第9章 国際政治の動向と課題

平和五原則

平和五原則

平和五原則とは何か

平和五原則とは、1954年に中国の周恩来首相とインドのネルー首相が確認した、アジア諸国間の関係を規律する五つの原則である。冷戦期の非同盟外交の理念的基盤として、のちの平和十原則や第三世界運動の礎となった。

原則の核心

五原則は、①領土保全と主権の相互尊重、②相互不侵略、③互いの内政に対する不干渉、④平等と互恵、⑤平和的共存から成る。国連憲章の精神と通じる普遍的内容を持ちつつ、とりわけ新興独立国が大国の圧力から身を守るための規範として定式化された。

これらの原則はインドと中国の二国間合意として出発したが、後にアジア・アフリカ会議を通じて多国間の国際規範として広がっていった。現在も中国外交の基本原則として掲げられている。

平和五原則はどのような仕組みで機能したか

平和五原則は、条約や機構としての制度ではなく、国家間関係の基本姿勢を示す共通の参照枠組みとして機能した。新興国同士が関係を築く際の指針として働いた。

原則の内実

領土保全と主権の尊重は、植民地支配から独立したばかりの新興国にとって死活的な関心事であった。相互不侵略と内政不干渉は、大国の軍事的・政治的介入から身を守る原則として求められた。平等と互恵は対等な国際関係の構築を、平和共存は冷戦の二極対立を超えた国際秩序を目指した。

これらの原則は、中印二国間条約(1954年のチベット地域に関する協定)の前文に盛り込まれ、のちの国家間合意にもたびたび引用された。条約法上の拘束力ではなく、国際規範としての道義的拘束力を持つものとされた。

平和五原則はなぜ生まれたか

平和五原則が生まれた背景には、冷戦期の二極対立に巻き込まれまいとする新興独立国の共通の関心があった。大国の影響を排し、対等な国際関係を築きたいという願望が、この原則の成立を支えた。

成立の経緯

1954年4月、中国とインドはチベット地方の通商や交通に関する協定を結んだ。この際、協定の前文に盛り込まれたのが平和五原則であった。同年6月、周恩来がニューデリーを訪問した際の中印共同声明と、その後のラングーン(ヤンゴン)での中国・ミャンマー共同声明でも再確認された。

当時、両国は朝鮮戦争後の国際情勢を踏まえ、東西陣営のいずれにも属さない独自の外交路線を模索していた。中国にとっては国際的孤立からの脱却、インドにとっては非同盟政策の具体化が重要な課題であった。両国の利害が一致したことが、原則成立の背景にあった。

平和五原則と国際秩序はどう関わるか

平和五原則は、冷戦期の第三世界外交の理念的支柱となり、国連憲章の基本原則とも通じる内容を持つ国際規範として機能した。現在も国際関係の基本原則として引用される。

バンドン会議と平和十原則への発展

1955年4月のバンドン会議(アジア・アフリカ会議)では、平和五原則を発展させた平和十原則が採択された。これにより、平和五原則はアジア・アフリカ諸国共通の国際規範として広く認められるようになった。

非同盟運動の基本理念としても平和五原則は中核的位置を占め続けた。冷戦期を通じて、大国の介入に抵抗する新興国の結集を支える理念的基盤として機能した。

現代への継承

中国は現在も外交政策の基本原則として平和五原則を掲げている。習近平政権のもとでも「国際関係の基本規範」として繰り返し言及されている。ただし内政不干渉原則の運用をめぐっては、南シナ海問題や人権問題でしばしば議論が生じている。

平和五原則は、国連憲章や国際法と並ぶ国際関係の基本規範の一つとして、現代国際政治にも影響を残し続けている。形式的な条約ではなく理念としての規範がどのように機能するかを考える好例でもある。

監修者 taisa68
最終更新日 2026-04-23