第9章 国際政治の動向と課題

41_軍備競争と軍備縮小

軍備競争と軍備縮小

1. 導入(問いの提示)

「核兵器をなくすことはできるのか」——この問いに対して、多くの人は「できればそうしたい」と思うだろう。しかし、現実の国際社会では、核保有国は核を手放そうとせず、新たな国が核開発を進めようとしている。なぜ、核軍縮はこれほど難しいのか。

探究の中心的な問い

①「核抑止論」は平和を守る手段といえるのか。それとも、世界をより危険な状態に追い込んでいるのか。

②核保有国と非核保有国の間の「不平等」をどのように解消すればよいか。核軍縮を実現するために、どのような国際的な仕組みが必要か。

これらの問いに対して「正しい答え」は一つではない。様々な立場や利害を比較しながら、自分の考えを形成してほしい。

2. 前提となる基本事項

この問いに向き合うためには、まず「なぜ核兵器が生まれ、なぜ核軍縮が難しいのか」という構造を理解する必要がある。

核抑止論とは何か

核抑止論とは、核兵器を保有することで「攻撃すれば報復される」という恐怖を相手に与え、先制攻撃を思いとどまらせるという考え方である。これは「恐怖による平和」とも言い換えられる。冷戦期のアメリカとソ連は、ICBM(大陸間弾道ミサイル)、SLBM(潜水艦発射弾道ミサイル)、戦略爆撃機という三本柱で互いを牽制し合い、「核の均衡」を保ちながら直接の軍事衝突を避けた。

この論理を同盟国に広げたのが拡大抑止政策(「核の傘」)である。日本はアメリカの核の傘のもとに置かれており、核兵器を持たずに核抑止の恩恵を受けるという立場にある。

安全保障のジレンマ

安全保障のジレンマとは、すべての国が平和を望んでいても、相互不信から軍拡が進んでしまう構造的な問題である。A国が軍備を縮小すると、B国が軍拡を続けた場合にA国は不利になる。そのため、A国は軍縮に踏み切れない。B国も同じ論理で動くため、結果として双方とも軍拡を続けることになる。

この構造は「囚人のジレンマ」というゲーム理論の枠組みで説明できる。「協調すれば双方が得をする」とわかっていても、相手を信頼できない場合には協調が成立しにくい。

NPT体制の構造的矛盾

NPT(核拡散防止条約)は、米・ソ・英・仏・中の5か国のみ核保有を認め、他国の核保有を禁止する体制である。非核保有国はIAEAの査察を受ける義務を負う。この体制は「核不拡散」には一定の効果を発揮してきたが、「核軍縮(保有国が核を削減・廃棄すること)」については拘束力が弱い。イスラエル・インド・パキスタンはNPTに加わらず核を保有しており、「五大国の核は認めるが他は禁じる」という論理への批判は根強い。

この矛盾は、核軍縮を推進したい非核保有国と、核抑止に依存する核保有国(およびその同盟国)の間の利害対立として今も続いている。

核兵器の人道的影響

核軍縮を支持する立場の多くは、核兵器の人道的影響を議論の中心に置く。広島・長崎への原爆投下では、爆発の瞬間だけでなく、熱線・爆風・放射線による死傷、放射性降下物(死の灰)による長期的な健康被害、そして被爆者への社会的差別が継続した。こうした非人道的な結果は、軍事的有効性の有無にかかわらず、核兵器を「特別な倫理的問題を持つ兵器」として位置づける根拠となっている。

2017年に採択された核兵器禁止条約は、この人道的影響への認識を条文の根拠に据えている。前文には「核兵器の使用によって生じる壊滅的な人道上の影響についての深刻な懸念」が明記されており、単なる安全保障の文脈を超えた禁止規範を確立しようとしている。

軍縮と軍備管理の違い

「軍縮(disarmament)」と「軍備管理(arms control)」は区別して理解する必要がある。軍縮とは兵器の実際の削減・廃棄を意味し、軍備管理とは保有量・配備・使用条件を制限することで安定を維持しようとする取り組みだ。核兵器禁止条約は軍縮路線に立つが、INF全廃条約や新STARTは軍備管理の枠組みである。ほとんどの核保有国は軍備管理には応じてきたが、完全な核軍縮には同意していない。この区別を知ることで、「条約があるのになぜ核は残るのか」という疑問への答えが見えてくる。

3. 資料提示

以下の3つの資料を読み取り、後の問いに答えてほしい。

資料A:世界終末時計の推移(抜粋)

