青年期と自己形成の課題
はじめに:欲求の多様性と心理的な葛藤
私たちが社会で生きていくうえで直面する多くの問題は、自分たちの心の内部に起因している。青年期に入ると、欲求の複雑さとそれらの衝突に対処しなければならない場面が増える。親との関係、友人との関係、勉強と趣味のバランス、将来への不安―これらはすべて、心の内部で複数の欲求が対立し、その選択が困難になっている状態である。本章では、心理学の観点から、人間がどのような欲求を持ち、どのような心理状態で社会に適応していくのかを理解する。
人間の欲求の構造
人間は生きるための多様な欲求を持っている。これらの欲求には生まれながらのものと、誕生後に社会のなかで獲得されるものがある。生理的欲求は、食欲や性欲、睡眠欲など、生命を維持するための根本的な欲求である。一方、社会的欲求は、社会のなかで他者との関係を築く過程で生じる欲求であり、他者から認められたい、仲間に属したいといった願望を含む。この二つの欲求は並列的に機能するのではなく、むしろ階層的な構造を持っているとアメリカの心理学者マズローは考えた。マズローの欲求段階説は、人間の欲求を5つの階層として整理している。最も低次の欲求は生理的欲求である。次に安全の欲求があり、自分身を危険から守りたいという願いである。その上に所属と愛情の欲求があり、特定の集団に属し、そこで愛されたいという欲求である。さらに上位には承認の欲求があり、他者から尊重されたい、認められたいという欲求である。そして最も高次の欲求は自己実現の欲求であり、自分の能力を最大限に発揮し、自分らしい人生を生きたいという欲求である。低次の欲求である生理的欲求から安全の欲求、承認の欲求までの四つは基本的欲求と呼ばれ、最高位の自己実現の欲求は成長欲求と呼ばれている。この段階説が示すのは、基本的欲求が満たされてはじめて、より高次の欲求へと向かうことができるという人間の心理的な流れである。例えば、まず食べるものがなく安全も脅かされている状態では、自分らしい人生を追求することは難しい。安定した環境が前提として存在してこそ、他者から認められることを求め、さらに自分のやりたいことを追求できるようになるのである。
葛藤と適応:複数の欲求の間での選択
青年期に入ると、複数の欲求が同時に現れ、どちらを優先させるべきか判断に迷う場面が急増する。このような状態を葛藤という。葛藤とは、さまざまな欲求間の対立が生じ、その選択が困難になる心理状態である。欲求の充足を求める個人は、こうした葛藤のなかで社会のあり方や経済のしくみといった外的な環境に適応していく必要がある。適応とは単なる屈服ではなく、自分の内なる欲求と社会的な制約の間で、現実的な歩み寄りを見つけることを意味する。葛藤の形態は、ドイツの心理学者レヴィンによって三つに分類されている。一つ目は接近・接近型葛藤である。これは接近したい欲求が二つ以上存在し、両者を同時には満たせない場合に生じる。放課後に部活に出たいが、誘われたデートにも行きたいという状況は、典型的な接近・接近型葛藤である。二つ目は回避・回避型葛藤である。これは回避したい欲求が二つ以上存在し、どちらかは選ばねばならない場合である。勉強したくないが、それでも親に怒られたくないという板ばさみの状況は、この型に該当する。三つ目は接近・回避型葛藤であり、接近したいものと回避したいものが同一の対象に共存している場合である。部活は続けたいが、学校の成績が下がるのは嫌だという、相反する思いが同時に生じる状況がこれに当たる。葛藤に直面した際、どのように対応するかは青年期の自己形成において重要な課題である。自分の思いを伝えるために周囲へ積極的な働きかけをすることが必要である。同時に、周囲の意見にも耳を傾け、現実的な調整をはかる姿勢が求められている。例えば、部活と勉強の両立が難しい場合、親や友人と話し合い、両者を両立させるための具体的な時間管理を工夫することが考えられる。このような対話と現実的な調整の過程を通じて、青年は自分がどのような価値を大切にしているのかを認識し、自己のあり方を形成していくのである。
欲求不満と防衛機制
