ペレストロイカ
ペレストロイカとは何か
ペレストロイカはロシア語で「立て直し」「再構築」を意味する語で、1985年に就任したゴルバチョフ書記長が提唱したソ連改革の包括的政策を指す。経済、政治、社会、外交の各領域で既存体制を刷新する試みであった。
語の意味と範囲
ペレストロイカは単なる経済改革ではなく、社会主義体制の全面的再設計を含む広義の改革運動として使われた。当初は社会主義体制の枠内での改革を意味したが、やがて体制そのものの転換へと発展した。
改革の背景
1970年代以降のソ連経済は停滞し、計画経済の非効率、技術革新の遅れ、消費財不足が深刻化していた。ブレジネフ時代の「停滞の時代」を打破するため、抜本的な改革が不可欠とされていた。
ペレストロイカはどのような内容を持ったか
ペレストロイカは経済改革、政治改革、社会改革、外交改革の4領域で同時並行に進められた。各領域は相互に関連し、全体として社会主義体制の性格を大きく変えた。
経済改革の柱
1987年の国営企業法で企業の自主権を拡大し、1988年には協同組合法で個人の経済活動を容認した。中央計画経済の緩和と市場原理の部分的導入が進められ、新しい経済主体が出現した。
政治改革の進展
1988年の第19回党協議会で人民代議員大会の設置が決まり、複数候補制選挙が導入された。1990年には共産党の指導的役割を定めた憲法第6条が撤廃され、複数政党制への道が開かれた。
改革はどのような困難に直面したか
ペレストロイカは期待された経済成果を生まず、かえって物資不足、インフレ、地下経済の拡大を招いた。同時に政治的自由化は民族問題と地域主義を表面化させ、体制全体を揺るがした。
経済的混乱
計画経済と市場の併存は二重価格問題を生み、消費財不足が深刻化した。1989年以降は行列と配給制が日常化し、改革への不満が高まった。1990年代には急激な経済縮小に至った。
民族問題の噴出
中央アジア、バルト三国、コーカサス地方で民族運動が活発化し、独立要求が強まった。ソ連中央の統制力は弱まり、各共和国が主権宣言を行う主権のパレードと呼ばれる現象が起きた。
ペレストロイカは何を遺したか
ペレストロイカは意図した社会主義の再生には結びつかず、1991年のソ連解体という大きな帰結を迎えた。しかし冷戦終結、東欧の民主化、核軍縮など世界史的な転換の引き金となった。
冷戦終結への寄与
ペレストロイカと新思考外交は、東欧の民主化を平和的に進める条件を作った。軍縮交渉の推進、制限主権論の放棄、軍備管理条約の締結など、冷戦構造の解消に直接的影響を与えた。
ロシアと旧ソ連地域の現在
ペレストロイカの試みは旧ソ連諸国の市場経済化と政治体制の多様化の出発点となった。成功と失敗の評価は現在も分かれるが、20世紀後半の国際政治を転換させた改革であったことに異論はない。