東アジア文化圏の形成
唐の勢力圏は、どのような広がりをもっていたのだろうか?

隋から唐へ
の統一
581年:北周出身の外戚が禅譲を受けてとして即位
都を(長安の東南)に定める
589年:南朝のを滅ぼす
→南北朝の分裂を終わらせ、中国の統一を果たす
土地制度
北魏の土地公有の原則に基づくを継承
※やへの給田は煬帝の治世に廃止される
官吏登用制
を廃止し、官吏登用に科目別試験を用いるの制度を始める
→唐以降の各王朝に継承され、清朝末期の20世紀まで続く
法律の整備
を制定し、皇帝を中心とした中央集権化を図る
→唐に受け継がれて完成する
日本や朝鮮などの東アジア諸国でも取り入れられる
北方の遊牧民族であるを圧迫
→583年に東西に分裂
の治世~第2代皇帝(604~618年)
の完成
開発の進んだ江南の物資を華北に運ぶ
を用いて江南の物資を華北に輸送した
後代にも大きな役割を果たす
607年:日本のが遣隋使を派遣
煬帝と交渉して対等な外交を望む
612年:3度にわたる遠征
北方にのびるが使用された
失敗に終わり、工事とともに農民の困窮をもたらす
→各地で反乱がおこる
618年に江都で暗殺され、隋は滅亡
の建国
隋の武将が大興城を占領する(※東突厥と結ぶ)
618年:を建国し、即位してと称する
都は大興城近くにを建設
による中国統治
李淵の子のが2代皇帝となる
→628年に中国を統一
唐の統治を安定させ、最初の繁栄期を迎える~「」
太宗の政治は後に『』としてまとめられる
630年:を服属させ、遊牧民諸部族からの称号を贈られる
による中国統治
3代将軍による統治
東の・を破る
西はを領有
征服地にはをおく
(平壌)、(タリム盆地)、(ハノイ)
(外モンゴル)、(内モンゴル)、(イリ地方)など
実際にはその地の有力者に統治を任せるをとる
7世紀:唐の最盛期
としての唐
唐代初期の制度と文化
唐代初期の社会には、どのような特徴があったのだろうか?
:刑法 :行政法 :臨時法 :施行細則
中央機構
:(詔勅の起草)、(詔勅の審議)、(詔勅の執行)
:(官吏の人事)、(財政・戸籍)、(儀礼・外交・)
(軍事)、(司法)、(土木・建築)
監察機関:
他に九寺など
地方制度
:全国を州に分け、州を県に分ける
それぞれに中央から官吏を派遣
官吏登用制
:秀才・明経・進士などの科目別試験による官吏登用制度
※貴族の子弟にはの特権が認められる
親の地位によって子の官位が決まる
16歳以上の男子に(80畝)を班給して耕作させ、租税を負担させる
死後は国家に返還されるが、世襲の(20畝)を支給
60歳以上の老人や官戸には40畝、未亡人には30畝を支給
やへの給田は隋の煬帝の治世に廃止される
高級官僚には世襲・売買が可能なが与えられた
→日本のの手本とされる
口分田の支給のためにを作成して本籍地を定める
を作成してやを賦課した
高級官僚の私有地は認められており、貴族はを小作人に耕作させた
※実施状況は西域の敦煌文書やトルファンから出土した給田文書から知ることができる
にかかる
:粟2石の現物で納める
:年20日のまたはその代償物の絹を納める
:絹、綿、布または麻斤の現物で納める
:年40日の地方でのに従事する
に始まる軍事制度を継承
農民から徴発された平氏は地方のに勤務(※租庸調は免除になるが、武器は自弁)
兵士の中から、都の警備()、辺境の防備()などに選ばれる
貨幣制度
621年に高祖がを発行
→漢の五銖銭以来の統一貨幣となった
唐代には貨幣経済の進展に伴いという送金手形が用いられた
唐代の文化
の繁栄
宮城を中心とし、南に延びる朱雀大路を軸に東西対称の都市計画をもつ
cf.日本の、、渤海の上宮竜泉府~長安をモデルとしている
西域を通し、ササン朝ペルシアからイラン文化が伝えられる
各地から朝貢使節や商人、留学生などが集まった
各宗派の寺院が混在
e.g.仏教、ゾロアスター教、道教、景教など
豊かな国際性
唐代の三夷教と外来宗教
:キリスト教
に「」が建設される
:()
:
イランの起源の宗教
:(清真教)
8世紀に伝えられる
イラン文明の伝来
651年:の滅亡
→イラン人の長安移住
ポロ競技などが長安で流行
