植民地独立付与宣言
植民地独立付与宣言とは何か
植民地独立付与宣言とは、1960年12月14日に国連総会で採択された決議(決議1514(XV))で、正式名称は「植民地と植民地人民に対する独立付与に関する宣言」である。全ての植民地人民の自決権を国際的に確認した歴史的宣言である。
宣言の基本的性格
この宣言は、植民地主義を「国連憲章、世界人権宣言に反するもの」として明確に否定し、植民地人民に対する独立の付与を国際社会の責務として宣言した。賛成89か国、反対0か国、棄権9か国(植民地保有国など)で採択された。
宣言の採択年である1960年は、アフリカで17か国が独立を達成した「アフリカの年」と呼ばれる画期的な年であった。脱植民地化の時代を決定づける象徴的出来事として、この宣言は歴史に刻まれている。
植民地独立付与宣言はどのような仕組みで機能したか
植民地独立付与宣言は、国連総会決議として採択されたため法的拘束力は持たないが、植民地主義否定の国際規範として強い道義的拘束力を発揮した。以後の植民地問題の扱いを根本から変えた。
宣言の実施
宣言の採択後、国連は「植民地独立付与宣言の実施状況を調査する特別委員会」(24か国特別委員会)を設置した。この委員会は現存する植民地地域を監視し、独立への移行を支援する機能を果たした。
1960年代から1970年代にかけて、アジア・アフリカ・太平洋地域の多くの植民地が独立を達成した。1980年代には残された植民地の多くが自治権を獲得し、独立の動きは完成に近づいた。国連の植民地独立の議論はこの宣言を基礎として展開された。
植民地独立付与宣言はなぜ採択されたか
宣言が採択された背景には、1950年代後半からのアフリカを中心とする独立運動の急速な高揚と、新興独立国が国連総会で多数派を形成しつつあった国際政治の変化がある。
採択の経緯
1960年の「アフリカの年」を機に、新興独立国の増加により国連総会の構成が大きく変化した。これらの新興国は植民地主義の早期終結を求め、植民地保有国に圧力をかけた。ソ連は植民地主義を西側資本主義の問題点として批判し、宣言の採択を強く推進した。
ソ連のフルシチョフが同年9月の国連総会で植民地主義終焉の必要を訴え、植民地独立付与宣言の草案が提出された。植民地保有国は反対したが、棄権にとどめ、総会で採択された。冷戦期の東西対立の構図とアジア・アフリカの独立運動が重なり合って実現した宣言である。
植民地独立付与宣言と現代国際秩序はどう関わるか
植民地独立付与宣言は、現代国際法における自決権の確立に決定的役割を果たした。植民地主義の否定は、現代国際秩序の基本原理の一つとして確立された。
自決権の確立
1966年の国際人権規約(社会権規約・自由権規約)の第1条に「すべての人民は自決の権利を有する」と明記された。植民地独立付与宣言は、この自決権の条約化の前提となった。
国際司法裁判所も、1971年のナミビア勧告的意見や、2019年のチャゴス諸島勧告的意見で、植民地独立付与宣言に示された自決権を慣習国際法上の規範として認めている。
現代への影響
現代も一部の地域(西サハラ、パレスチナ、フォークランドなど)で、植民地問題や自決権をめぐる争いが続いている。植民地独立付与宣言はこれらの問題の解決にあたって基本的参照枠として機能する。
先住民族の権利、旧植民地への賠償問題、歴史的不正義への対応など、現代の国際政治でも宣言の理念は新しい形で展開している。宣言を過去のものとせず、現代の課題の中で読み直す営みが続いている。