第9章 国際政治の動向と課題

アサド

アサド

アサドはシリアでどのような体制を築き、なぜ内戦を招いたのか?

アサドはシリアの独裁的指導者の家系を指す名前だ。父ハーフィズ=アル=アサドは一九七一年から二〇〇〇年までシリアを支配し、息子のバッシャール=アル=アサドが二〇〇〇年に権力を継承した。父子二代にわたるアサド家の支配は、少数派のアラウィー派(イスラームの一派)が多数派のスンニ派を支配するという構造を持ち、この宗派的矛盾と強権政治への不満が二〇一一年の民主化運動をきっかけとするシリア内戦の根本的な原因となった。バッシャール政権は内戦で化学兵器を使用したとして国際社会から強く非難され、「二一世紀最大の人道危機」と呼ばれる状況を招いた。二〇二四年末に反政府勢力がダマスカスを制圧し、バッシャール=アル=アサドはロシアに亡命した。

ハーフィズ=アル=アサドはいかにしてシリアの独裁体制を確立したか?

ハーフィズ=アル=アサドは一九七〇年に軍事クーデターで権力を握り、バース党一党支配体制を確立した。彼はシリア全土に秘密警察網を張り巡らせ、反対意見を徹底的に弾圧した。一九八二年のハマ虐殺では、ムスリム同胞団が主導する反乱を鎮圧するために、ハマ市への砲撃が約三週間にわたって行われ、一万人から三万人が殺害されたとされる。ハーフィズ政権は開発独裁の性格を持ちつつも経済的恩恵は広がらず、少数のアラウィー派エリートと軍・秘密警察が権力・富を独占する体制だった。一九七三年採択のシリア憲法はバース党の指導的役割を定め、実質的な一党独裁を法制化した。

バッシャール=アル=アサド政権はアラブの春にどのように対応したか?

バッシャール=アル=アサドは二〇〇〇年に父の後を継いで大統領に就任した。当初は改革派と見られていたが、実際には父の強権体制を引き継いだ。二〇一一年三月、中東の春(アラブの春)の波を受けてダラア市で民主化デモが始まった。政権は軍と治安部隊を動員してデモを武力で弾圧し、反政府勢力は武装化した。内戦は急速に激化し、政府軍・反政府武装勢力・クルド人勢力・イスラーム過激派組織ISILなど多数の勢力が入り乱れる複雑な様相を呈した。政府軍は二〇一三年および二〇一七年前後に反政府勢力が支配する地域でサリンなどの化学兵器を使用したとされ、国際社会から強い非難を受けた。国連安全保障理事会はロシアと中国の拒否権行使により有効な制裁措置をとれなかった。

シリア内戦は難民・人道問題とどのような関係にあるか?

シリア内戦により二〇二三年時点で約一三〇〇万人が国内外に避難しており、ヨルダン・レバノン・トルコ・欧州各国に大量のシリア難民が流入した。二〇一五年にはシリア難民がギリシャ・ハンガリーを経由してドイツを目指す「難民危機」がヨーロッパで深刻な政治問題となった。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)はシリアを「世界最大の難民危機」と位置付けた。シリアの子どもたちが難民キャンプで教育を受けられない実態も問題となり、UNICEFが支援活動を展開した。アサド政権は国際刑事裁判所(ICC)による訴追対象となり得るが、シリアがローマ規程を批准していないため直接の管轄権行使は難しい状況だ。二〇二四年末に反政府勢力がダマスカスに迫り、アサド政権が崩壊してバッシャール=アル=アサドはロシアに亡命した。長期にわたった独裁体制の終焉となったが、シリアの復興と政治的安定は引き続き国際社会の課題となっている。シリア内戦は、開発独裁体制が崩壊する際の暴力と難民問題の深刻さを示す現代の典型事例として記録されている。

アサド父子の支配は「開発独裁」から「軍事独裁」へと変質した典型事例だ。父ハーフィズ政権は一定の経済的安定をもたらしたが、息子バッシャール政権は経済的停滞と深刻な格差をもたらした。石油収入の減少と農業地域の干ばつ(二〇〇六〜二〇一〇年)による地方の疲弊が内戦の背景にある。シリア内戦ではロシアとイランがアサド政権を支援し、反政府勢力にはアメリカ・トルコ・アラブ諸国が支援した。この構図は「代理戦争」の様相を帯び、シリア市民が国際的な勢力争いの犠牲となった。化学兵器の使用は国際法の根本的な禁止規範に対する挑戦として、オバマ大統領が「レッドライン(越えてはならない一線)」と宣言していた問題だ。国際社会の対応の遅れと分裂が、内戦の長期化と民間人被害の拡大を招いた側面もある。シリア内戦は、保護する責任(R2P)の原則が機能しない事例として、国際社会の限界を示す事例ともなっている。

シリア内戦の死者数は二〇二三年までに約五〇万人に達したとされ、第二次世界大戦後最大規模の人道危機の一つとなった。アサド政権の支配地域ではバレル爆弾(無差別爆撃兵器)が民間地域に使用され、国際人道法の重大な違反として非難された。シリアからの難民の大量流入はヨーロッパでの右派ポピュリズム台頭の一因ともなり、移民・難民政策をめぐる政治的対立を深めた。

内戦中にシリア国内から逃れた難民は二〇二三年時点で約六五〇万人とされ、世界最多規模の難民危機となった。難民条約に基づくノン・ルフールマンの原則は、シリア難民を迫害の恐れのある国へ強制送還することを禁じているが、トルコ・レバノン・ヨルダンなどの受け入れ国での処遇は一様ではない。アサド政権崩壊後のシリアでは、多様な民族・宗派が共存できる新たな国家体制の構築が課題となっている。

監修者 taisa68
最終更新日 2026-04-27