ナショナリズム
ナショナリズムとはどのような考え方なのか
ナショナリズムとは、自分たちを一つの国民として意識し、その国民が政治の担い手になるべきだと考える思想や運動である。単なる愛国心より広く、国家の正統性を誰が支えるのかという問題にまで関わる。国際政治では、国境、国家、主権、戦争、独立運動を考えるときに避けて通れない力である。
なぜ近代になって強い力を持つようになったのか
前近代のヨーロッパでは、人びとの帰属先は村落、身分、王朝、宗教共同体などに分かれていた。ところが近代になると、中央集権化、標準語の普及、印刷物、学校教育、徴兵制、全国市場の形成が進み、離れた地域の人びとが同じ国民の一員だと感じやすくなった。ここで国家と国民が結び付く条件が整っていく。
したがってナショナリズムは、感情だけで自然に生まれたものではない。近代国家が住民を把握し、教育し、動員し、共通の歴史や象徴を広める中で強まった政治意識でもある。国旗、国歌、祝祭、記念碑、歴史教科書は、その意識を形づくる具体的な手段だった。
国民国家の形成とナショナリズムはどう結び付いているのか
国民国家は、主権国家の枠組みの中で、国家の正統性を国民へ結び付けた国家である。ナショナリズムは、その国民国家を支える感情と理屈を与えた。国家は国民のものだと考えることで、王朝や帝国ではなく、国民が国家を作るという発想が広がったのである。
この結び付きによって、国家は単なる支配装置ではなく、国民の意思を代表する主体として語られるようになった。外交や戦争も、王の利益のためではなく、国民の安全や名誉のためだと説明されやすくなった。ここに、近代国際政治の大きな変化がある。
フランス革命はナショナリズムをどう変えたのか
1789年のフランス革命は、ナショナリズムを近代政治の中心へ押し上げた転換点である。革命以前にも共同体への帰属意識はあったが、国家の主権が国民にあると正面から主張したことで、国民が政治秩序の正統な担い手だという考え方が一気に広がった。
革命は国民をどのように政治の前面へ出したのか
フランス革命では、第三身分こそが国民であるという主張が旧来の身分秩序を揺さぶった。人権宣言は、自由と平等を持つ市民が政治共同体を構成するという原理を示した。ここでナショナリズムは、民族だけでなく、市民としての参加と主権在民を支える考え方として働いた。
統一運動や独立運動ではどのように働いたのか
十九世紀のドイツ統一やイタリア統一では、分かれていた地域や諸邦を一つの国民国家へまとめる原理としてナショナリズムが使われた。同じ言語や歴史を共有する人びとは、一つの国家を持つべきだという考え方が統一運動を支えたのである。
一方で、ギリシャ独立や東欧の諸民族運動のように、帝国支配から離れて自分たちの国家を持とうとする独立運動にもナショナリズムは働いた。ここではナショナリズムが解放の原理として現れ、帝国や外来支配に対する抵抗を正当化する言葉になった。
ナショナリズムは帝国や多民族国家にどんな影響を与えたのか
ナショナリズムは国民国家を支えるだけでなく、帝国や多民族国家を不安定にする力にもなった。帝国は複数の民族、宗教、言語を包み込みながら成り立つが、各集団が自分たちこそ独立した国民だと主張し始めると、その統合は揺らぎやすくなる。
帝国の解体と民族自決はどう結び付いたのか
第一次世界大戦後、オーストリア゠ハンガリー帝国やオスマン帝国の解体が進むと、民族自決の考え方が国際政治の表舞台に出た。ウィルソンの十四か条でも、帝国支配の見直しや住民の意思尊重が強く意識された。ここではナショナリズムが、新しい国家を生み出す原理として働いたのである。
しかし現実には、国境線と民族分布が一致する地域は少ない。少数民族が新国家の内部に残されたり、同じ民族が複数の国家にまたがったりするため、民族自決はすぐに新たな少数民族問題や領土対立を生んだ。ナショナリズムは帝国を崩すが、その後の秩序を自動的に安定させるわけではない。
植民地支配からの独立ではどのような役割を果たしたのか
