第2次戦略兵器制限交渉
第2次戦略兵器制限交渉とは何か
第2次戦略兵器制限交渉はSALTⅡとも呼ばれ、米ソ間の戦略核兵器の数量上限を具体的に定める交渉過程である。1972年のSALTⅠ暫定協定の後継として進められ、1979年に条約として調印された。
SALTの全体像
SALTは米ソが戦略核兵器の数量を制限する一連の交渉の名称で、SALTⅠ(1969-1972年)とSALTⅡ(1972-1979年)の二段階で進められた。ニクソン、フォード、カーターの三政権にまたがる長期交渉となった。
規制対象の拡張
SALTⅠがICBM・SLBM発射装置数の凍結にとどまったのに対し、SALTⅡは戦略爆撃機、複数弾頭化ミサイル、巡航ミサイルなどを含む広範な戦略核兵器を対象とした。
交渉はどのように進められたか
第2次戦略兵器制限交渉は1972年11月にジュネーヴで始まり、首脳・外相レベルの協議を重ねて1979年6月にウィーン会談で条約として結実した。約7年にわたる長期交渉であった。
主要合意事項
戦略核兵器運搬手段の総数を2250に制限し、MIRV化ミサイル数を1320に制限することなどが合意された。新型ICBMの開発制限、巡航ミサイル射程制限なども含まれた。
対象兵器の範囲
複数弾頭独立目標再突入体(MIRV)を搭載したICBMは1200基以下、戦略爆撃機を含む総数は2400基以下、さらに1981年には2250基以下に段階的に削減するという段階目標が示された。
条約はどのような運命をたどったか
1979年6月18日、カーター大統領とブレジネフ書記長がウィーン条約に調印した。しかし同年末のソ連アフガニスタン侵攻により、アメリカ上院は批准を棚上げにした。
批准見送りの経緯
1979年12月のソ連アフガニスタン侵攻を受け、カーターは上院への批准要請を撤回した。1980年大統領選で勝利したレーガンは条約を批准せず、事実上の効力は限定的であった。
事実上の尊重
批准されなかったものの、米ソ両国は1980年代半ばまで条約の数量制限を事実上遵守した。軍備管理の枠組みとしては一定の機能を果たし、後のSTART交渉の土台となった。
SALTⅡは核軍縮にどう位置づくか
SALTⅡは米ソデタントの到達点と新冷戦への転換点を同時に示す条約である。限界を抱えながらも、後のSTARTやINF全廃条約に続く核軍縮の継続性を保つ役割を果たした。
STARTへの継承
SALTが数量上限のみを設定したのに対し、1991年のSTARTⅠは実際の削減を義務づけた。SALTⅡで培われた検証手続きや交渉手法はSTARTへと継承され、冷戦末期の軍縮を可能にした。
核軍備管理の教訓
SALTⅡは地政学的変動に弱い軍備管理条約の脆弱性も示した。アフガニスタン侵攻という一つの事件で条約が事実上停止した経験は、軍備管理を安定させる政治的信頼の必要性を示している。