中国の動乱と変容
遊牧民族の動きは、魏晋南北朝の動乱とどのように関係していたのだろうか?

動乱の時代
後漢末の動乱
で後漢が衰え、各地の豪族が割拠
華北の、江南の、四川の
208年:
曹操が孫権・劉備の連合軍に敗れ、天下三分の形勢となる
220年:曹操の子が帝位につき、を建国
都:
孫権は江南にを建国
都:
劉備は四川にを建国(都:)
cf.、、など
※:遼東半島を中心に樹立した独立政権
→魏によって滅ぼされる
の統一
263年:魏が蜀を滅ぼす
265年:魏の武将がを受けてを建国
都:
280年:を滅ぼして中国統一
→の成立
(290~306年)
司馬氏一族の諸王が互いに抗争する
それぞれがを傭兵とする
→北方民族が中国内地に入り、各地で自立する
五胡の活動が活発化
:南匈奴の劉淵が八王の乱の際に挙兵し、304年に漢を建国
:匈奴の別種で、後に十六国の1つである後趙を建国
:モンゴル高原東部の遊牧民族で、後にがを建国
:チベット系半農半遊牧民族で、十六国の前秦や後涼を建国
:チベット系遊牧民族で、十六国の1つである後秦を建国
後には西夏を建国
(304~439年)
304年:のが山西で挙兵
311年:
匈奴が洛陽を攻略し、次いで316年に長安も陥落
→西晋が滅亡する
以後、華北に16の王朝が交代
=「」と呼ばれる
→華北に遊牧民の習慣(粉食や椅子など)が広がる
4~5世紀
ユーラシア東部:後漢滅亡後の三国時代から五胡十六国、南北朝の分裂・動乱と民族移動
ユーラシア西部:ローマ帝国滅亡後のフン人の西進とゲルマン民族の大移動 が始まる
=
の成立
317年:晋の一族が江南に逃れて建国
→華北から多くの漢人貴族・農民が長江下流のに移住し、農業開発が進む
漢民族の文化も華北から江南に広がる
351年:の前秦が有力となる
383年:前秦のがで東晋に敗れ、衰退
南北朝時代
北朝~北方民族の王朝が興亡
の台頭
鮮卑のが有力になる
→386年:拓跋珪が道武帝として即位して建国
398年:を都として部族製を廃止し、漢人の統治機構を導入
※モンゴル高原:モンゴル系のが勢力を広げる
青海地方:チベット系の吐谷渾
の華北統一
439年:が華北を統一
を国教としてを弾圧(廃仏)
を重用
次の文成帝は仏教保護に転じ、にをつくる
494年:が都を平城からに移す
にをつくる
:土地の公有制度で、農耕民社会の安定をめざす
北魏の均田制では女性・・にも給田される
→後の隋唐に継承される
:5家を隣、5隣を里、5里を党とし、それぞれに長をおく村落制度
:制度、服装、言語などを族風から漢民族風に改める
→反発する軍人が反乱を起こす()
北魏の分裂
538年:内紛からとに分裂
西魏で軍事制度のが始まる
中央軍と地方軍が一体化された
はに、はに替わる
577年:が北斉を併合して華北統一
581年:北周の武将が帝位を奪いを建国
南朝~漢民族の王朝が存続
420年:東晋の武将が実権を握って建国
→→→と漢民族の王朝が続く
都はいずれも
で南朝文化が最盛期となる
建国者の武帝
貴族の勢力が強く皇帝権力は弱かった
南北朝の統一
589年:北朝の北周に代わったが南朝の陳を滅ぼし、中国を統一
3世紀の三国時代からの約400年間をと総称する
この時代に仏教や道教が力をもつようになったのは、なぜだろうか?

魏晋南北朝の社会と文化
貴族階級の形成
後漢末からの力が強まる
官吏登用制度の変化
漢のから、三国の魏のに転換
地方の州郡ごとの役人であるが、人物を九等級にわけて中央政府に推薦
→豪族が上級官僚を独占する~「」
地方豪族が中央政府に進出し、政治権力をにぎってを形成する
土地制度の変化
豪族の大土地所有拡大と農民の没落・奴隷化の防止のための政策をとる
三国時代・魏
:曹操が実施した、富豪が耕作者の集団に官有地を耕作させる制度
西晋
・:武帝が制定した土地制度
土地所有の制限と租税の確保を図ったものと考えられている
:一戸ごとに税として絹や綿などの現物を納めさせる
東晋
:流民を豪族の支配下に入れずに公民として編成させる
北魏
:孝文帝が定めた土地制度
→隋や唐の土地制度として継承される
江南の開発
地方~長江の中下流域
華北からの人口流入により人口が増加し、開発が進む
東晋および南朝ではを施行
華北からの移住民をその地で戸籍に登録
南朝の貴族はを経営し、自給自足的な田園生活を行う者も現れた
の流布
仏教の受容
後漢の1世紀頃:が西域を通じて中国に伝えられる
4世紀後半:中国の動乱、政治的不安定のなかで、社会一般に広がる
西域・インドとの仏僧の伝来
4~5世紀:華北の五胡十六国、江南の東晋の時代にさかんになる
:西域のクチャ(亀茲)出身の僧
310年に西域のクチャ(亀茲)から来朝し、洛陽で仏教の民間普及に貢献
弟子のが戒律を作る
→東晋のが浄土宗を始める
~東晋出身の僧
399年~412年にインドへ行き『』を著す
往路は陸路、復路は海路をとった
~クチャ(亀茲)出身の僧で、父がインド人
5世紀初めに長安で布教を行い、仏典の翻訳を進める
~東晋の僧
江南にを結成
阿弥陀信仰:の往生を祈願する
の影響がみられる
最初の仏教弾圧
5世紀にのがを国教とする
446年:がおこる
→次の文成帝は仏教保護に転じる
※唐代まで仏教弾圧が繰り返される~
北魏の太武帝、北周の武帝、唐の武宗、後周の世宗による仏教弾圧
の造営
:4世紀から唐代に及び、塑像の仏像や壁画が多数つくられる
cf.~探検隊によって古写本類が見つかる
:文成帝により平城郊外に建造され、・の影響がみられる
:孝文帝の洛陽遷都に伴って洛陽郊外に建造され、をもつ