「世界終末時計」はアメリカの科学誌「原子力科学者会報(BAS)」が発表する指標で、核戦争・気候変動などの脅威を「午前0時(人類滅亡)」に向かう時計の針で表現する。以下はその推移の一部である。

1947年(終末時計登場):7分前 / 1953年(初の水爆実験):2分前 / 1963年(PTBT調印):12分前 / 1991年(ソ連崩壊・冷戦終結):17分前(最も遠い) / 2020年(INF全廃条約失効):1分40秒前 / 2023年(ウクライナ侵攻・核使用示唆):1分30秒前 / 2025年:1分29秒前 / 2026年:1分25秒前(過去最短)

資料B:核弾頭保有数(推定、2024年時点)

ロシア:5,890発 / アメリカ:5,244発 / 中国:410発 / フランス:290発 / イギリス:225発 / パキスタン:170発 / インド:164発 / イスラエル:90発 / 北朝鮮:40発 / 合計:12,523発

資料C:核兵器禁止条約(2017年)をめぐる各国の立場

核兵器禁止条約は、核兵器の使用・開発・実験・製造を全面禁止する条約である。2021年に発効し、「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」が推進に貢献した。しかし、核保有5か国(米・ロ・英・仏・中)はいずれも署名していない。日本も「核の傘」のもとにあることを理由に署名していない。一方、非核保有国の多くは署名し、「核廃絶への第一歩」として評価している。

4. 資料読み取り

資料Aの読み取り

資料Aから読み取れる事実:世界終末時計の針は、軍縮交渉が進んだ時期(1963年PTBT、1991年冷戦終結)には遠ざかり、核開発や紛争が激化した時期には近づく傾向がある。近年(2020年代)は過去最短水準を更新し続けており、核リスクが冷戦期以来最高レベルにあることが示されている。

解釈の視点:この指標は科学者集団による「主観的な評価」であり、客観的な測定値ではない。しかし、核保有国の政策変化や条約の失効・締結が数値に反映されており、国際政治の緊張度を読む一つの指標として参照できる。

読み取りの注意点:世界終末時計の「近さ」は、核戦争が「近い将来に必ず起きる」ことを意味しない。あくまでも「リスクの高さ」の象徴的表現であり、数値を文字通りに解釈しないことが重要である。

資料Bの読み取り

資料Bから読み取れる事実:ロシアとアメリカの2か国で世界の核弾頭の約89%(5,890+5,244=11,134発)を占めている。NPT非加盟国のパキスタン・インド・イスラエル・北朝鮮も核を保有しており、「合法的な保有国」と「条約外保有国」の両方が存在する。

解釈の視点:絶対数ではなくパーセンテージで見ると、「核軍縮交渉はまず米ロ2か国の問題である」という構造が見える。中国の410発は米ロより大幅に少ないが、近年増加傾向にある点も注目されている。

読み取りの注意点:「保有数」は公式には非公開の場合もあり、数値は推定値である。「推定5,890発」は「正確に5,890発」を意味しない。

資料Cの読み取り

資料Cから読み取れる事実:核兵器禁止条約は、核保有国と「核の傘」のもとにある国が署名していないため、実際に核兵器を持つ国々には法的拘束力が及んでいない。条約は発効しているが、その効力は署名国に限定される。

解釈の視点:この資料は、「法的な禁止」と「実効的な廃絶」の間の大きなギャップを示している。条約があれば核がなくなるわけではなく、条約が誰に適用されるかが決定的に重要である。

5. 探究の問い

資料A・B・Cを踏まえて、以下の問いについて考えてほしい。

問い①:立場の違いに注目する

核保有国(例:アメリカ・ロシア)と非核保有国(例:多くのアジア・アフリカ諸国)では、核軍縮についてどのような立場の違いがあるか。それぞれの立場から「核軍縮を進める(または進めない)理由」を説明してみよう。

問い②:利害と対立を考える

「核の傘」のもとにある日本が核兵器禁止条約に署名しない理由は何か。また、日本が署名した場合、どのような影響があると考えられるか。安全保障のジレンマの観点から考えてみよう。

問い③:時代と状況の変化を考える

冷戦終結後(1991年)は「17分前」まで遠ざかった世界終末時計の針が、2026年には「1分25秒前」と過去最短水準を更新している。この変化はなぜ起きているのか。INF全廃条約の失効・ウクライナ侵攻・北朝鮮の核開発など、具体的な出来事と結びつけて説明してみよう。