欲求の充足が妨げられると、心に緊張が高まる。この状態を欲求不満、またはフラストレーションという。欲求不満が一度限りであれば大きな問題にはならないが、これが次々と積み重なると、心の緊張解消のために攻撃行動、退行(幼児期のような行動をすること)、または目標なき行動などが誘発される可能性がある。しかし、欲求不満耐性―つまり、欲求が満たされない状況に耐えられる心の強さが高められていれば、このような破壊的な行動は現れにくくなる。青年期は、親からの庇護から少しずつ独立していく時期であり、完全には欲求を満たせない状況が増える。そうした環境の中で欲求不満耐性を高める経験を積むことが、大人への成長に不可欠である。また、同一の対象に正反対の感情を同時に持つことをアンビヴァレンスという。例えば、好きな人に対して嫌悪感を感じたり、親への感謝と反発が同時に存在したりする状態である。このように複雑で矛盾した感情は、青年期の心理状態を象徴するものであり、この葛藤の中で自分の感情を整理していくことが自己形成の一過程となる。
無意識の防衛機制
欲求不満や心理的な緊張に対応する方法は、意識的な努力だけではない。オーストリアの精神分析学者フロイトが示した防衛機制とは、無意識に自己を守るしくみである。無意識とは、意識的努力では気づくことのできない心の領域を指す。防衛機制以外に欲求不満を解消する手段も存在する。合理的解決は、要求水準を切り下げたり、迂回路を探したりすることで問題を解決する方法であり、もっとも健全な対応である。一方、攻撃や破壊によって衝動的に緊張を解消しようとする反応も存在するが、これは実質的な解決には至らない。失敗反応とは、欲求不満を解消できないまま心が停滞した状態である。防衛機制にはいくつかの種類がある。抑圧は、欲求不満や不安を無意識に抑え込んで忘却する。例えば、価格が高くて買えなかった本のことを、いつしか忘れてしまう経験は、この抑圧のはたらきである。合理化は、もっともらしい理由や理屈をつけて自分の行動や感情を正当化する機制である。イソップの寓話「酸っぱいぶどう」で有名な事例がこれであり、手の届かないぶどうに対して「どうせあれはすっぱいから」と思い込む心理がそれである。同一視とは、他者の長所を自分のものとみなして満足する機制であり、尊敬する人と自己を重ねることでアイデンティティの基礎を作る機制でもある。投射は、自分の短所を他人のものとみなして非難する機制である。職場で上司に怒られた人が「上司はいつも俺を嫌っている」と感じるのは、自分の不安や劣等感を上司に投影しているのである。反動形成とは、抑圧した欲求と反対の行動をとる機制である。好きな人に対して冷たくしてしまう、という心理がこれに該当する。逃避は、空想の世界などに逃げ込んで不安を解消しようとする機制である。試験が近いのにゲームばかりしてしまう行動も、試験への不安からの一種の逃避である。退行とは、幼児期など発達の前段階に逆戻りする機制を指す。強いストレスを感じた大人が、泣いたり駄々をこねたりするのは典型的な退行の例である。置き換えと呼ばれる機制には、二つの形態がある。代償とは、他の欲求に置き換えて満足を得る機制であり、子どもがいないために猫をかわいがって心の空白を埋める場合がこれに該当する。昇華とは、より高い価値の欲求に欲望を置き換えて満足を得る機制である。失恋したショックから猛勉強をして難関校に合格した経験は、低次の欲求(恋愛)から高次の欲求(自己実現)への昇華の事例として理解できる。防衛機制は、確かに自らを守るしくみとして重要な役割を果たす。しかし、防衛機制に依存していては、真の問題解決には至らない。なぜなら、防衛機制は問題を「心の中で処理する」ことによって一時的な安心を得るだけであり、外的な状況そのものは何も変わっていないからである。青年期には、葛藤や欲求不満を無意識に「ごまかす」のではなく、むしろそれらを意識的に受け止め、自分は何を求めているのか、社会とどう折り合いをつけるべきなのかを考え、合理的に解決する努力を払う必要がある。防衛機制の背景にあるのは、無意識の領域に蓄えられた本能的なエネルギーである。フロイトの理論では、無意識にはイド(またはエス)という欲望の中枢があり、そこにはリビドーという本能的エネルギーが蓄えられている。これらの欲望が自我という意識の領域に表出しようとするが、しつけや教育によって形成された超自我がそれらを検閲し、抑制する。この三つの領域の相互作用が、人間の心理活動の基本的なメカニズムである。また、スイスの心理学者ユングは、自我の下に個人的無意識があり、その下にはさらに全人類共通の集合的無意識があると考えた。集合的無意識には元型(アーキタイプス)と呼ばれる普遍的な心理的パターンが存在し、世界の神話や象徴の類似性から見出すことができるとしている。