①(敦煌) ②(雲崗) ③(竜門)

中国の仏教の違い
北朝~庶民に広がるとともに国家仏教、護国鎮護の宗教として発達
南朝~貴族の個人的な信仰を中心とした貴族仏教、学問宗教として発達
cf.6世紀前半、のが保護
6世紀初め:がインドから伝来
→唐で中国独自のに発展
の成立
5世紀:民間信仰とを諸子百家のに取り入れる
→北魏のがを改革し、を形成
により信任され、442年に北魏の国教となる
不老不死と現世の利益を説き、民衆に浸透
※道教の僧: 道教の寺院: 道教の経典:
東晋のは『』を著して一派を形成した
魏~西晋の
儒教的な道徳を否定し、自由な生き方を求める
の流行
の影響を受けた自由な議論が好まれた
建康を都とした→→→→→をと呼ぶ
漢文化が継承され、貴族文化が発展
詩人
東晋の:「桃花源記」「」などで理想的な田園生活を謳う
宋の:すぐれた技巧で山水の美しさを表現する詩文を書く
文人
(梁):『』を編集
→の文体が流行
対句を用いた華麗な文体として知られる
劉勰(梁):六朝文学を是正するために『』という体系的文学書を著す
絵画
:「」
後に「画聖」と呼ばれるが、実物は現存せず
書道
:「」
後に「書聖」と呼ばれる
学術
歴史書:西晋の陳寿が『』を編纂
地理書:北魏の酈道元が『』を編纂
技術書:北魏の賈思勰が『』を著す
医学書:『』が西晋の王叔和によって再整理される
魏晋南北朝の文化
①
②
③
朝鮮・日本の国家形成
この時代の中国の情勢は、朝鮮半島や日本の国家形成にどのような影響を与えたのだろうか?
中国の分裂や周辺民族の自立
→東アジア世界に影響を与える
e.g.朝鮮半島・日本列島~国家の形成をうながす
関係の成立
中国周辺の新興国家の支配者が、支配圏を中国の王朝から承認されることを目的に使節を派遣する
中国王朝は見返りとして官職・照合を授与し、従属的関係を結ぶ
:中国王朝の皇帝が周辺諸国の国王に官職を与え、その支配権を承認する国際秩序
→東アジアの国際秩序として19世紀まで続く
の情勢
の成立
燕の亡命者が箕子朝鮮の王を追放して建てた国家だと伝えられる
前漢の武帝によって滅ぼされる
前108年:前漢の武帝が朝鮮半島に・真番郡・臨屯郡・玄菟郡の4郡を置いた
楽浪郡は現在の平壌付近に位置する
2世紀末に分裂状態になると、遼東で公孫氏が自立
楽浪郡の南部を割いてを設置し、朝鮮半島に対する支配を強めた
半島北部
前1世紀:がおこる
の貊族が建国
最初は都をにおく
313年:高句麗が南下して、漢の置いたを滅ぼす
427年:都をに移す
高句麗のの事績を記した碑文が、現在の中国の吉林省に建てられた
半島南部
韓民族が(馬韓・辰韓・弁韓)に分かれ、それぞれが小国に分立
4世紀半ば
東側のではが統一
都:
西側のではが統一
都:
には諸国が分立
朝鮮の(4~7世紀)
三国が中国王朝に朝貢
仏教や儒教などを受容
~弥生時代の中期
1世紀:中国でとして現れる
3世紀:の女王がに朝貢~『』
4世紀:による統一が進む
4世紀末:高句麗の南下
が半島を南下
百済、倭と戦う
5世紀:(讃・珍・斉・興・武)が中国の南朝に朝貢
日本は渡来人から・・・などの中国文化を伝えられ、受容
A: B: C: D:
ア: イ: ウ: エ:
オ: カ: キ: ク:
- 山川『詳説世界史研究』
- 山川『世界史図録』
- 各分野の教科書・資料集・一次資料