日本にもが伝わった
e.g.の、のや
との交易
・など華中・華南の港市に来航し、さかんに交易
に海上貿易を管轄するが置かれる
有能な外国人の登用
e.g.:留学生として訪れ、に重用されるものの客死
:とも呼ばれ、ゾロアスター教・マニ教や西方の風俗を伝える
胡舞や胡楽などの風俗が唐代において流行した
唐代:「」によって中国の産物である絹やを西に運んだ
の発展
朝廷・貴族の保護を受けて繁栄
インドとの仏僧の往来も活発
629年:太宗の治世にでインドに向かう
のハルシャ王の保護を受け、に学ぶ
645年:多数の経典を持ち帰り法相宗を開く
長安にを開く
旅行記『』を著す
→後の『西遊記』の原作となる
持ち帰った経典は長安のに保管された
671年:でインドに向かう
旅行記『』を著す
王国の情報を伝える
仏教の各宗派の形成
:がおこり、念仏により阿弥陀如来のいる極楽浄土への往生を願う
:座禅によって悟りを開くことを求める
他にも華厳宗、、、である真言宗などがおこる
8世紀中期の武宗の治世には弾圧を受けて一時衰退する
は洛陽の南方の石窟に壮大な仏像を造らせた
の隆盛
がの試験内容とされる
→貴族にとって必須な教養となる
:太宗に仕え、『』を編纂
→経典の解釈を主とするが復興
内容的には固定化し、思想や学問上の発達はみられなかった
文学
唐詩:初唐(太宗~則天武后の時代、7世紀)
盛唐(玄宗の時代、8世紀前半)
、(「」)、(「」)
中唐(安史の乱後から9世紀初め)
:『』や『』
晩唐(9世紀中頃~唐滅亡まで)
やがをとなえる
の技巧を排して、漢以前の自由な表現を重んじる
背景:
宋代以後の散文文学の先駆となる
これらの文章家は「」と呼ばれた
絵画
六朝に始まるが進歩
初唐:閻立本~「」
盛唐:、李思訓、王維など
呉道玄や李思訓はで有名
:専門絵師による華麗な色彩が主な特徴
:知識人による淡泊な色彩
:「南宗画の祖」
書道
初唐:欧陽詢、褚遂良、虞世南
とくには王羲之の書を引き継ぎ、楷書の典型をつくった
中唐:
※で自ら義勇軍を率いた
工芸
:緑、褐色、白で彩色した陶器
の伝播
で製紙法が中国からイスラーム世界に伝わった
の始まり
史書の歴史
唐のは体系的な歴史理論書として『』を著した
唐の杜佑は玄宗までの歴史を『』に著した
唐と近隣諸国
近隣諸国は、唐の制度や文化からどのような影響を受けたのだろうか?
7世紀:がを建国
都:ラサ
吐谷渾を撃退し、唐とも一時交戦
唐王朝と婚姻関係を結ぶ
インド系の文字をもとにをつくる
→インド、中国双方の文化を取り入れる
仏教とチベットの民間宗教(ボン教)が融合
→が生まれる
8世紀後半:一時長安を占領
西方ではウイグルと争う
~チベット=ビルマ系
8世紀後半に地方で自立
漢の漢字、儒教、律令制などを受け入れ、仏教がさかんになる
9世紀に最も栄えた
唐の滅亡後、に政権が変わる
三国の対立や日本の干渉が続く中、唐と結んで有力となる
663年:
唐と連合軍を編成し、日本・百済の連合軍
668年:唐との連合軍によりを滅ぼす
676年:唐の勢力を退けて半島の大部分を支配
:朝鮮古来の氏族制的な身分制度
都のを中心に唐に倣った仏教文化が発達
慶州のやなど
唐の滅亡後、によってへと政権が変わる
高句麗の滅亡後、その遺民と靺鞨族が中国の東北地方と朝鮮北部を支配する
698年:が建国
713年:渤海郡王に封じられる
都:
唐の文物・制度をさかんに取り入れ、8~9世紀に栄えて「海東の盛国」といわれる
e.g.唐のを参考に都を造営
唐の滅亡後に遊牧狩猟民のに降伏
7世紀:大陸文化の摂取と中央集権国家の形成
607年:聖徳太子がとして小野妹子を派遣~隋のと交渉
630年:の派遣~留学生や留学僧も加え、文化の輸入に努める
645年:~律令国家体制を整える cf.「日本」「天皇」が正式に用いられる
710年:の建設~唐の都長安を模倣
土地公有制や租庸調制、貨幣の鋳造が取り入れられる
唐を通じてインドやイランなどの文化にも接し、が繁栄した
東南アジア諸国の:カンボジア、チャンパー、シュリーヴィジャヤなど
唐の変容と五代
安史の乱の前後では、唐の制度や社会にどのような違いがあるのだろうか?
