第9章 国際政治の動向と課題

李承晩ライン

李承晩ライン

李承晩ラインとは何か

李承晩ラインは、1952年に韓国の李承晩大統領が日本海と黄海に一方的に設定した海域境界線である。正式名称は韓国では平和線と呼ばれる。この線の設定により、ラインの韓国側水域での日本漁船の操業が禁止され、多数の日本漁船拿捕事件が発生した。日韓関係史の中で、漁業問題と竹島問題を大きく規定する出来事となった。

なぜ李承晩ラインは引かれたのか

1952年1月18日、韓国の李承晩大統領は海洋主権宣言を発表した。これは、韓国周辺の広い海域で、漁業資源、海底資源、国防に関する排他的主権を主張するもので、この境界を示す線が後に李承晩ラインと呼ばれた。宣言はサンフランシスコ平和条約の発効直前に発表され、戦後日韓関係の枠組み作りに大きな影響を与えた。

背景には、戦前から戦後直後にかけての日本漁船の活動と、韓国近海の漁業資源への韓国側の危機感があった。当時、日本の漁業能力は韓国より高く、ラインを設けないと韓国の漁業が圧迫されるとの判断があった。また、日本との国交回復交渉で日本に対する圧力を強める外交手段という側面もあった。

ラインはどの海域をどう区切ったのか

李承晩ラインは、対馬、五島列島、済州島周辺などを含む広範囲の海域を韓国側水域として宣言した。この海域は当時の国際法が認めていた領海幅を大きく超え、国際法上の根拠に乏しいものだった。日本政府は直ちに抗議し、国際法違反として受け入れない姿勢を示した。

特に重要なのは、この線が竹島を韓国側に含む形で引かれたことである。竹島は歴史的にも国際法的にも日本固有の領土であるとの日本の立場から見ると、ラインは竹島を実効支配下に置くための手段でもあった。ラインの設定は、単なる漁業境界の問題ではなく、竹島の領有権問題と密接に結び付いている。

李承晩ラインはどんな被害と影響を生んだのか

李承晩ラインの設定は、日本漁船に対する拿捕と漁民の抑留、竹島の実効支配強化など、深刻な影響を生んだ。日本の漁業と漁民の生活に直接的な打撃を与え、日韓両国間の感情的な対立を強める原因となった。

日本漁船の拿捕被害はどの程度だったか

1952年のライン設定から1965年の日韓国交正常化までの間に、韓国側によって拿捕された日本漁船は300隻以上、抑留された日本漁民は約4000人に達した。拿捕された漁船の多くは没収され、抑留された漁民は長期間にわたり釜山などの収容所に留め置かれた。抑留中に死亡した日本人もいた。

日本政府は繰り返し抗議し、国際法違反として損害賠償を求めた。しかし、韓国政府はラインの正当性を主張し、抑留者の解放は人道問題ではなく、国交正常化交渉の政治カードとして扱った。多くの漁民の家族にとって、長期抑留は大きな苦しみとなり、戦後日韓関係の初期における大きな負担となった。

竹島の実効支配はどう進んだか

李承晩ラインの設定と並行して、韓国は竹島への実効支配を強化した。1953年頃から韓国の警察官や民間人が竹島に常駐し、施設の建設や武装警備の配置が進められた。日本は外交ルートで抗議を繰り返したが、実効的な対抗手段を取れず、現在まで続く竹島の韓国による実効支配が固定化された。

日本政府は1954年に、竹島の領有権問題を国際司法裁判所に付託することを提案したが、韓国はこれを拒否した。以後、日本は同様の提案を繰り返しているが、韓国は一貫して拒否している。李承晩ラインの設定は、戦後の竹島問題の実質的な起点となった出来事である。

李承晩ラインはどのように終わり、その後何を残したのか

李承晩ラインは、1965年の日韓国交正常化と日韓漁業協定によって事実上廃止された。しかし、ラインの下で固定化された竹島の実効支配問題は現在も続き、日韓関係の構造的な問題として残されている。

1965年の日韓漁業協定で何が変わったか

1965年の日韓国交正常化と同時に結ばれた日韓漁業協定により、李承晩ラインは法的に廃止された。両国は共同漁業水域や、漁業秩序の管理のための仕組みを整え、漁業紛争を避ける制度を作った。抑留されていた日本漁民も帰国し、長年の苦しみから解放された。

1998年には新しい日韓漁業協定が結ばれ、国連海洋法条約に基づく排他的経済水域の時代に合わせた漁業秩序が再構築された。旧協定の仕組みが見直され、日韓両国が重なる海域での共同管理や共同調査の枠組みが整えられた。漁業問題は制度化されたが、竹島問題は依然として漁業協定では解決できない政治問題として残っている。

現代の日韓関係にどんな影響を残しているか

李承晩ラインの下で固定化された竹島の実効支配は、現在も続いている。日本政府は引き続き日本固有の領土である竹島の不法占拠を非難し、国際司法裁判所への付託を求めているが、韓国は応じていない。定期的に竹島関連の記念行事や軍事訓練が行われ、両国の外交的摩擦の原因となっている。

李承晩ライン自体は廃止されたが、戦後日韓関係の始まりにおいてこのラインが果たした役割と、それが生んだ感情的、政治的、法的な痕跡は、現在まで続いている。日韓関係を理解するうえで、李承晩ラインは避けて通れない歴史的出来事の一つである。

監修者 taisa68
最終更新日 2026-04-23