第二世界
第二世界とは何か
第二世界とは、冷戦期にソ連を中心とする社会主義・共産主義陣営の国々を指す概念である。第一世界(資本主義先進国)や第三世界(非同盟・途上国)と対比して用いられた。
概念の核心
主要構成国はソ連と東欧諸国(ポーランド、東ドイツ、チェコスロバキア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、アルバニア)、アジアの中国、北朝鮮、ベトナム、モンゴル、キューバなどであった。これらの国々は共産党一党支配と計画経済を基本体制とした。
第二世界は単なる経済分類ではなく、マルクス=レーニン主義の理念に基づく独自の政治経済体制を持つ国々の集合として認識された。内部に中ソ対立やユーゴスラビアの自主路線など、分裂要素も存在した。
第二世界はどのような仕組みで結束したか
第二世界は、軍事同盟、経済協力機構、共産党同士の連絡組織、イデオロギー共有を通じて結束した。ソ連を頂点とする重層的なネットワークが機能していた。
結束の仕組み
軍事面ではワルシャワ条約機構(1955年結成)が集団防衛体制を担った。経済面ではCOMECON(経済相互援助会議、1949年設立)が計画経済に基づく国際分業を調整した。政治面ではコミンフォルム(1947〜56年)が共産党間の連絡を担った。
ソ連との二国間関係も結束の基盤であり、各国はソ連式モデルを模倣した計画経済と政治制度を採用した。教育・文化・メディアの面でもイデオロギーの統一が図られ、社会主義リアリズムなどの文化様式が共有された。
第二世界はなぜ形成されたか
第二世界が形成された背景には、第二次世界大戦の結果としてソ連軍が東欧を解放したことと、中国革命により世界最大級の共産主義国家が成立したことがある。ソ連を核とする社会主義国家群が戦後世界に登場した。
形成の経緯
1945年以降、ソ連占領下の東欧諸国で共産党政権が次々と樹立された。1949年の中華人民共和国成立、同年のドイツ民主共和国(東ドイツ)成立、1950年代のキューバ革命などにより、社会主義陣営は世界各地に広がった。
西側のトルーマン・ドクトリンとマーシャル・プランに対抗する形で、ソ連はコミンフォルム、COMECON、ワルシャワ条約機構を設立した。冷戦の本格化とともに、第二世界の制度的輪郭が明確になっていった。
第二世界はどのように解体したか
第二世界は、1989年の東欧革命とその後のソ連解体により、制度的実体を失った。経済体制の転換、政治体制の転換、国際的枠組みの崩壊が同時並行的に進み、第二世界は歴史上のものとなった。
解体の過程
1985年のゴルバチョフ書記長就任以降、ソ連はペレストロイカと新思考外交を進めた。1989年には東欧諸国で共産党政権が次々と崩壊し、ベルリンの壁が崩壊した。1991年にはCOMECONとワルシャワ条約機構が解散し、同年12月にはソ連そのものが解体した。
旧第二世界の多くの国は議会制民主主義と市場経済への移行を進め、そのうちの多くがNATOやEUに加盟した。冷戦の制度的敗者として、第二世界は比較的短期間で姿を消した。
残存する社会主義国
現在も共産党支配を維持する国として、中国、ベトナム、ラオス、キューバ、北朝鮮がある。しかしこれらの国の多くは市場経済を部分的に導入しており、冷戦期の第二世界とは異なる性格を持つに至っている。
第二世界の消滅は、20世紀最大の政治実験の一つの結末を示す出来事であった。計画経済と共産党一党支配を組み合わせた国際体制の歴史的限界は、現代の政治経済を考える上で重要な参照点となっている。