の政治~高宗の皇后
690年:実権を握って帝位につく
中国史上、唯一の女帝
国号を(武周)と改める
仏教を信奉し、石窟に壮大な仏像をつくらせる
によって任用された官僚の重用
→政治の担い手が実力本位な官僚に移る
貴族社会の衰退
次の中宗が国号を戻すが、皇后の韋后に毒殺される~「」
の政治
712年:皇帝に即位
前半は政治の引き締めにあたる~「」
8世紀の中国社会
→農民が口分田を放棄して本籍地を逃れて逃亡するようになる
の動揺
749年:を廃止
農民から兵士を徴発できなくなるため、傭兵を募集するに移行
募兵制の下で10の辺境の防備にあたる傭兵の指揮官
→次第に地域の行政・財政を任され、兵士を私兵化して蓄えるようになる
751年:中央アジアでとで交戦
率いる唐軍が敗北
→西域経営の失敗
内政が混乱
を寵愛し、その一族の楊国忠を重用
755~763年:3つの節度使を兼ねたと部将のが反乱を起こす
ともにで、楊氏一族の重用に反発
→一時は反乱軍が長安を占領し、玄宗と楊貴妃は逃亡
cf.白居易『』
唐はの援助で反乱を鎮圧
地方の権力者をと呼ぶ
、、などの周辺民族が唐に侵入
とくにはを占領
8~9世紀:唐王朝は領土縮小しながら存続する
唐の衰退
8世紀後半:安史の乱の後、の拡大
→の崩壊が進む
による税収の減少から、財政再建の必要性が高まる
780年:を施行
宰相の献策で実施
や貧富の格差の拡大に鑑みた政策
→
商業への規制緩和
→城郭外に草市が発生し、市や鎮に成長する
(送金手形)の発生
の実施
さらに高額な税をかける
→塩の密売が増大
823年:唐との講和を記念してにが建てられた
塩の密売人とが塩密売の取り締まりに反発して反乱を起こす
飢饉に苦しめられていた農民が参加し、大きな農民反乱となる
907年:が節度使となって反乱を鎮圧
を拠点に力をのばす
→皇帝哀帝を廃して唐を滅ぼす
の争乱:907~960年ごろ
907年:がを建国
都:
各地のが自立し、中国が分裂する
華北に・・・・が交代~
そのうち・・が突厥系、とが漢民族系である
都を置いたのがで、それ以外の王朝はすべてに都を置いた
※のによって「」の最後の仏教弾圧が行われる
その他に有力な節度使が10の国をつくる~
各国ではが行われ、混乱が続く
北方系遊牧民のの進出
から建国支援の見返りとして河北省とを割譲され、さらに華北への進出を進める
貴族の没落
五代十国の争乱を通じて、荘園を基盤としていたの没落が顕著となる
かわって新興のが成長
所有地をに耕作させて小作料をとる形態となる
960年:後周の武将がを建国
唐の滅亡と五代十国の争乱の影響
10世紀の東アジア
宋の建国、契丹の台頭、日本の承平・天慶の乱から摂関政治、国風文化の形成へ
突厥とウイグル
5~6世紀にモンゴル高原を支配
君主の称号としてを初めて用いた
~民族
552年:を滅ぼして自立
6世紀:モンゴル高原から中央アジア一帯を支配
→の統率の下、大遊牧帝国を建設
ササン朝ペルシアのと結び、を滅ぼす
→を支配下に置く
モンゴル高原からを支配
583年:に圧迫され東西に分裂
東突厥:唐の建国を助けて、一時期は隆盛する
→630年:唐に服属
7世紀末に独立を回復するも、唐のの時代にに滅ぼされる
西突厥:トルキスタンを支配
→唐に敗れて7世紀末に衰退
744年:に滅ぼされる
(系)
北方遊牧民の最初期の文字として重要
e.g.
~民族
8世紀:モンゴル高原から中央アジア一帯を支配
の商人を保護し、東西貿易を掌握~「」
を国教とする
では唐軍を支援し、次第に唐を圧迫するようになる
アラム文字系のソグド文字が原型
さらに東方のモンゴル文字や満州文字の原型となる
840年:人に圧迫され、タリム盆地に西遷(=ウイグルの滅亡)
→が始まる
中央アジアはと呼ばれるようになった
ソグド人
~ソグディアナのオアシス地域に住むイラン系民族
遊牧国家の保護の下、隊商交易をさかんに行う
の形成
北朝から隋・唐の時代にかけて中国にも進出
奢侈品をなどと交易
遊牧国家とは共生関係にあった
文化交流の面でもさまざまな文化を遊牧民族に伝える
8世紀:ソグディアナはアラブ=ムスリム軍に征服される
A: B: C: D: E: F: G:
H: I:
ア: イ:
①: ②: ③: ④: ⑤:
⑥: ⑦: ⑧:
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