中国の古代文明
東アジアには、気候の異なる地域がどのように混在しているのだろうか?

東アジアの風土と人々
長江・黄河流域を中心とするユーラシア大陸東部
多くの地域ではの影響を受ける
流域、朝鮮半島南部、日本:
流域の地帯:
北方の草原・砂漠地帯:主にを生業とし、
オアシスが点在しており、そこではが行われた
東北部の森林地帯:を主とし、農耕生活を営む
黄河流域や長江流域の肥沃な平原地帯にが形成される
→を形成
e.g.、、、など
自然環境の悪化などに伴い、が繰り返された
※中国の各地域の呼び名
:黄河の中下流域
:長江の中下流域
:現在の広東・福建省付近
:現在の遼寧・吉林・黒竜江省付近
東アジア各地の気候の違いは、生業にどのような影響を与えたのだろうか?

中華文明の発生
前6000年頃ごろに
流域:アワなどの中心
流域:中心
黄河中流域にてアワの栽培や豚・犬・鶏の飼育が始まる
とくにの使用で知られる
スウェーデン人のが発見
で発見された
e.g.~柱や炉をもつ竪穴式住居や墓地、農具や狩猟具が発見された
長江流域:人工的な水田施設をもつ集落が現れる
e.g.~稲やひょうたん、豆類、家畜の骨、漆器、高床式住居跡が発見された
日本の縄文文化との関連が指摘されている
~縦長の玉製祭具である琮など多彩な玉器文化が特徴
墓と副葬品に格差がみられ、と考えられる
~稲殻や陶製の彩色紡錘が発見される
遼河流域:狩猟・採集とあわせて雑穀の栽培が行われる
e.g.~土器や玉器の生産が発達
とくに竜をかたどった土器は後代に伝わり、中華文明のシンボルとなる
前3000年紀に諸地域間の交流や移動がさかんになる
黄河流域にはや羊がもたらされ、中・下流域で農耕文化が広がる
とくにやの使用で知られる
黄河下流域を中心に長江の中下流域、遼東半島にまで広がる
牛馬の飼育や大集落の形成がみられ、の使用もみられた
遺跡に大量の武器や戦死者の埋葬跡が見つかる
城壁や支配者の巨大な墓も見つかる
→
e.g.~四川盆地にて黄金製品やタカラガイが出土
殷・周文明
殷と周の支配形態は、どのように異なっていたのだろうか?
都市の形成
前2000年紀:地域ごとの自然環境にあわせて生業が多様化
黄河上流域:牧畜が拡大
長江流域:稲作に依存するようになる
黄河中下流域に城壁をもった都市が形成される
多くの都市を統合し、広域を王が支配するが誕生
cf.『』~三皇五帝の最後のが始めた王朝が最初の王朝とされる
殷王朝よりも古い王朝の存在を示唆する遺跡も発見されている
cf.~夏王朝との関連が指摘されている遺跡
⇔それが伝説上の夏王朝かは断定されていない
王朝()
前2000年紀に黄河の中下流域に存在
現在確認できる最古の王朝とされる
の発掘~河南省安陽県小屯村の遺跡
1928~37年に発掘され、殷の都であることが確認された
西域産の材料を加工した玉器やタカラガイも発見される
→当時の殷は広域的な交易ネットワークの中心にあった
宮殿跡、人畜を殉葬した巨大な王墓、の祭器、象牙や玉類などが多数出土
氏族集団が連合し、城郭都市であるを多く従えた()
殷王は祭祀を行い、神意を占って国の重大な事柄は決められた()
:神意の記録に用いられた文字で、とも呼ばれ、の原型となる
によって解読される
※氏族集団:血縁意識によって形成された集団
殷の青銅器が示すもの
王朝()
省の流域におこり、前11世紀頃に殷を滅ぼす
牧野の戦い~周のが殷のを破る
都を(現在の西安付近)とし、華北一帯に支配を広げる
王朝交代:~「天命を革まって天子の姓が易った」
平和的な王朝交代: 武力による王朝交代:
※天子:周では天命を受けた支配者をいう
国王の一族・功臣や地方の首長に(領地)を与えてとする
周王を本家とした祭祀を行い、の義務を負う
周王や諸侯は・・(世襲の家臣)に土地()を与える
=~「」
西欧の契約関係にもとづいた封建制とは異なり、にもとづいた
支配階級は共通の祖先を祭るを形成し、によって身分秩序を形成していた
上下関係を中心とする社会秩序や行動規範~が重んじられる
『』によればという土地制度がとられていた
耕地を公田と私田に分けて耕作させた
A: B: C:
春秋・戦国時代
春秋時代と戦国時代の秩序の違いは、どこにあるのだろうか?
