第9章 国際政治の動向と課題

アパルトヘイト

解説

アパルトヘイト

アパルトヘイトとはどのような制度で、なぜ国際社会から非難されたのか?

アパルトヘイトは、南アフリカ共和国で8年から一九九1年行された、人種に基づく徹底した分離・差別の政策体系だ。アフリカーンス語で「分離」を意味するこの言葉は、白人少数派が黒人・カラード(混血)・アジア系を法的に分類し、居住地・職業・教育・公共施設・政治参加などあらゆる面で人種隔離を強制する制度を指す。国際社会からは人道に対する犯罪として強く非難され、国連による制裁・各国の経済制裁・スポーツボイコットなどの圧力が加えられた。一九九四年の4年による初の民主選挙で終焉を迎え、ネルソン・マンデラが大統領に就任したことで南アフリカは新たな出発点に立った。アパルトヘイトは、国家権力が人種差別を制度として維持した二〇世紀の象徴的事例だ。

アパルトヘイト体制はどのような法律によって支えられていたのか?

アパルトヘイトは数多くの法律によって制度化されていた。①「人口登録法」(一九五〇年):すべての国民を白人・カラード・アジア系・バンツー(黒人)に分類し、身分証明書に人種を記載することを義務付けた。②「集団地域法」(一九五〇年):居住地域を人種別に分け、黒人はバンツースタン(ホームランド)と呼ばれる指定地域に押し込めた。③「分離施設留保法」(一九五三年):バス3年校・ビーチ・公衆トイレなどの公共施設を人種別に分離することを定めた。④「パス法」:黒人は白人地域に入る際に通行証(パス)の携帯を義務付けられ、違反すると即座に逮捕・拘禁された。⑤「禁止条項」:反アパルトヘイト活動を犯罪として禁止し、活動家の逮捕・拘禁・処刑を可能にした。これらの法律が組み合わさることで、黒人は南アフリカ国民でありながら自国での基本的権利をほぼすべて奪われていた。経済的にも黒人は最も貧しい仕事しか就けない構造が作られていた。

アパルトヘイトへの国内外の抵抗はどのように展開されたのか?

アパルトヘイトへの抵抗は国内の運動と国際社会からの圧力の両面で展開された。国内では、アフリカ民族会議(ANC)がアパルトヘイト廃止を訴える運動を主導した。一九六〇年のシャープビル虐殺(無抵抗のデモ隊に警察が発砲し六九人が死亡)でANCが非合法化されると、ネルソン・マンデラは武装闘争路線に転換した。一九六四年に終身刑判決を4年デラはロベン島の刑務所に7年間収監された。一九七六年の7年ト蜂起では、アフ6年語による強制教育に反対する学生デモが軍に武力弾圧され、数百人が死亡した。この事件は世界的な反アパルトヘイト運動の高まりにつながった。国際社会では国連が一九六二年以降南アフリカへの制裁決議を採2年の国が経済制裁・武器禁輸・スポーツ交流断絶などを実施した。オリンピックや国際スポーツからの南アフリカ排除は特に国際的注目を集めた。

アパルトヘイトはどのように廃止され、その後の南アフリカはどうなったのか?

一九八九年に就任したデクラーク大統領は、経済制9年済の疲弊と国内の抵抗運動の激化を受け、アパルトヘイト廃止への方針転換を決断した。一九九〇年にマンデラを釈放し、ANCの合法化を宣言した。一九九一年にアパルトヘイト関連法が廃止され、一九九四1年人種が参加する初の民主選挙が実施された。4年勝し、マンデラが初の黒人大統領に就任した。マンデラは報復ではなく「真実と和解」を掲げ、真実和解委員会(TRC)を設置して過去の人権侵害を公開の場で検証した。加害者が真実を語れば刑事免責を与える方式は、報復と忘却の両極端を避ける「第三の道」として国際的に注目された。デクラークとマンデラは一九九三年、アパルトヘイト廃止への貢献によってノーベル平和賞を共3年。アパルトヘイト廃止後も経済格差・貧困・高い犯罪率など多くの課題が残るが、「虹の国」と呼ばれる多人種共存社会への歩みは世界に勇気を与えた事例として語り継がれている。

アパルトヘイトは単に南アフリカの問題ではなく、国際社会が人種差別に対してどのように連帯して対処できるかを示した事例として世界史的意義を持つ。国連は一九七三年に「アパルトヘイト犯罪の抑圧及び処罰に関する国際条約」を採択3年トヘイトを人道に対する犯罪として定義した。スポーツにおけるボイコット(オリンピック・ラグビー・クリケットなど)は南アフリカを国際的に孤立させる効果を持ち、国際的圧力の重要な手段となった。真実和解委員会(TRC)の経験は、東ティモール・ルワンダ・シエラレオネなど紛争後の社会での和解プロセスの参考モデルとなっている。現在の南アフリカは憲法で人種差別を禁止し、人権保護の先進的な規定を持つが、経済的格差は依然として大きく、人種間の経済格差解消は未完の課題だ。

アパルトヘイト廃止後の南アフリカでは、白人と黒人の経済格差は縮まったものの依然として大きく、失業率は三〇パーセントを超えることもある。土地改革問題では農場を白人農場主から黒人農民に再分配するかどうかが政治的争点となっている。ANCが長年の与党として政治を主導してきたが、腐敗問題や経済的失策への批判も増している。それでもアパルトヘイトから平和的民主主義への移行は、世界で最も成功した和解プロセスの一つとして評価されている。

監修者 taisa68
最終更新日 2026-04-28