パーソナリティの形成と主体的な努力
人間は一人ひとり異なるパーソナリティ(個性、人格)を有している。パーソナリティは、能力、性格、気質からなり、その人固有の心理的特徴を示す。では、このようなパーソナリティはどのようにして形成されるのであろうか。従来の心理学では、パーソナリティが形成される要因として、遺伝と環境という二つを対立軸として捉えてきた。「人間は生まれながらにして異なるパーソナリティをもつのか」という遺伝の側からの問い、「人間は生まれた後の経験と学習によって異なるパーソナリティをもつのか」という環境の側からの問いである。しかし、現在の心理学では、遺伝と環境が相互に影響していると考えられている。これを輻輳説(ふくそうせつ)という。つまり、生まれもった素質が環境との相互作用の中で発達していき、その結果として個性が形成されるというのである。
パーソナリティの分類理論
パーソナリティの違いをどのように分類するかについては、複数のアプローチが提案されている。ドイツの精神科医クレッチマーは、人間の体型に着目し、パーソナリティを分類した。細長型の体型は分裂気質と相関し、非社交的で静かで控えめ、真面目である一方で、時に変人と見なされることがある。肥満型の体型は躁鬱気質と相関し、社交的で善良、親切で温厚な傾向が見られる。闘士型の体型は粘着気質と相関し、誠実で几帳面、我慢強い傾向がある一方で、頑固で爆発性を持つこともある。しかし、これらの体型とパーソナリティの対応関係は、科学的な根拠に乏しく、体型によって性格を決定づけるという発想には多くの疑問が呈されている。現代では、このような体型による分類法は参考程度の位置づけに留まっている。スイスの心理学者ユングは、心的エネルギーの向かう方向と、思考・感情・感覚・直観という四つの心理機能を組み合わせることでパーソナリティを分類した。心的エネルギーが自分の内に向かう人を内向型と呼び、主たる関心が自分の内に向かい、自分の内なる判断基準に基づいて判断し行動する。対照的に、心的エネルギーが外部に向かう人を外向型と呼び、主たる関心が自分の外にあり、その判断基準に基づいて判断し行動する。ユングの分類は、その後の多くのパーソナリティ理論の基礎となった。ドイツ系の哲学者・教育学者シュプランガーは、人生に何を求めるかという価値観の違いでパーソナリティを分類した。彼は理論型(知識を求める人)、経済型(利益を求める人)、審美型(美を求める人)、社会型(他者の幸福を求める人)、権力型(権力と影響力を求める人)、宗教型(信仰と究極の真理を求める人)という六つの類型を提案した。この分類は、何に価値を置き、何を目指して生きるのかというオリエンテーションの違いを示唆している。近年の心理学では、ビッグファイブと呼ばれる5因子モデルが広く用いられている。これは、外向性(他者や環境に対する関心の度合い)、調和性(協調性や共感能力)、誠実性(責任感や自己管理能力)、安定性(感情の安定度)、開放性(新しい経験への開放性)という五つの因子によってパーソナリティを説明する。このモデルは、異なる文化でも一貫性が見られることが確認されており、パーソナリティの普遍的な特性を捉えるものとして認識されている。
青年期における主体的なパーソナリティ形成
青年期に入ると、自己への関心が劇的に高くなる。同時に、パーソナリティの形成に新たな要因が加わる。それが主体的な努力である。児童期までは、遺伝と環境という二つの要因によってパーソナリティがほぼ決定されると考えられてきた。しかし、青年期に入ると、自分をかえたいという主体的な意思と努力がパーソナリティ形成の重要な要素となる。他者との比較を通して、優れた先輩や友人にあこがれ、その姿を目指そうとする。一方で、自分を嫌悪したり、劣等感にさいなまれる経験もする。こうした様々な心理状態を経験する中で、青年は「自分をかえたい」と望むようになり、その実現に向けて主体的な努力を始めるのである。例えば、スポーツで活躍する先輩に憧れ、自分も同じ競技を始めてトレーニングを重ねる、あるいは尊敬する先生の言葉に感銘を受けて、進学先を変更するといった行動は、すべてこの主体的な努力の表れである。
友人関係と相互理解
