ブッシュ=ドクトリン
ブッシュ=ドクトリンとは何か
ブッシュ=ドクトリンは、2001年のアメリカ同時多発テロ事件を受けて、ブッシュ(子)政権が打ち出した対外安全保障政策の基本方針である。テロリズムと大量破壊兵器の脅威に対し、先制攻撃を含む強硬な姿勢を示した点が特徴である。
発表の経緯
2002年1月の一般教書演説でブッシュ大統領は、イラク、イラン、北朝鮮を悪の枢軸と名指しで批判した。同年9月に公表された国家安全保障戦略(NSS)によって、先制攻撃と一国主義を柱とする新戦略がドクトリンとして定式化された。
ドクトリンの性格
ブッシュ=ドクトリンは冷戦期の抑止・封じ込めを超え、脅威の排除を積極的に行う戦略として位置づけられた。米国が主導する新しい国際秩序の確立を目指す理念と実践の融合体であった。
ブッシュ=ドクトリンはどのような要素を含むか
ドクトリンは複数の原則を組み合わせた総合的戦略である。
先制攻撃
攻撃される前に脅威を排除する先制攻撃の権利を明示的に主張した。大量破壊兵器を持つテロ国家や過激派組織への即応的武力行使を正当化する論理であった。
テロ支援国家への対応
テロ組織と、それを匿う国家を同等の敵と見なす立場を示した。タリバン政権下のアフガニスタンが最初の適用例となり、その後のイラク戦争の論拠となった。
ブッシュ=ドクトリンはどのような結果を生んだか
ドクトリンは米国の対外戦略を大きく変え、一連の軍事介入を引き起こした。
アフガニスタンとイラクへの適用
2001年のアフガニスタン戦争ではタリバン政権崩壊、2003年のイラク戦争ではフセイン政権崩壊という直接的成果を生んだ。しかし戦後統治の失敗と中東全域の不安定化も招いた。
民主主義促進との結合
ドクトリンは中東民主化を米国の使命とみなす考えとも結びつき、イラク戦争後の民主的体制移行を戦略目標に据えた。現実には宗派対立と政治混乱が深まり、構想は期待された成果を上げなかった。
ブッシュ=ドクトリンは何を残したか
ドクトリンは米国の国際行動のあり方を再定義したが、その後の失敗の数々によって強い反省を招いた戦略となった。
国際法との関係
先制攻撃は国連憲章の自衛権規定と緊張関係にあり、国際法学界で激しい議論を呼んだ。武力行使の正当性の範囲をめぐる論争は、その後の国際紛争にも影響を与え続けている。
オバマ政権以降の修正
2009年のオバマ政権発足後、米国は多国間協調と関与縮小へと舵を切った。ブッシュ=ドクトリンは事実上破棄されたが、その影響は中東政策や対テロ戦略に長く残り続けている。