乱の際に挙兵し、304年に漢を建国

      :匈奴の別種で、後に十六国の1つである後趙を建国

      :モンゴル高原東部の遊牧民族で、後にを建国

      :チベット系半農半遊牧民族で、十六国の前秦や後涼を建国

      :チベット系遊牧民族で、十六国の1つである後秦を建国

        後には西夏を建国



 (304~439年)

  304年:が山西で挙兵

  311年:

   匈奴が洛陽を攻略し、次いで316年に長安も陥落

    →西晋が滅亡する

  以後、華北に16の王朝が交代

   =「」と呼ばれる

   →華北に遊牧民の習慣(粉食や椅子など)が広がる

   4~5世紀

    ユーラシア東部:後漢滅亡後の三国時代から五胡十六国、南北朝の分裂・動乱と民族移動

    ユーラシア西部:ローマ帝国滅亡後のフン人の西進とゲルマン民族の大移動 が始まる

    =

 の成立

  317年:晋の一族が江南に逃れて建国

   →華北から多くの漢人貴族・農民が長江下流のに移住し、農業開発が進む

    漢民族の文化も華北から江南に広がる

  351年:の前秦が有力となる

  383年:前秦ので東晋に敗れ、衰退



 南北朝時代

 北朝~北方民族の王朝が興亡

   の台頭

    鮮卑のが有力になる

     →386年:拓跋珪が道武帝として即位して建国

    398年:を都として部族製を廃止し、漢人の統治機構を導入

    ※モンゴル高原:モンゴル系のが勢力を広げる 

     青海地方:チベット系の吐谷渾

   の華北統一

    439年:が華北を統一

     を国教としてを弾圧(廃仏)

      を重用

      次の文成帝は仏教保護に転じ、をつくる

    494年:が都を平城からに移す

     をつくる

      :土地の公有制度で、農耕民社会の安定をめざす

       北魏の均田制では女性・にも給田される

       →後の隋唐に継承される

      :5家を隣、5隣を里、5里を党とし、それぞれに長をおく村落制度

      :制度、服装、言語などを族風から漢民族風に改める

       →反発する軍人が反乱を起こす(

   北魏の分裂

    538年:内紛からに分裂

     西魏で軍事制度のが始まる

      中央軍と地方軍が一体化された

    に、に替わる

    577年:が北斉を併合して華北統一

    581年:北周の武将が帝位を奪いを建国

  南朝~漢民族の王朝が存続

   

    420年:東晋の武将が実権を握って建国

     と漢民族の王朝が続く

      都はいずれも

      で南朝文化が最盛期となる

            建国者の武帝

    貴族の勢力が強く皇帝権力は弱かった

     

  南北朝の統一

   589年:北朝の北周に代わったが南朝の陳を滅ぼし、中国を統一

   3世紀の三国時代からの約400年間をと総称する

この時代に仏教や道教が力をもつようになったのは、なぜだろうか?