友人とは何か。この問いは、一見単純に見えるが、実は複雑で深い意味を含んでいる。友人関係の成立には、いくつかの本質的な特質が存在する。人間が成長の過程で、最も気づきやすいのは友人関係の対等性である。友人関係は、親や教師との関係とは異なり、水平的なヨコの関係である。上下関係がないからこそ、素直に接することができ、自分の本当の気持ちを表現できる。第二の特質は自発性である。友人関係は、強制されるものではなく、当事者の主体的な意思によって作られている。第三は相互的互恵性である。友人関係においては、お互いが自己を保ちながら影響しあう関係であり、一方的な依存ではなく、相互尊重の上に成り立っている。友人がいるかどうかは、心理的な安定と大きく関わっている。十三歳から二十九歳を対象とした調査では、「自分には十分な数の友人がいる」と答えた人が全体の六十四パーセントであった。このデータは、多くの若者が友人関係に満足を感じている一方で、一定数の者が友人不足を感じていることを示している。古代ギリシャの哲学者アリストテレスは、フィリア(友情)を極めて重要視し、幸福な人生には友人の存在が不可欠であると述べている。このような見方は、現代にも当てはまる。友人との関係を通じて、自分がどのような人間であるのかを知り、同時に他者への理解を深める。友人関係は、単なる気晴らしではなく、自己形成の基盤となるのである。
心理的距離感とやさしさ
しかし、友人関係においても、適切な心理的距離感を保つことの重要性がある。この問題を説明するのに、よく用いられるのがヤマアラシのジレンマである。ショーペンハウアーが提示した思考実験のこの寓話では、冬の寒い中、身を寄せ合って温まろうとするヤマアラシたちが、互いの棘に傷つきながら、適切な距離を探り合う様子が描かれている。つまり、他者と親密になりたいという欲求と、他者に傷つけられたくないという欲求の間で、人間は揺らぎながら、その時々の適切な距離感を模索しているのである。現代社会では、このような距離感の問題が新たな局面を迎えている。SNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)が普及したことで、連絡がきわめて気軽にとれるようになった。その一方で、既読スルーなど、SNS特有の距離感の取り方に関する悩みが増えている。既読スルーとは、相手のメッセージが既に読まれたことを示す既読表示がついているのに、返信がないことを指す。これは、従来の手紙やメールでは存在しなかった概念であり、SNSが生み出した新たな人間関係の課題である。SNSは一見すると、距離を縮める手段として機能しているが、実は距離感の取り方をより複雑にしている可能性もある。では、他者に対して示すやさしさには、どのような形態があるのであろうか。バスが満席の状態で、高齢者が乗車してきた場合を想定しよう。この状況で座席を譲るべきかどうかは、人によって判断が分かれる可能性がある。一つは、ホットなやさしさとも呼ぶべき対応である。「高齢者の方は困っているだろうから、すぐに席を譲ろう」という、感情的に密着したやさしさである。このやさしさは直感的で温かみがあるが、時に共依存的で、境界が曖昧になりやすいという特性を持つ。もう一つはウォームなやさしさと呼ぶべき対応である。「高齢者の方が困っている様子がないから、席を譲るのを待とう」という、適度な距離を保つやさしさである。このやさしさは相手の自律性を尊重するものであり、境界がしっかりしている分、冷たくみえることもあるかもしれない。重要なのは、この両者のどちらが絶対的に正しいのではなく、時と場合に応じて、二つのやさしさを使い分ける必要があるということである。相手の状況、文脈、そして自分との関係性を総合的に判断し、その時々に最適なやさしさの形態を選択することが、成熟した人間関係を築くための条件となるのである。
恋愛と自己成長
