第9章 国際政治の動向と課題

アサド

アサド

アサドとはどのような人物か

アサドは、シリア・アラブ共和国を親子二代にわたって統治したアサド家を指す。父のハーフィズ・アル=アサドは1971年から2000年まで、子のバッシャール・アル=アサドは2000年から2024年まで大統領を務めた。冷戦期から冷戦後の中東政治を象徴する独裁一族である。

アサド家の出自

アサド家はシーア派の一派であるアラウィ派に属する。アラウィ派はシリアでは少数派であり、スンニ派多数の国で軍と治安機関を基盤とする権力構造を築いた点が一族統治の特徴である。

バアス党との関係

アサド家の権力は、アラブ民族主義と社会主義を掲げるバアス党の一党支配体制と結びついている。1963年のバアス党クーデター後、ハーフィズが軍部の指導者として台頭し、1971年に大統領に就任した。

アサド政権はどのような統治を行ったか

アサド政権は強権的な一党支配のもと、秘密警察と軍による恐怖政治で半世紀にわたる統治を維持した。

ハーフィズ期の統治

ハーフィズ・アル=アサドは1982年のハマー事件で反体制勢力を徹底的に弾圧し、数万人規模の住民を殺害した。中東戦争、レバノン内戦への介入を通じて地域政治でも存在感を示した。

バッシャール期の統治

バッシャール・アル=アサドは2000年の父の死後に就任し、当初は改革路線を期待されたが、次第に強権化した。2011年のアラブの春で市民の抗議運動が起こると、軍と治安機関を動員して徹底弾圧し、シリア内戦を引き起こした。

シリア内戦でアサド政権はどう対応したか

アサド政権は2011年以降の内戦で反体制派と対峙し、ロシアとイランの支援を受けて政権を維持した。

化学兵器使用疑惑

2013年以降、アサド政権軍はサリンを用いた化学兵器攻撃を繰り返したと国連の調査で指摘された。数百人の犠牲者を出し、国際社会に強い衝撃を与えたが、安保理はロシアの拒否権により有効な対応を取れなかった。

ロシアイランの軍事支援

2015年9月、ロシアは軍事介入を開始し、アサド政権を軍事的に支えた。イランも革命防衛隊とヒズボラを派遣し、政権を支援した。これにより反体制派とISISの両方を抑え、政権は延命した。

アサド政権はどう終焉したか

アサド政権は長期にわたり延命したが、2024年末に反体制派の電撃的進撃で崩壊した。

2024年12月の政権崩壊

2024年12月、反体制派組織ハヤート・タハリール・アッシャーム(HTS)が首都ダマスカスに入り、バッシャール・アサドはロシアに亡命した。53年続いたアサド家の支配は突然の終焉を迎えた。

シリアの将来への影響

アサド政権崩壊後のシリアでは、HTSを中心とする暫定政権が発足したが、宗派・民族対立の調整は依然として困難である。ロシアとイランの影響力低下、トルコの関与増大など、地域政治全体の再編を促しつつある。

監修者 taisa68
最終更新日 2026-04-24