第9章 国際政治の動向と課題

イスラエル・エジプト平和条約

イスラエル・エジプト平和条約

イスラエル・エジプト平和条約はなぜ歴史的な意義を持つのか?

イスラエル・エジプト平和条約は、一九七九年三月二六日にエジプトのアンワル・サダト大統領とイスラエルのメナヘム・ベギン首相がワシントンD.C.で署名した平和条約だ。この条約はアラブ諸国として初めてイスラエルを承認した画期的な外交文書だ。一九七三年の第四次中東戦争(ヨム・キプール戦争)後、アメリカのカーター大統領が仲介する形で一九七八年にキャンプ・デービッド合意が成立し、その成果として翌一九七九年に平和条約が締結された。「領土と和平の交換」(イスラエルが占領地を返還する代わりにアラブ諸国がイスラエルを承認する)という原則を初めて実現した条約であり、中東和平の基礎となった。

イスラエル・エジプト平和条約が結ばれるまでの経緯はどのようなものか?

イスラエルとエジプトは一九四八年の第一次中東戦争以来、三〇年にわたって敵対関係にあった。一九六七年の第三次中東戦争でイスラエルはエジプト領のシナイ半島を占領した。一九七三年の第四次中東戦争でエジプトはシナイ半島奪還のために奇襲攻撃をかけ、当初は戦果を上げたが最終的には劣勢に転じた。この戦争後、エジプトのサダト大統領は現実主義的な外交路線に転換し、軍事的手段によるシナイ半島奪還をあきらめ、交渉による解決を目指すことを決断した。一九七七年一一月、サダトはアラブ指導者として初めてエルサレムを訪問し、イスラエル国会(クネセト)で演説するという歴史的な行動をとった。この訪問がキャンプ・デービッド交渉への道を開いた。一九七八年、アメリカのキャンプ・デービッドでカーター大統領の仲介のもと、サダトとベギンが一三日間にわたる交渉を行い、枠組み合意(キャンプ・デービッド合意)が成立した。

平和条約の主な内容と意義はどのようなものか?

イスラエル・エジプト平和条約の主な内容は次のとおりだ。①イスラエルはシナイ半島をエジプトに返還する(一九八二年に全面返還完了)。②エジプトはイスラエルを主権国家として承認し、外交関係を樹立する。③スエズ運河通過を含むイスラエル船舶の自由航行を保障する。④双方の軍備制限と非武装地帯の設定。この条約はアラブ世界に大きな衝撃を与えた。エジプトはアラブ連盟を除名され(一九七九〜一九八九年)、サダト大統領は一九八一年一〇月に過激派組織のイスラーム聖戦によって暗殺された。一方、サダトとベギンは一九七八年のノーベル平和賞を共同受賞した。この条約は「領土と和平の交換」原則を実現した最初の事例として、その後の中東和平交渉の先例となった。

イスラエル・エジプト平和条約は中東和平全体にどのような影響を与えたか?

この条約が示した「領土と和平の交換」原則は、国連安保理決議二四二号(一九六七年)で示されていたが、実際に実現したのはこの条約が初めてだった。この成果は一九九三年のオスロ合意の先例となり、イスラエルとPLO(パレスチナ解放機構)の相互承認につながった。また一九九四年にはイスラエルとヨルダンも平和条約を締結した。二〇二〇年にはアラブ首長国連邦・バーレーン・スーダン・モロッコが「アブラハム合意」でイスラエルと国交正常化した。これらの合意は、かつてはイスラエルの存在を認めることを拒否していたアラブ諸国が現実的な和解に向かった証左だ。しかし最も核心的なパレスチナとの和平(二国家共存)は、二〇二三年のハマスによるテロ攻撃とイスラエルの大規模報復によって依然として遠い目標となっている。「領土と和平の交換」という原則はパレスチナ問題では実現していないが、イスラエル・エジプト平和条約は中東和平の可能性を示した歴史的一歩として評価されている。

この条約締結の過程でのアメリカの仲介役は、中東和平における米国の役割を象徴している。カーター大統領はキャンプ・デービッドでの一三日間にわたる粘り強い交渉によって、一時破局寸前だった交渉を成功に導いた。この成功はカーター政権の外交的遺産として高く評価されている。一方、サダト大統領が平和条約締結後に暗殺されたことは、中東和平の推進者が国内の過激派から生命の危険にさらされるという問題を示した。イスラエルとエジプトの平和条約は四〇年以上経った現在も維持されており、「冷たい平和」ではあるが両国間の大規模な軍事衝突は起きていない。両国はシナイ半島での非武装化協定を守り、エジプトはスエズ運河でのイスラエル船舶の航行を認めている。サウジアラビアをはじめとするアラブ湾岸諸国も、「アブラハム合意」(二〇二〇年)を通じてイスラエルとの国交正常化を進めているが、パレスチナ問題が解決しない限り、中東全体の安定した和平は実現しないとの見方が支配的だ。

イスラエル・エジプト平和条約はパレスチナ問題の「部分的解決」の先例となったが、パレスチナ人の権利や独立国家問題はこの条約には含まれておらず、PLOはエジプトを「裏切り者」と非難した。条約締結後にサダトが暗殺されたことも示すように、アラブ社会内でのイスラエルとの和平に対する抵抗は根強い。しかしエジプトとの平和条約なしには、イスラエルの安全保障は根本的に脆弱なままだったという評価も成り立つ。「領土と和平の交換」の論理は、パレスチナ問題の解決策としての「二国家共存」(ガザ地区とヨルダン川西岸を領土とするパレスチナ国家の樹立)の考え方にも反映されている。この条約の成功が中東和平の可能性を示した一方で、四〇年以上経っても最終的和平が実現しないことは、中東問題の根深さを示している。

監修者 taisa68
最終更新日 2026-04-27