二十世紀のアジアやアフリカでは、ナショナリズムは反植民地運動の原動力になった。インド、インドネシア、ベトナム、アルジェリアなどでは、外部支配に対し、自分たちの国民が自分たちの政治を決めるべきだという主張が独立運動を支えた。
国連憲章第1条2項や国際人権規約第1条でも、人民の自決の考え方が明記されている。したがってナショナリズムは、排外的な力としてだけでなく、植民地支配から抜け出すための解放の力としても理解しなければならない。ただし独立後には、旧植民地境界の中で多様な住民をどう統合するかという別の難題が残る。
さらに革命政府は徴兵制を進め、国民皆兵の発想を広げた。国家は住民を広く動員し、戦争は王の私戦から国民全体の戦いへ変わっていく。これによってナショナリズムは、政治の正統性だけでなく、国家を支える動員の力としても非常に強い意味を持つようになった。
ナショナリズムは民主政治を支える一方で何を生み出したのか
ナショナリズムは、人びとに共通の政治共同体への帰属意識を与え、代表制や福祉や徴税を支える連帯を作ることがある。見知らぬ他者と税負担や公共サービスを分かち合うには、同じ社会を作っているという感覚が必要になりやすい。その意味でナショナリズムは民主政治を支える面を持つ。
なぜ排外主義や軍国主義と結び付きやすいのか
国民を一つにまとめる力が強いほど、その外にいる人びとを異質な存在として見る傾向も強まりやすい。経済不安や戦争の危機が高まると、ナショナリズムは移民排斥、少数者差別、歴史修正主義、領土拡張の主張と結び付くことがある。自国民の安全や名誉を守るという言葉は、攻撃的な政策を正当化する口実にもなりうる。
二十世紀前半のファシズムやナチズムは、その極端な例である。国家への忠誠と民族的一体性が絶対視されると、異論や少数者の権利は抑え込まれやすくなる。ナショナリズムは統合の力であるが、法の支配や人権保障と切り離されると、非常に暴力的な形をとりうる。
二つの世界大戦は何を示したのか
第一次世界大戦では、各国のナショナリズムが総力戦を支える動員力になった。国民国家どうしの競争が激しくなると、外交上の対立は容易に国民全体の敵対へ広がる。戦争後に民族自決が語られたのも、この破壊の経験と無関係ではない。
第二次世界大戦では、排他的で攻撃的なナショナリズムが大量虐殺や侵略戦争と結び付いた。戦後に国連、国際人権保障、地域統合が重視された背景には、国家の主権や国民意識だけでは秩序を保てないという反省がある。ナショナリズムは消えなかったが、法や国際協力でどう抑制するかが大きな課題になった。
現代の国際政治でナショナリズムはどう問い直されているのか
冷戦後もナショナリズムは弱まらなかった。むしろ帝国や連邦の崩壊、移民の増加、経済格差、地域統合への反発の中で、新しい形で表れ続けている。現代の国際政治では、ナショナリズムは過去の現象ではなく、いまも国家と社会を動かす力である。
冷戦後の民族紛争や地域統合は何を示しているのか
旧ユーゴスラビアの解体では、民族的ナショナリズムが国家分裂と武力紛争に直結した。旧ソ連圏でも、独立国家の形成と少数民族問題が同時に進み、ナショナリズムの解放と対立の両面が改めて示された。国家を作る力と、隣接集団との対立を深める力が表裏一体であることは、現在も変わっていない。
グローバル化の時代にどう向き合うべきなのか
グローバル化が進んでも、選挙、福祉、教育、旅券、国境管理はなお国家単位で運営される。そのためナショナリズムが完全に消えることは考えにくい。問題は、その感情を民主的な連帯に使うのか、排外主義に使うのかである。
現代では、愛着そのものを否定するより、法の支配、人権、多様性尊重と両立する形で国民意識を保てるかが問われている。ナショナリズムを理解するとは、独立や連帯を求める正当な力と、差別や暴力を生む危険な力を切り分けながら、国際政治の現実を読むことにほかならない。
その一方で、欧州連合のような地域統合が進んでも、ブレグジットのように国家の自己決定を重視する感情は強く残った。移民政策、司法権、財政負担の分担をめぐって、国家主権と地域共同体のどちらを優先するかが争点になる。ここでもナショナリズムは、統合への反発を組織する力として働いている。