の編纂した『』に書かれている時代(前770~前403年)
前770年:西北方の異民族()によって鎬京を攻略される
(現在の洛陽)に遷都=「」
それ以前を、それ以後をと呼ぶ
→前3世紀後半まで分裂が続く
その前半を、後半をと呼ぶ
黄河流域の有力諸侯は周王の権威を認めながらも、諸侯と盟約を結んでとなる
→「尊王攘夷」をとなえて覇権をにぎった
「周王を尊び、異民族()を打ち払え」という意味
cf.「臥薪嘗胆」:越王と呉王の宿命のライバル関係に由来
痛い薪の上に寝て、苦い胆を嘗めて屈辱を忘れないようにするという意味の言葉
~斉の、晋の、楚の、秦の穆公など(異説あり)
前403年:の家臣だった氏、氏、氏は晋を分割して独立
→強国の晋が魏、趙、韓に倒されたことで、と呼ばれた実力主義の時代が始まった
前漢のが編纂した『』に由来している(前403~前211年)
「」~とくに有力だった7つの国々
:前4世紀の孝公のときに都を咸陽に移し、強大となる
:製塩業などで栄える
:稲作を基盤とするなど、長江流域の文化圏に拠る
:採集を生業とした東北の文化圏に拠る
:遊牧民族の戦術を取り込んだ
他にもやなどがある
周王は無視され有力諸侯がを称する
「」意識の芽生え
の形成
A: B: C: D:
E: F: G:
春秋・戦国時代の社会と文化
の中期
の使用との普及
鉄器によって森林伐採が効率化し、農地が増加したうえに多くの木材が供給された
・の使用
文字を記録することが可能となり、文書による命令・情報の伝達が容易になる
氏族がしだいに解体され、一夫婦を中心とする家族が「戸」として重視される
⇔乱開発によって森林の面積が大きく減少し、華北の気候は乾燥化に向かう
戦国時代の諸侯の富国強兵策
の流通
cf.殷・周:タカラガイが流通していた
:斉・燕 :韓・魏・趙 :秦など :楚
趙の都、周の都、斉の都ではとが製造された
邯鄲や臨淄などは商業都市としても発達した
氏族社会の崩壊
→周の世襲的身分制度の崩壊
個人の能力を重んじる実力本位の傾向が強まる
の登場
諸国が国力増強を競い、実力本位の傾向が強まる中で生まれた多様な思想
諸侯によって有能な学者や思想家は重用された
(前6~前5世紀)
主著『』
親に対する・兄や年長者に対するという家族道徳を基礎とする
他人への親愛の情であるの思想を唱える
周代を理想とする~「」
(前4~前3世紀)
主著『』
家族道徳を重視し、や徳によるやを説いた
(前3世紀)
主著『』
をとなえ、による規律の維持の重要性を説いた
後のにつながる
(前5~前4世紀)
万人に対する無差別で平等な愛()
侵略の手段としての戦争を否定()を説く
(生没年不明)
儒家や墨家の思想を人為的な愛として否定
自然の道と天命に従うを説く
『』は老子の作だといわれている
(前4世紀)
価値は相対的であり、自然において万物は一つであると説く
「欲望を捨てて生きよ」という個人的な解脱を説く思想
→道教や禅宗に大きな影響を与える
道家の思想はと呼ばれる
信賞必罰や法による秩序維持を重視
(前4世紀)
秦の孝公に仕えて連帯責任や信賞必罰に基づく改革を実施
(前3世紀)
主著『』
法と術策による社会秩序の建設を主張
秦の始皇帝に仕え、法家思想に基づく政策を進言した
:を説いて、6国を同盟させて秦に対抗
:を説いて、各国と同盟を結んで成功を収める
の:を整理
の・:兵法を残す cf.「敵を知り己を知る」
の:名(概念)と実(本質)の論理的な一致・調和をめざす
の許行:君主を含めたすべての人が平等に農耕すべき
- 山川『詳説世界史研究』
- 山川『世界史図録』
- 各分野の教科書・資料集・一次資料