第9章 国際政治の動向と課題

アフガニスタン

アフガニスタン

アフガニスタンとは国際政治でどう位置づけられるか

アフガニスタンは中央アジア・南アジア・西アジアの結節点に位置する内陸国で、19世紀以来グレートゲームの舞台となってきた国である。冷戦期にはソ連の侵攻と撤退、冷戦後にはアメリカの対テロ戦争という二度の大国介入を経験し、国際政治の縮図的存在となった。

地政学的特徴

パキスタン、イラン、中央アジア諸国、中国と国境を接し、歴史的に東西交易路の要衝であった。険しい山岳地形と多民族構成は外部勢力の統制を難しくし、しばしば帝国の墓場と呼ばれてきた。

国家の歩み

1919年にイギリスから独立し立憲君主制となった後、1973年の共和革命、1978年の共産主義政権樹立と政治体制が激変した。1978年以降、国内では親ソ派と反政府勢力が激しく対立していた。

ソ連のアフガニスタン侵攻はどのように起きたか

1979年12月、ソ連はアフガニスタン共産主義政権を支援するため軍事介入を開始した。これが米ソデタントを終わらせ、新冷戦の始まりを告げる決定的事件となった。

侵攻の経緯

1978年のサウル革命で成立した人民民主党政権は内部抗争で不安定化した。ソ連は親ソ派のカルマルを擁立するためクーデターと同時に軍事介入を実施し、首都カブールを制圧した。

国際的反応

アメリカ、西欧、中国、イスラム諸国がソ連を非難した。国連総会は圧倒的多数で撤退を求める決議を採択し、アメリカは1980年モスクワ五輪のボイコットと穀物輸出停止で対抗した。

アフガニスタン戦争はどのような戦争だったか

アフガニスタン戦争はソ連軍と現地ムジャーヒディーンの間で約10年間続き、冷戦期最大規模の局地戦争となった。米中パキスタンなどがムジャーヒディーンを支援し、典型的な代理戦争の様相を呈した。

ムジャーヒディーンへの支援

アメリカはCIAを通じてスティンガー地対空ミサイルなどを供与し、ムジャーヒディーンの対戦車・対航空機能力を高めた。サウジアラビアも資金援助し、パキスタンは後方基地を提供した。

ソ連軍の撤退

ゴルバチョフ政権下の1988年ジュネーヴ合意を経て、1989年2月にソ連軍は完全撤退した。10年にわたる戦争はソ連経済を消耗させ、ペレストロイカの必要性を強め、冷戦終結の一因となった。

アフガニスタンは冷戦後どのような歩みをたどったか

ソ連撤退後のアフガニスタンは内戦状態となり、1996年にタリバン政権が成立した。2001年の9・11同時多発テロを契機に米軍とNATO軍が介入したが、2021年のタリバン復帰で別の段階に入った。

タリバン政権の成立と911

内戦を勝ち抜いたタリバンは厳格なイスラム法統治を行い、アルカーイダを匿った。2001年の9・11事件後、アメリカは対テロ戦争の一環として軍事介入し、タリバン政権を崩壊させた。

対テロ戦争の終結と再び

米軍とNATOは20年にわたり駐留したが、2021年8月に撤退が完了し、タリバンが再び政権を握った。ソ連・アメリカという二大国のいずれも安定をもたらせなかった点は、現代国際政治の限界を象徴している。

監修者 taisa68
最終更新日 2026-04-23