カダフィ
カダフィはリビアでどのような政権を築き、なぜ打倒されたのか?
カダフィ(ムアンマル・アル=カダフィ)は、一九六九年から二〇一一年までリビアを支配した独裁者だ。一九六九年九月、二七歳の陸軍将校だったカダフィはクーデターでイドリース国王を打倒し、革命評議会議長として権力を掌握した。彼は「イスラーム社会主義」「汎アラブ主義」「緑の書」の三本柱からなる「ジャマーヒリーヤ(大衆国家)」という独自の政治思想・体制を打ち立てた。石油収入を使って医療・教育の無償化・インフラ整備を進め、経済的な開発実績を誇った一方で、政治的自由を徹底的に抑圧した。反政府勢力への弾圧・海外でのテロ支援・隣国チャドへの軍事介入で国際的に孤立し、経済制裁を受けた時期もあった。
カダフィ政権の特徴はどのようなものだったか?
カダフィは一九七三年に自著「緑の書」を発表し、資本主義と共産主義の双方を否定する「第三の普遍理論」を主張した。議会や政党を廃止し、「人民委員会」による直接民主主義を標榜したが、実際はカダフィ自身による個人独裁だった。石油国有化と石油収入によりリビアは中東アフリカ有数の生活水準を持ち、教育・医療の無償化・住宅支給なども実現した。しかし政治的自由は皆無であり、反体制活動は厳しく弾圧された。一九八八年に起きたロッカビー事件(パンナム機爆破テロで二七〇人死亡)ではリビアの関与が指摘され、国際社会から制裁を受けた。二〇〇三年にリビアが大量破壊兵器計画の放棄と責任承認を行い、制裁が解除されてから国際社会に復帰した。
アラブの春でカダフィ政権はどのように崩壊したのか?
二〇一一年二月、アラブの春の波がリビアにも到達し、東部ベンガジを中心に反政府デモが始まった。カダフィは軍を動員してデモを残虐に弾圧し、「ゴキブリを一匹ずつ殺す」という発言が国際社会の強い非難を招いた。この弾圧への対応として、国連安保理は決議一九七三号を採択し、「飛行禁止区域」の設定と「市民保護のためのあらゆる必要な措置」をNATOに授権した。NATOはこれを根拠に空爆を開始し、反政府勢力を支援した。この軍事介入は「保護する責任(R2P)」を実際に適用した最初の事例の一つとして注目を集めた。八か月に及ぶ内戦の末、カダフィは一〇月二〇日に反政府勢力に捕らえられ、その場で殺害された。
カダフィ後のリビアはどのような状況になっているか?
カダフィ政権崩壊後のリビアは、统一した中央政府が確立できず「失敗国家」に近い状態となっている。多数の武装民兵組織が国内に割拠し、東部と西部に二つの議会・政府が競立する分裂状態が続いた。この権力の空白がISIL(イスラーム国)の進出を招き、リビアは北アフリカの不安定の主要因となった。難民・移民がリビア経由で地中海を渡りヨーロッパを目指すルートがリビア内戦により無管理状態となり、地中海での難民溺死が多発する「地中海危機」の一因にもなった。カダフィ打倒への軍事介入が「独裁者打倒後の社会的安定」をいかに確保するかという問題を残した教訓として、リビアの事例はシリアへの対応などでも参照されている。
カダフィ政権の四二年にわたる長期支配は、部族社会であるリビアの複雑な政治構造を巧みに利用したものだった。リビアには約一四〇の部族が存在し、カダフィは部族間のバランスをとりながら権力を維持した。彼の体制は西洋の価値観を拒否しながらも石油収入を西洋企業と取引するという矛盾した構造を持っていた。リビアの人口は約七〇〇万人と小規模だが、豊富な石油・天然ガス資源(確認埋蔵量はアフリカ最大)により、カダフィ政権は石油収入を国内に分配することで一定の支持を得た。ジャマーヒリーヤ(大衆国家)という独自の体制は、国民に一定の福祉を提供しながら政治的自由を完全に奪うという開発独裁の典型でもあった。カダフィの外交政策は変幻自在で、汎アラブ主義からアフリカ統一主義へ、反西洋から対テロ協力へと方針を転換した。その最終的な転落は、「アラブの春」という外部からの衝撃と、内部に蓄積されていた不満の爆発が重なった結果だった。カダフィが保護する責任(R2P)の実際の適用対象となったことで、人道的介入の正当性と独裁政権崩壊後の安定確保という二重の課題が国際社会に突きつけられた。
カダフィ打倒後のリビアは「成功した人道的介入」の事例ではなく「介入後の安定化の失敗」の事例として記録されており、国際社会が人道的介入の後に果たすべき責任(「再建する責任」)の問題を提起した。リビアの内戦と移民問題はアフリカ・欧州関係に深刻な影響を与え続けており、その解決は引き続き国際社会の重大な課題だ。カダフィの遺産は、独裁体制が崩壊した後の国家再建の困難さとして現代の国際政治に教訓を残している。
独裁者の取り扱いにおいて国際刑事裁判所(ICC)の役割が問われた事例として、カダフィへの逮捕状が発行されたが、彼は裁判前に殺害された。この事例は、独裁者を国際法廷で裁く機会を失うという問題を提起した。
カダフィ政権は一九七〇年代から一九八〇年代にかけて、パレスチナ解放機構(PLO)・IRA・日本赤軍など世界各地のテロ組織を支援したとされており、国際テロの支援者として非難された。二〇〇三年の政策転換でその過去に一定の区切りをつけたが、長年の独裁と石油依存の遺産は政権崩壊後のリビアの混乱を招いた。