アジア・アフリカ会議(バンドン会議、A・A会議)
アジア・アフリカ会議(バンドン会議、A・A会議)とは何か
アジア・アフリカ会議(バンドン会議、A・A会議)とは、1955年4月にインドネシアのバンドンで開催された、アジア・アフリカ29か国の首脳が集まった歴史的な国際会議である。脱植民地化時代の新興独立国が集結し、冷戦期の第三世界外交の出発点となった。
会議の基本的性格
主催国はインドネシア、セイロン(現スリランカ)、インド、パキスタン、ビルマ(現ミャンマー)の5か国(コロンボ・パワーズ)で、出席した29か国にはアラブ諸国・アジア諸国・アフリカの新興独立国が広く含まれた。
会議はアジア・アフリカ諸国のみが参加する初の大規模な国際会議であり、欧米主導でない国際秩序を構想する場として画期的な意味を持った。バンドンの精神(バンドン・スピリット)という言葉で、この会議の理念は後世に語り継がれている。
アジア・アフリカ会議はどのような仕組みで議論を進めたか
アジア・アフリカ会議は、1週間にわたり首脳演説、委員会討議、共同声明の採択という形で進行した。参加国の利害や政治体制は多様であったが、反植民地主義と平和共存という共通の理念で結束した。
議論の展開と成果
インドのネルー、中国の周恩来、インドネシアのスカルノ、エジプトのナセルなどが主導的役割を果たした。会議の核心的成果は、平和十原則の採択である。平和五原則を基礎にしつつ、基本的人権の尊重、すべての国家の主権平等、国際紛争の平和的解決などの原則が追加された。
会議では、東西両陣営に属さない第三の道(非同盟)、反植民地主義、アジア・アフリカ諸国の連帯強化、経済協力の推進などが共通の課題として確認された。中国の周恩来は柔軟な姿勢で参加国の共感を得て、中国の国際的地位向上にも寄与した。
アジア・アフリカ会議はなぜ開かれたか
アジア・アフリカ会議が開かれた背景には、1950年代前半の脱植民地化の進展と、冷戦対立に巻き込まれることへの新興国の警戒があった。共通の課題を抱える国々が、独自に国際秩序を構想する必要を感じていた。
開催に至る経緯
1954年12月、インドネシアのボゴールでコロンボ・パワーズ5か国の首脳会議が開かれ、アジア・アフリカ諸国会議の開催が正式に決定された。会議名、招待国、議題などが周到に準備された。
開催時期の背景として、朝鮮戦争の休戦(1953年)とインドシナ戦争の終結(1954年)によって東アジアの緊張が一時的に緩和したこと、中国が国際的孤立からの脱却を模索していたこと、アフリカで独立運動が高揚していたことが挙げられる。
アジア・アフリカ会議と現代の国際秩序はどう関わるか
アジア・アフリカ会議は、その後の非同盟運動と第三世界運動の出発点として、現代国際政治にも深い影響を残している。21世紀にも記念会議が開催され、その理念は継承されている。
非同盟運動への発展
1961年のベオグラードでの第1回非同盟諸国首脳会議は、バンドン会議の理念を継承・発展させたものである。非同盟運動はその後も継続し、現在も120か国以上の加盟国を擁する国際的運動として存続している。
1964年の国連貿易開発会議(UNCTAD)設立や、1974年の国連資源特別総会など、第三世界による国際経済秩序の見直し要求も、バンドン会議の流れから生まれた動きである。
21世紀のバンドン精神
2005年のバンドン会議50周年記念会議、2015年の60周年記念会議では、「バンドンの精神」が改めて確認された。参加国は100か国を超え、グローバル・サウスの連帯を象徴する場として機能している。
中国の一帯一路構想もバンドン精神を掲げており、新興国間の結束を強調する外交的資産としてバンドン会議は現代にも利用されている。アジア・アフリカ会議の理念は、形を変えつつも現代国際政治に影響を及ぼし続けている。