オルドヴァイ渓谷
オルドヴァイ渓谷とはどのような場所なのだろうか
オルドヴァイ渓谷はタンザニア北部、セレンゲティ平原の東端に位置する峡谷で、人類進化研究の世界的拠点となっている地域である。英語ではオルドゥヴァイ(Olduvai)と表記されることも多いが、現地のマサイ語「オルドゥパイ」(トリアシナガバナと呼ばれる植物の名)が由来である。東アフリカ大地溝帯に沿って広がるこの渓谷では、深さ約100メートルにわたって200万年前から現代までの地層が連続して露出しており、各時期の石器・動物化石・人類化石が重なり合う形で保存されている。
オルドヴァイ渓谷ではどのような発見があったのか
オルドヴァイ渓谷の発掘を主導したのは、ケニア出身のイギリス人古人類学者ルイス・リーキーとその妻メアリー・リーキーである。1959年にメアリー・リーキーは頑丈型猿人ジンジャントロプス=ボイセイの頭蓋骨を発見し、続いて1960年代には脳容積が猿人より大きく、石器を作る能力をもっていたホモ=ハビリスの化石が見つかった。さらに原人段階のホモ=エレクトゥスや、膨大な量の打製石器、動物の解体痕のある骨も出土し、200万年前ごろの人類生活の様子が立体的に復元できるようになった。
オルドヴァイ渓谷はなぜ重要な遺跡になったのか
オルドヴァイ渓谷の重要性は、豊富な化石と明確な地層序の組み合わせにある。地層はいくつかのベッド(Bed I〜IV)に区分され、それぞれの層に含まれる火山灰や火山岩のカリウム・アルゴン年代測定によって、出土した化石・石器の年代が数万年単位の精度で判定できる。初期の打製石器文化はここから「オルドワン文化」と命名され、人類が道具を作り始めた段階を示す標準モデルとなった。以降に発達したアシューリアン文化(ハンドアックス文化)の起源もこの渓谷の地層で追跡できる。
オルドヴァイ渓谷はどのような環境だったのか
200万年前のオルドヴァイ渓谷は、浅い湖とその周辺のサバンナが広がる環境だった。湖畔では初期ホモ属と頑丈型猿人が共存し、草食動物を狩ったり、肉食獣が残した死肉を利用したりして生活していた。石器の散乱範囲と動物骨の解体痕からは、集団で獲物を処理していた様子がうかがえる。気候変動と火山活動によってやがて湖は縮小し、環境の変化が猿人の絶滅と原人の台頭に関係したと考えられている。
オルドヴァイ渓谷は人類史にどう位置づけられるのか
オルドヴァイ渓谷は「人類揺籃の地」の象徴として、世界遺産リストにも含まれるンゴロンゴロ保全地域の一部として保護されている。最古の石器文化であるオルドワン文化の名の由来となった場所であり、猿人から原人への移行の証拠を一箇所で観察できる唯一無二の遺跡である。ここから得られた成果は、人類の起源をアフリカとする見方を支え、生物進化と文化進化を結びつける研究モデルを提供した。世界史の冒頭を考える上で最も豊富な物的証拠を残した場所として、現在も発掘と研究が続いている。