第2章 中央ユーラシアと東アジア世界

08_中央ユーラシア――草原とオアシスの世界

要点解説 資料集

中央ユーラシア ― 草原とオアシスの世界

中央ユーラシアの風土に適応して、人々はどのような生活を営むようになったのだろうか?

中央ユーラシアの風土

 (内陸アジア)

  の東西にのびる大山脈がモンスーンを遮る

   →寒暖差が大きく、乾燥している大陸性気候が特徴

  東のモンゴル高原から西の黒海北岸にかけて広大な草原が連なっている

   その南にはいくつもの砂漠が広がっている

    砂漠のあいだには雪解け水を水源とするが点在する

  草原のやオアシスの定住民が活躍

 

遊牧民の社会と国家

騎馬遊牧民は、なぜ強大な国家を築くことができたのだろうか?

 遊牧民の生活

  草地を求めて定期的に移動する

   中央ユーラシアは農耕に不適な乾燥気候

    →羊・ヤギ・馬・牛・ラクダなどの家畜を飼育

     食料:乳製品と肉類

     衣服:毛皮で、住居:組み立て式のフェルトの天幕(ゲル)

 

  前9~前8世紀に青銅製の馬具や武具を携えて草原地帯に現れる

  騎馬の技術を獲得し、広範囲な移動や農耕地帯への進出を繰り返す

  馬上から矢を射る遊牧民の集団は、機動性にすぐれた軍事力を備えていた

 

  血縁的な氏族、部族集団を単位として活動しながら、統率力のある君主の下で連合体を形成

   部族名を国家名とするが、支配下にはオアシス民や農耕民も含む

  能力があれば血統や種族を問わず登用する実力主義がとられることが多い

   →統率が失われると部族連合の再編がおこり、遊牧国家は興亡を繰り返した

 「」の形成

 ロシアの南からカザフ草原、モンゴル高原を通過し、中国に至る交通路

  ユーラシアの東西を結ぶ交易や文化貢献にも貢献

   の動物意匠の美術作品が東欧から中国北辺にかけて広く伝わった

   別名を「」という

   cf.「毛皮の道」~「草原の道」の北側の森林地帯の交易路

  


スキタイと匈奴

遊牧国家の興亡は、ユーラシア大陸の東西にどのような影響を与えたのだろうか?

 

  前7~前3世紀頃に成立した、最初のイラン系の遊牧国家

  高い騎馬技術をもち、黒海北岸の草原地帯を支配

  前4世紀に内陸アジアの遊牧民に騎馬文化(=)が伝わる

  特有の文様をもつ馬具や武器

 の形成

  

   陰山山脈付近で遊牧国家を形成

   部族連合国家として強大となる

    統率者はと呼ばれ、国王とシャーマンを兼ねる

   前3世紀末からはを支配して中央アジアの交易路を握る

    戦国時代の各国がを建設

     秦のの征討を受けて一時衰退

      を奪われる

  

   天山北方からイリ地方に勢力を展開

  

   モンゴル高原西部から甘粛地方・タリム盆地東部に進出し、中継貿易を行う

    →匈奴に圧迫され、西方のイリ地方に移動

     さらに烏孫に追われソグディアナに移動し、となる

      さらに圧迫されてアム川流域に入り、バクトリアのトハラ(大夏)を滅ぼす



 帝国

  前209年:が即位し、匈奴帝国を建設

   西域では甘粛地方に進出し、中継貿易で利益をあげていた月氏を制圧

    中央アジアのオアシス地帯を支配

   東方に進出してを圧迫し、の戦いで前漢のの軍を破る

    →漢は和親政策をとる

     皇帝の娘を単于に嫁がせ、絹などを送る

  匈奴の代表的な王族の遺跡:ウランバートルとキャフタの中間の

 匈奴の衰退

  前2~前1世紀:漢のに圧迫される

   大月氏・烏孫に使節としてを派遣し、匈奴を挟撃

  漢がに進出し、敦煌など河西四郡を置く

  匈奴の分裂:前60年頃に東西に分裂し、後48年に東匈奴が南北に分裂

   は西走してになったといわれる

 の活動

  2世紀半ば:匈奴に代わってモンゴル高原を支配

 の活動

  後3世紀:ユーラシアの東西で遊牧民の活動が活発となる

   東:などの華北侵入

    →4世紀以降、遊牧民と定住民がまじりあうなかでつぎつぎと政権を樹立(

   西:の西進

    →の大移動の契機となる

   →農耕地帯に大きな影響を与え、ユーラシア全域の変動をもたらす

    cf.

  


オアシス民の社会と経済

オアシス民は、遊牧民とどのような関係をもっていたのだろうか?

 

  乾燥地帯の砂漠・草原で、地下水を利用することができる

   →定住生活が可能で、オアシス国家が形成される

  市場や寺院を持つ都市部と、灌漑による集約的な農業が行われる農村部からなる

   とくに手工業生産やの拠点としても重要であった

  の形成

   e.g.~敦煌、高昌、楼蘭、、カシュガルなど

     など

     ※:シル川とアム川に挟まれた地域で、の本拠地

      中心都市:

  「」の形成

   オアシスを結ぶ交易路で、後にとも呼ばれる

    cf.が命名

    は北から「」「」「」の3つのルートに分かれる

  の構築

   砂漠地帯につくられた人工の地下水路

   地下水を長い横穴で蒸発を避けて導く



①:  ②:  ③:  ④:

⑤:  ⑥:  ⑦:  ⑧:

⑨:  ⑩:



 オアシス地帯に支配を及ぼした大帝国

  前6世紀 

  前4世紀後半 

  前2世紀後半 

  6世紀後半 

  7世紀 

 オアシス定住民と遊牧民の関係

  オアシス民はしばしば遊牧国家による略奪を受けることがあったが、常に敵対的な関係ではない

   オアシス民の生産する穀物や織物と、遊牧民の畜産物の交易を行う、互恵的な経済関係

  オアシス地帯を支配した大帝国はオアシス都市間の交易路の安全を維持するはたらきがあった

監修者 taisa68
最終更新日 2026-04-05
参考資料・一次情報
  • 山川『詳説世界史研究』
  • 山川『世界史図録』
  • 各分野の教科書・資料集・一次資料