第9章 国際政治の動向と課題

湾岸戦争

湾岸戦争

湾岸戦争とは何か

湾岸戦争は、1990年8月のイラクのクウェート侵攻を受けて、1991年1月から2月にかけて米国を中心とする多国籍軍がイラクを攻撃した国際紛争である。冷戦終結直後の国際秩序の試金石となった戦争として位置づけられる。

経過

1990年8月2日、イラクのフセイン大統領は石油資源と債務問題を背景にクウェートに侵攻・併合した。国連安保理は撤退を繰り返し要求したが応じず、1991年1月17日に多国籍軍が砂漠の嵐作戦を開始し、約6週間の戦闘でイラク軍をクウェートから駆逐した。

多国籍軍の構成

多国籍軍は米英仏など34か国で構成され、総兵力は約70万人に達した。アラブ諸国のエジプト、サウジアラビアなども参加し、国際社会の広範な連合が実現した。

湾岸戦争はどのような法的根拠で行われたか

湾岸戦争は国連憲章に基づく集団安全保障の初めての大規模な発動例となった。冷戦後の国際秩序における安保理の役割を象徴的に示した。

安保理決議678

国連安保理は1990年11月の決議678でイラクに対し1991年1月15日までの撤退を要求し、期限後には必要なあらゆる手段の行使を加盟国に認可した。これは朝鮮戦争以来の集団安全保障の発動であり、冷戦の終結を象徴した。

国連憲章第7章の適用

決議は国連憲章第7章に基づく強制措置として採択された。米ソの対立解消によって安保理が機能回復し、国際法に基づく侵略への集団的対応が可能になったことが示された。

湾岸戦争は国際政治に何をもたらしたか

湾岸戦争は、冷戦直後の新秩序の象徴としてブッシュ(父)大統領が新しい国際秩序を提唱する場となった。一方で、戦後イラクの統治や経済制裁をめぐる長期の問題を残すことになる。

新しい国際秩序の構想

米国は湾岸戦争の成功を国連中心の新しい国際秩序の成立と位置づけた。冷戦後の国際社会が国際法違反にどう対処するかを示すモデルケースと見なされた。

日本の対応と国際貢献論

日本は総額130億ドルの資金支援を行ったが、人的貢献の不在を批判された。この経験が1992年の国際平和協力法(PKO法)制定につながり、自衛隊の海外派遣の出発点となった。

湾岸戦争後に残された課題は何か

湾岸戦争は短期決戦で終結したが、中東地域の不安定は解消されず、10年以上にわたる経済制裁とイラク戦争の伏線を残した。

経済制裁の長期化

国連は大量破壊兵器査察への非協力を理由にイラクへの経済制裁を継続した。制裁は民生に深刻な被害を与え、フセイン政権の求心力維持に逆利用される結果も生んだ。

2003年イラク戦争への伏線

湾岸戦争後の査察問題と大量破壊兵器疑惑は、2003年のイラク戦争開戦理由の土台となった。湾岸戦争は一つの事件の終わりであると同時に、中東紛争の新たな段階への入口ともなった。

監修者 taisa68
最終更新日 2026-04-23