第9章 国際政治の動向と課題

アウン=サン=スー=チー

アウン=サン=スー=チー

アウン=サン=スー=チーはミャンマーの民主化においてどのような役割を果たしたか?

アウン=サン=スー=チーは、ミャンマー(旧ビルマ)の民主化運動の象徴的指導者だ。一九八八年、軍事政権に対する大規模な民主化デモが起きた際に帰国し、国民民主連盟(NLD)を結成して運動を指導した。軍事政権によって一九八九年から断続的に自宅軟禁に置かれながらも非暴力抵抗運動を続け、一九九一年にノーベル平和賞を受賞した。二〇一〇年に軟禁から解放され、二〇一五年の総選挙でNLDが圧勝し国家顧問として事実上の最高権力者となった。しかし二〇二一年二月の国軍クーデターにより再び拘束・軟禁された。彼女の存在は、軍事独裁に対して民主主義と非暴力が持つ力を世界に示した事例として、国際社会からの注目を集め続けている。

アウン=サン=スー=チーが生きてきた時代背景はどのようなものか?

アウン=サン=スー=チーは一九四五年六月にラングーン(現ヤンゴン)で生まれた。父親はミャンマー建国の英雄アウン=サン将軍だ。将軍は一九四七年に暗殺されており、彼女は二歳で父を失った。一九六〇年代にインドやイギリスに留学し、オックスフォード大学で政治学を学んだ。一九八八年、入院中の母を見舞うためにミャンマーに帰国すると、軍事政権に反対する民主化デモが全国に広がっていた。一九八八年八月八日の「八八八八事件」では、学生を中心とする数十万人規模のデモが軍に武力弾圧され、数千人が死亡したとされる。この状況を前に彼女は政治活動に身を投じることを決意した。ネ・ウィン将軍による軍事独裁体制のもとで社会主義的な経済政策が失敗し、国民の生活が困窮していた背景がある。

軍事政権はアウン=サン=スー=チーをどのように扱ったのか?

軍事政権は一九九〇年の総選挙でNLDが圧勝したにもかかわらず、結果を無効として権力を引き渡さなかった。アウン=サン=スー=チーは一九八九年から二〇一〇年の間、断続的に合計約一五年間自宅軟禁に置かれた。軍事政権は彼女を国外に追放しようとしたが、出国すれば二度と帰国できないと判断した彼女はミャンマーに留まり続けた。軟禁中もNLD支持者との連絡を維持し、民主化への意志を示し続けた。ノーベル平和賞の授賞式(一九九一年)には本人が出席できず、息子が代理で受賞した。授賞理由は「非暴力による民主主義の実現への努力」だ。国連を含む国際社会は彼女の即時解放と自由選挙の実施を繰り返し求めたが、軍事政権はこれを無視し続けた。

二〇二一年のクーデター後、アウン=サン=スー=チーはどうなったのか?

二〇二一年二月一日、国軍は二〇二〇年総選挙の不正を理由にクーデターを決行し、アウン=サン=スー=チーを含む民選政府幹部を拘束した。軍は緊急事態宣言を発令して全権を掌握した。国内では軍への抵抗運動(市民的不服従運動)が広がり、軍は弾圧を強化した。多数の死者・拘束者が出て、多くの市民が国内難民・国外難民となった。アウン=サン=スー=チーは秘密裁判にかけられ、汚職・通信機器法違反などの罪で合計二七年の実刑判決を受けた。国際社会からは釈放を求める声が上がったが、軍政はこれを無視している。ミャンマーの少数民族ロヒンギャへの迫害(二〇一七年以降)はジェノサイドと認定する国も複数あり、アウン=サン=スー=チーが国家顧問在任中にこの問題に対処しなかったことは国際的な批判を招いた。民主化の象徴だった彼女の拘束は、民主主義が軍事力によっていかに脆弱であるかを示す事例だ。ミャンマーの状況は国連人権理事会・国際刑事裁判所(ICC)・ASEAN(東南アジア諸国連合)による対応が問われている。

アウン=サン=スー=チーは非暴力抵抗運動の象徴として、マハトマ・ガンジーやネルソン・マンデラと並ぶ存在として世界から評価されてきた。彼女の父アウン=サン将軍もビルマ独立の英雄として民族的英雄視されており、その娘としての彼女への期待は大きかった。ミャンマーの軍事独裁体制は長年にわたり「開発独裁」の性格を持ち、外国投資を呼び込みながら政治的抑圧を続けるというモデルを採用した。ミャンマーはアジア最後の孤立した独裁国家の一つとして国際社会から経済制裁を受けてきたが、二〇一〇年代の民主化移行後は制裁が緩和された。しかし二〇二一年のクーデターにより再び国際的孤立と制裁の対象となっている。少数民族ロヒンギャへの弾圧は、彼女が国家顧問在任中に起き、国際刑事裁判所(ICC)や国連がジェノサイドの可能性を示唆した。この問題への彼女の対応は、人権擁護者としての彼女の評価と大きく矛盾するものとして世界的な批判を呼んだ。ミャンマーの民主化問題は現在も進行中であり、国際社会の対応が問われ続けている。

ミャンマーの民主化問題は、軍事独裁体制と国際社会の介入の限界を示す現代的事例だ。アウン=サン=スー=チーが軟禁中に受け取ったノーベル平和賞は、世界各地の民主化運動を勇気づけるシンボルとなった。国連安全保障理事会はミャンマーへの制裁決議にロシアと中国が拒否権を行使するため、強制的措置をとれない状況が続いている。市民的不服従運動では医師・教師・公務員がストライキを行い、軍への協力を拒否した。二〇二四年現在もミャンマー国内では国軍と抵抗勢力の戦闘が続いており、国内避難民は二〇〇万人を超えている。

監修者 taisa68
最終更新日 2026-04-27