弾道弾迎撃ミサイル(ABM)制限条約
弾道弾迎撃ミサイル制限条約とは何か
弾道弾迎撃ミサイル制限条約(ABM条約)は、1972年5月26日に米ソ間で署名された軍備管理条約であり、両国の迎撃ミサイル(ABM)配備を制限する合意である。冷戦期の戦略安定を支える柱として機能した国際条約である。
条約の内容
条約は米ソ両国のABMシステム配備をそれぞれ2か所(当初)、後に1か所に制限し、各地点の迎撃ミサイルを100基までと定めた。相手国の核ミサイルを迎撃する能力を抑制することで、相互抑止を担保する仕組みであった。
相互確証破壊の制度化
ABM条約は米ソが互いに脆弱であり続けることを制度として認めた合意である。相手の核ミサイルを防げない状態を維持することで、全面核戦争を回避する相互確証破壊(MAD)を戦略の前提とした。
ABM条約はどのような背景で成立したか
ABM条約は、1960年代後半の米ソ核軍拡競争を抑制するSALT(戦略兵器制限交渉)の一環として締結された。
SALTⅠの一部
ABM条約は1972年のSALTⅠ合意の一部を成す。攻撃兵器の制限と迎撃兵器の制限を組み合わせることで、核軍拡の両輪にブレーキをかける仕組みが整備された。
戦略安定への寄与
ABM条約は防御能力の抑制を通じて、攻撃兵器の無制限な増強をも抑える構造を作り上げた。冷戦期の米ソ関係を長期間にわたり管理する基本枠組みとして働いた。
ABM条約はなぜ失効したのか
ABM条約は30年の運用を経て、2002年に米国の脱退で終わりを迎えた。これは冷戦後の戦略環境の変化を象徴する出来事であった。
米国の脱退決定
2001年12月、ブッシュ(子)大統領はABM条約を時代遅れと位置づけ、6か月前の通告を経て2002年6月に条約から脱退した。9.11事件後の脅威認識の変化と、ミサイル防衛計画の実現が主な理由とされた。
ミサイル防衛構想の実現
脱退後、米国は本格的なミサイル防衛システム(MD)の構築に着手した。アラスカや東欧に迎撃施設を整備し、北朝鮮やイランのミサイル脅威への対応を名目とした。
ABM条約の失効は国際政治にどう影響したか
ABM条約の失効は、米ロ関係と世界の戦略バランスに長期的な影響を及ぼした。
ロシアとの関係悪化
ロシアは米国のABM脱退とMD展開に強く反発し、STARTⅡから離脱した。以後、米ロ核軍縮は新STARTへと引き継がれたものの、戦略的相互不信は深まり続けた。
核軍縮レジームの揺らぎ
ABM条約失効は、冷戦期の核軍備管理体制の要が崩れる出来事となった。INF全廃条約の2019年失効、新START条約の2026年期限満了問題など、米ロ軍備管理全体の弱体化の起点として位置づけられる。