第9章 国際政治の動向と課題

不戦条約

不戦条約

不戦条約はどのような目的で結ばれたのか

不戦条約は、第一次世界大戦のような総力戦を再び起こさないために結ばれた。整理編でも、第一次世界大戦後に国際社会で二度と戦争を繰り返さないという機運が高まったと説明されていた。アメリカ国務長官フランク・ケロッグとフランス外相アリスティード・ブリアンが中心になり、戦争を国家政策の手段として放棄する国際的約束を作ろうとしたのである。

この条約の背景には、戦争を正当な外交手段として認め続ければ、どれほど条約や会議を重ねても平和は安定しないという認識があった。国際連盟だけでは不十分であり、国家がそもそも戦争を選ぶこと自体を非難する原則が必要だと考えられた。そのため不戦条約は、個別の停戦協定ではなく、戦争観そのものを変えようとする試みだった。

不戦条約は何を禁止したのか

不戦条約の正式名称は「国策の手段としての戦争放棄に関する条約」である。Office of the Historian と条約本文が示すように、第一条では締約国が国際紛争解決のための戦争に訴えることを非難し、相互関係で国家政策の手段としての戦争を放棄するとした。第二条では、紛争や紛争原因は平和的手段で解決すべきだと定めた。

ここで禁止されたのは、国家が政策目的のために戦争を使うことである。したがって、戦争を合法的な選択肢として扱う近代国際法の伝統に大きな修正を加えた。ただし、整理編にもあるように、この条約は戦争に至らない武力行使を明確に禁じておらず、自衛の範囲も厳密には定義していなかった。この曖昧さが後の大きな弱点になった。

なぜ戦争を放棄するという発想が生まれたのか

第一次世界大戦では、機関銃、毒ガス、戦車、航空機などの新兵器が大量投入され、従来の戦争観では説明できない破壊が起きた。戦争がもはや限定的な政策手段ではなく、社会全体を壊す破局になったことが、戦争放棄の発想を生み出した。Office of the Historian も、戦後の平和運動や知識人が戦争そのものを違法化しようとした流れを説明している。

また、戦争を始めた側も勝者も深い損害を受ける状況では、戦争を権利として認める旧来の発想が合理性を失う。そこで、国家は力の行使によって目的を達成してよいという考え方から、平和的手段で紛争を処理すべきだという考え方へと少しずつ動き始めた。不戦条約はその転換を象徴する文書だった。

不戦条約はどのように国際社会に広がったのか

この広がりは、不戦条約が軍事同盟ではなく、戦争そのものを放棄する理念的な条約だったこととも関係する。各国にとって、参加しなければ平和に反対する国と見られかねず、参加の政治的負担は比較的小さかった。そのため実効性には疑問があっても、理念としては非常に大きな支持を集めた。

不戦条約にはどのような限界があったのか

最大の限界は、違反した国をどう止めるかという執行の仕組みが弱かった点にある。Office of the Historian も、条約には実効的な制裁や強制執行の方法がなく、自衛の範囲も十分に定義されていなかったと説明している。つまり、戦争は悪いと宣言しても、始めた国を現実に止める制度はほとんど整っていなかった。

また、当時の国際社会では宣戦布告を伴わない軍事行動や、限定的な武力行使を戦争ではないと主張する余地が大きかった。条約の文言が理想を掲げる一方で、現実の侵略をどう認定し、どう制裁するかが曖昧だったため、抜け道が多かったのである。

なぜ不戦条約は第二次世界大戦を防げなかったのか

1931年の満州事変、1935年のイタリアによるエチオピア侵攻、1930年代後半のドイツの拡張政策は、不戦条約の弱点を露呈させた。整理編でも、日本の軍事行動のような戦争に至らない武力行使は条約の抜け穴になったと説明されていた。侵略を止めるための共同行動が取られず、違反しても決定的な不利益が生じなければ、条約は現実の抑止力になりにくい。

さらに、世界恐慌で各国が内向きになり、平和維持のために大きな負担を引き受けようとしなかったことも大きい。不戦条約は、国際世論の道徳的圧力にはなっても、侵略を止める物的・制度的な力にはなりきれなかった。理念は広がっていたが、それを支える執行力が不足していたのである。

不戦条約はその後の国際法にどのような影響を与えたのか

不戦条約の最大の影響は、戦争を正当な権利としてではなく、非難される行為として捉える発想を国際法へ持ち込んだ点にある。整理編が述べるように、この流れは1945年の国連憲章へ引き継がれ、国連憲章第二条四項では武力による威嚇と武力行使そのものが原則禁止された。つまり、不戦条約は戦争違法化の第一段階、国連憲章はそれをより強く制度化した第二段階といえる。

もともとはフランスとアメリカの二国間協定として提案されたが、アメリカ側はこれを多国間化し、広く各国へ参加を呼びかけた。Office of the Historian によれば、1928年8月27日に15か国がパリで署名し、その後さらに47か国が加わった。結果として、当時の主要国家の大半が参加する、かなり広い国際的枠組みになった。

さらにニュルンベルク裁判では、侵略戦争を始めること自体が国際法違反であり、個人にも刑事責任が及ぶという考え方が強まった。違法な戦争を始めた国家だけでなく、その指導者も責任を問われうるという発想は、不戦条約が開いた流れの上で理解しやすい。

不戦条約の理念は現在の国際社会にどのように受け継がれているのか

現在の国際社会では、国家があからさまに戦争を権利として主張することはほとんどない。多くの国は、自衛、安保理決議、集団的自衛権、人道目的などの法的根拠を示そうとする。これは、戦争や武力行使を無条件に正当化できないという認識が広く共有されていることを示している。その土台には、不戦条約以来の戦争違法化の理念がある。

もちろん、武力行使は今も起こり続けており、不戦条約の理想が完全に実現したわけではない。それでも、戦争を国家の当然の権利とみなす時代から、戦争を違法な例外として扱う時代へ移ったこと自体が大きい。不戦条約は不完全だったが、国際社会が何を正当とし、何を違法とみなすかを変える出発点になったのである。

監修者 taisa68
最終更新日 2026-04-06
参考資料・一次情報
  • 山川『詳説世界史研究』
  • 山川『世界史図録』
  • 各分野の教科書・資料集・一次資料