6. 判断と表現

以下の課題に取り組んでほしい。

【課題】「核兵器は廃絶すべきか、それとも核抑止のために維持すべきか」というテーマについて、資料A・B・Cを根拠として用いながら、あなたの立場と理由を300字程度で述べなさい。なお、必ず「反対の立場からの反論」にも触れ、それに対するあなたの考えを示すこと。

(資料を根拠として使う例)「資料Bによれば、現在も世界には12,523発の核弾頭が存在しており……」「資料Cに示された通り、核保有国が署名していない条約は実効性に限界があり……」

7. 振り返り

この探究を通じて、自分の考えはどのように変化したか(または変化しなかったか)を振り返ってほしい。

振り返りの視点①:授業(または読書)を始める前、核軍縮について「すればよい」と単純に考えていた人は、安全保障のジレンマや拡大抑止のしくみを知ったことで、どのような新たな問いが生まれたか。

振り返りの視点②:「核なき世界」を実現するためには、どのような条件が必要だと考えるようになったか。条約・検証・信頼の制度化という観点から考えてみよう。

振り返りの視点③:この探究を通じて、まだ解消されていない「新たな疑問」を1つ言語化しなさい。

まとめ

「軍備競争と軍備縮小」を探究することで、平和とは「誰かが善意を持てば実現するもの」ではなく、「国家間の構造的な利害・不信・制度の問題」であることがわかる。核抑止は「恐怖による平和」という逆説の上に成り立っており、その代替を設計することは単純な「廃絶論」でも「現状維持論」でも答えが出ない問いである。資料A・B・Cが示すのは、核リスクが冷戦後最高水準にある現実と、条約の射程が限られるという限界である。あなたが今後の国際社会についてどのように考えるかは、こうした複数の視点を統合した上で、自分の言葉で語れるようになることから始まる。

核軍縮の交渉史を振り返ると、「前進」と「後退」が繰り返されてきたことがわかる。1963年の部分的核実験停止条約(PTBT)から始まり、1968年のNPT、1987年のINF全廃条約、1991年のSTART I、そして2010年の新STARTへと、条約の積み重ねは確かに存在する。しかし2019年にアメリカがINF条約から離脱し、2023年にはロシアが新STARTの履行停止を表明した。核軍縮は一方向に「進歩」するのではなく、国際情勢の変化に応じて揺れ動く動態的なプロセスとして理解することが重要だ。

また、核軍縮の議論は核保有国と非核保有国の間だけでなく、核保有国どうしの間にも複雑な力学がある。米ロが新STARTで戦略核を制限する一方で、中国は条約に参加せず核戦力を増強している。アメリカは中国を含む三国間条約の必要性を主張するが、中国は「米ロの保有数と中国の保有数は桁違いであり、同等に扱うことはできない」と反論する。このように核軍縮は、単純な「核廃絶対核維持」の対立ではなく、各国の安全保障計算と国際的地位が複雑に絡み合った問題である。

核兵器の問題は、「遠い国の話」ではない。日本は唯一の戦争被爆国として、核廃絶を訴える立場にあるとともに、アメリカの拡大抑止(核の傘)のもとで安全保障を維持するという現実的な立場も持っている。この矛盾は単純に解消できるものではなく、「どのような国際秩序を目指すか」という長期的なビジョンと、「今何が現実的に可能か」という短期的な判断の間で、継続的に考え続けることが求められている。

核不拡散の観点から見ると、近年の状況は楽観視できない。北朝鮮は六者会合が停滞した後も核・ミサイル開発を続け、2017年には水爆実験と大陸間弾道ミサイル(ICBM)実験を相次いで実施した。イランは2015年の核合意(JCPOA)からアメリカが2018年に離脱した後、ウラン濃縮活動を再開し、核合意の再建交渉は今も難航している。これらは「核不拡散体制の外縁」が広がる危険性を示している。また、インドとパキスタンの間では核をめぐる緊張が続いており、両国が直接軍事衝突した場合の被害は南アジア全域に及ぶ。NPTに加わらない核保有国の問題は、体制の中心的な課題として残り続けている。

「核なき世界」を実現するための条件として、軍縮研究者はしばしば三つの要素を挙げる。第一は「検証可能性」——条約の履行を独立した機関が確認できること。第二は「普遍性」——主要核保有国すべてが条約の対象になること。第三は「段階的アプローチ」——一度に全廃を求めるのではなく、保有数の削減から始める現実的な手順を踏むこと。これらの条件が整わない限り、いかなる軍縮条約も十分な実効性を持ちえない。理想と現実の距離を冷静に測りながら、次の一手を考えることが求められる。

監修者 taisa68
最終更新日 2026-04-28