魏晋南北朝の社会と文化

 貴族階級の形成

  後漢末からの力が強まる

  官吏登用制度の変化

   漢のから、三国の魏のに転換

   地方の州郡ごとの役人であるが、人物を九等級にわけて中央政府に推薦

    →豪族が上級官僚を独占する~「

     地方豪族が中央政府に進出し、政治権力をにぎってを形成する

 土地制度の変化

  豪族の大土地所有拡大と農民の没落・奴隷化の防止のための政策をとる

  三国時代・魏

   :曹操が実施した、富豪が耕作者の集団に官有地を耕作させる制度

  西晋

   :武帝が制定した土地制度

          土地所有の制限と租税の確保を図ったものと考えられている

   :一戸ごとに税として絹や綿などの現物を納めさせる

  東晋

   :流民を豪族の支配下に入れずに公民として編成させる

  北魏

   :孝文帝が定めた土地制度

    →隋や唐の土地制度として継承される

 江南の開発

  地方~長江の中下流域

   華北からの人口流入により人口が増加し、開発が進む

    東晋および南朝ではを施行

     華北からの移住民をその地で戸籍に登録

  南朝の貴族はを経営し、自給自足的な田園生活を行う者も現れた



 の流布

  仏教の受容

   後漢の1世紀頃:が西域を通じて中国に伝えられる

   4世紀後半:中国の動乱、政治的不安定のなかで、社会一般に広がる

  西域・インドとの仏僧の伝来

   4~5世紀:華北の五胡十六国、江南の東晋の時代にさかんになる

   :西域のクチャ(亀茲)出身の僧

    310年に西域のクチャ(亀茲)から来朝し、洛陽で仏教の民間普及に貢献

     弟子のが戒律を作る 

      →東晋のが浄土宗を始める

   ~東晋出身の僧

    399年~412年にインドへ行き『』を著す

    往路は陸路、復路は海路をとった

   ~クチャ(亀茲)出身の僧で、父がインド人

    5世紀初めに長安で布教を行い、仏典の翻訳を進める

   ~東晋の僧

    江南にを結成

   阿弥陀信仰:の往生を祈願する

    の影響がみられる

  最初の仏教弾圧

   5世紀にを国教とする

    446年:がおこる

     →次の文成帝は仏教保護に転じる

      ※唐代まで仏教弾圧が繰り返される~

       北魏の太武帝、北周の武帝、唐の武宗、後周の世宗による仏教弾圧

  の造営

   :4世紀から唐代に及び、塑像の仏像や壁画が多数つくられる

    cf.~探検隊によって古写本類が見つかる

   :文成帝により平城郊外に建造され、の影響がみられる

   :孝文帝の洛陽遷都に伴って洛陽郊外に建造され、をもつ

①(敦煌)            ②(雲崗)           ③(竜門)



  中国の仏教の違い

   北朝~庶民に広がるとともに国家仏教、護国鎮護の宗教として発達

   南朝~貴族の個人的な信仰を中心とした貴族仏教、学問宗教として発達

    cf.6世紀前半、が保護

   6世紀初め:がインドから伝来 

    →唐で中国独自のに発展



 の成立

  5世紀:民間信仰とを諸子百家のに取り入れる

   →北魏のを改革し、を形成

    により信任され、442年に北魏の国教となる

  不老不死と現世の利益を説き、民衆に浸透

   ※道教の僧:  道教の寺院:  道教の経典:

  東晋のは『』を著して一派を形成した

 魏~西晋の

  

   儒教的な道徳を否定し、自由な生き方を求める

  の流行

   の影響を受けた自由な議論が好まれた

 

  建康を都としたと呼ぶ

  漢文化が継承され、貴族文化が発展

  詩人

   東晋の:「桃花源記」「」などで理想的な田園生活を謳う

   宋の:すぐれた技巧で山水の美しさを表現する詩文を書く

  文人

   (梁):『』を編集

    →の文体が流行

     対句を用いた華麗な文体として知られる

   劉勰(梁):六朝文学を是正するために『』という体系的文学書を著す

  絵画

   :「

    後に「画聖」と呼ばれるが、実物は現存せず

  書道

   :「

    後に「書聖」と呼ばれる

  学術

   歴史書:西晋の陳寿が『』を編纂

   地理書:北魏の酈道元が『』を編纂

   技術書:北魏の賈思勰が『』を著す

   医学書:『』が西晋の王叔和によって再整理される

 魏晋南北朝の文化

  ①

  ②

  ③



朝鮮・日本の国家形成

この時代の中国の情勢は、朝鮮半島や日本の国家形成にどのような影響を与えたのだろうか?

 中国の分裂や周辺民族の自立

  →東アジア世界に影響を与える

   e.g.朝鮮半島・日本列島~国家の形成をうながす

 関係の成立

  中国周辺の新興国家の支配者が、支配圏を中国の王朝から承認されることを目的に使節を派遣する

  中国王朝は見返りとして官職・照合を授与し、従属的関係を結ぶ

   :中国王朝の皇帝が周辺諸国の国王に官職を与え、その支配権を承認する国際秩序

    →東アジアの国際秩序として19世紀まで続く

 の情勢

  の成立

   燕の亡命者が箕子朝鮮の王を追放して建てた国家だと伝えられる

   前漢の武帝によって滅ぼされる

    前108年:前漢の武帝が朝鮮半島に・真番郡・臨屯郡・玄菟郡の4郡を置いた

     楽浪郡は現在の平壌付近に位置する

     2世紀末に分裂状態になると、遼東で公孫氏が自立

      楽浪郡の南部を割いてを設置し、朝鮮半島に対する支配を強めた

  半島北部

   前1世紀:がおこる

    の貊族が建国

    最初は都をにおく

   313年:高句麗が南下して、漢の置いたを滅ぼす

   427年:都をに移す

   高句麗のの事績を記した碑文が、現在の中国の吉林省に建てられた

  半島南部

   韓民族が(馬韓・辰韓・弁韓)に分かれ、それぞれが小国に分立

    4世紀半ば

    東側のではが統一

     都:

    西側のではが統一

     都:

     には諸国が分立

  朝鮮の(4~7世紀)

   三国が中国王朝に朝貢

   仏教や儒教などを受容



 ~弥生時代の中期

  1世紀:中国でとして現れる

  3世紀:の女王に朝貢~『

  4世紀:による統一が進む

 4世紀末:高句麗の南下

  が半島を南下

   百済、倭と戦う

 5世紀:(讃・珍・斉・興・武)が中国の南朝に朝貢

 日本は渡来人からなどの中国文化を伝えられ、受容



A:  B:  C:  D:

ア:  イ:  ウ:  エ:

オ:   カ:   キ:  ク:


監修者 taisa68
最終更新日 2026-04-05
参考資料・一次情報
  • 山川『詳説世界史研究』
  • 山川『世界史図録』
  • 各分野の教科書・資料集・一次資料