第2章 人間としてよく生きる

08_人間の自由と尊厳

資料集

人間の自由と尊厳

カントは人間の自由をどのように捉えていたのだろうか?

自由と道徳法則―カント―

 

  自由を個人的な道徳的な生き方に求める(

  無条件に善いものはのみである

   →人間としてなすべきをまさに義務として行う意志

    

     ある行為が道徳的な価値をもつかどうかを、善意志という行為の動機に見出そうとした

    

     義務を義務として行うことを求めた(義務を重視)

  人間にはがある

   他の動物は自然の本能や欲求に従って生きている

   人間は理性によって自分のなすべきことを知り、それを自分の意志で行うことができる

    cf.自然界は自然法則という原因と結果の法則()のもとにある

  理性は人間としてなすべきことを命令する

   :「正直であれ」などの無条件の命令

    カントはこのような理性による無条件の命令をとして重視

    cf.:「幸福になりたいならば、正直であれ」などの条件付きの命令

  道徳法則に従うことこそ、自由であると考えた

   e.g.「怒られたくない」という欲求から「嘘をつく」とすれば、自由ではない

     道徳法則に従い、欲求を抑えて「正直に言う」ことが自由である

  :人間が理性によって自ら道徳法則を立て、自らそれに従う

   ここに人間の真の自由があると考えた



人格の尊厳

カントは人間について、どのように考えるべきだと主張しているか?

 

  意志の自律のうちに人間の尊厳を見出す

  自律的な存在としての人間をいう

  もの(物件)とは違い、「価格」でははかれない「価値」をもっている

   何らかの単なる手段でなく「目的そのもの」として扱われるべきである

    →人格である人間は、目的そのものとして、互いを尊重すべきである

   「」:人々が互いの人格を目的として尊重する理想の社会

    国家を1つの人格とみなし、国家が互いを尊重して連盟することでが実現する

     cf.『

      この思想は、後にの精神に引き継がれた

       cf.アメリカ大統領の

  cf.「汝の意志の格率がつねに同時に普遍的立法の原理として妥当しうるように行為せよ」

    『』で的法則を重視し、これに従うことが自由であるとした

  


共同体における自由―ヘーゲル―

 

  自由を共同体の問題として考え、共同体において人間の自由が実現すると主張

   cf.個人のに基づく自由を主張したを主観的であると批判

  

   自由が実現される共同体やその倫理

   人間を外面的に制約すると、内面的に制約するとがして成立

   人倫にはという3つの段階がある

    :自然の愛情で結ばれた共同体

     人々はその一員として親密につながって生きているが、個人としては埋没している

    :個人の欲望に基づいた共同体(「欲望の体系」)である

     人々は自立した個人として扱われるが、互いに孤立して別々に生きている

      「人倫の喪失態」

    家族と市民社会は正反対の共同体であり、人々の生き方にかかわって、しばしば対立する

     家族と市民社会がしてが成立

      この国家こそ「人倫の完成態」である

       国家の一員として生きるとともに、自立した個人として生きることができる

        →そうすることではじめて真の自由を手にする



  

   人倫が発展して自由が実現される過程

    ①があらわれるが、その内には自身と対立するが含まれる

    ②両者は反発し合う

    ③しばらくすると両者をした、高次の

    これをもとに歴史は動いていると説明する

  への批判

   国家を権利を保障するための道具とみなしている点を批判

   の最高形態(完成態)である

    →公共性と個人のとの対立がされるべきものと考えた

  実際には国家の個人に対する優位性が強調され、当時のを擁護するものとなっている