恋愛とは何か。この問いも、一見単純に見えるが、実は人類の歴史を通じて問い続けられてきた根本的な問いである。恋愛はときに喜びと苦しみの双方をともない、人間を成長させる経験である。古代ギリシャの哲学者プラトンは、精神的に結びつく愛を理想の愛とし、これをプラトニック・ラブと呼んだ。同時に、彼は真善美への憧れを「エロース」と呼び、この高尚な欲求が人間を高い理想へと導くと考えた。一方、キリスト教では、神の本質そのものが「神の愛(アガペー)」とされ、条件なく全てを受け入れる無限の愛が強調されている。東アジアでは、儒教において仁(じん)は身近な人間への愛として定義され、人間関係の基盤を形成する徳とされている。仏教では、愛は執着心を意味し、苦しみの原因となるとされており、恋愛に対してより警戒的な見方がなされている。このように、恋愛は文化や歴史によって様々に解釈されてきた。現代日本では、恋愛の捉え方が大きく変わりつつある。非正規社員の増加や正社員の過剰労働によって経済的・時間的な余裕が失われ、また恋愛を面倒だと考える若者が増えてきた。その結果として、「若者の恋愛離れ」という現象が顕著になっている。これは単なる個人的な選好の問題ではなく、社会経済的な構造が若い世代の人生設計と心理に与えている影響の表れである。恋愛経験が減少することは、人間関係における試行錯誤の機会が減少することを意味し、それが自己理解と他者理解の深化に影響する可能性がある。
アイデンティティの確立と発達課題
青年期の最大の発達課題は、アイデンティティ(自我同一性)の確立である。アメリカの心理学者エリクソンが提唱したこの概念は、現代の青年心理学の中核をなしている。アイデンティティとは、「自分らしさ」であり、「自分は何者か」という問いへの回答の一つである。アイデンティティの確立とは、自ら一貫した自分を作り上げることを意味する。一方、アイデンティティの拡散とは、「本当の自分がわからない」「自分は何をすればいいかわからない」といった状態であり、自分のあり方が定まっていない状態である。青年期の多くの者が、このアイデンティティの拡散を経験する。学校生活の中で、勉強に打ち込む自分、友人の中での自分、家族の中での自分といった複数の「自分」が存在し、それらがどのように結びついているのかがわからなくなることがある。または、進路選択の時期に、自分の適性や興味が本当は何なのかがわからず、社会的な期待と個人的な願いの間で揺らぐこともある。このような葛藤の状態が、アイデンティティの拡散である。重要なのは、このような拡散の状態が、青年期の誰もが経験する自然な過程であるということである。むしろ、直面する危機や葛藤に真正面から取り組み、ときに助言を受け入れながら、それらを克服する努力が必要である。その過程を通じて、青年は少しずつ自分のアイデンティティを確立していくのである。
エリクソンの発達段階理論
エリクソンは、人間の発達を八つの段階に分け、各段階には達成すべき発達課題があると考えた。乳児期には基本的信頼が課題であり、信頼できる養育者との関係の中で、世界への信頼感を形成する。失敗すると不信感が残る。幼児期には自律が課題であり、親からの支配を脱して、自分の意思で行動できるようになることが求められる。失敗すると恥と疑惑が残る。児童期には自発性が課題であり、自分の考えで計画を立て実行する力を育てる。失敗すると罪悪感が残る。学童期には勤勉が課題であり、社会的な役割を果たすための知識や技能を習得する。失敗すると劣等感が生まれる。青年期には、これまでに述べたようにアイデンティティの確立が課題である。アイデンティティを確立できないと、アイデンティティの拡散という失敗の状態に陥る。初期成人期には親密が課題であり、他者との深い関係を築き、愛する関係を形成する。失敗すると孤立が生まれる。成人期には世代性が課題であり、自分より次の世代を育て、社会に貢献する責任を自覚する。失敗すると停滞が生まれる。老年期には自我の統合が課題であり、これまでの人生全体を肯定的に受け入れ、死を含めた人生の意味を見つめる。失敗すると絶望が生まれる。各段階が達成されると、対応する人格的活力が生まれるとエリクソンは述べている。例えば、青年期にアイデンティティが確立されると、忠誠(自分の信念や集団への忠誠)という人格的活力が生まれるのである。
他の発達課題の観点
エリクソンの理論に加えて、他の心理学者も青年期の発達課題を提案している。アメリカの心理学者ハヴィガーストは、青年期の発達課題として「両親や他のおとなから情緒的に自立すること」「職業選択のための準備をすること」「社会的責任のある行動を求め、かつなしとげること」の三つを挙げている。これらは、親への依存から独立へ、そして社会での自分の役割の確立へと向かう青年の歩みを示している。イギリスの心理学者オルポートは、成熟した社会人としての人間像を示した。それは、①感情をコントロールするための情緒の安定、②自己を客観視する力、③統一した人生観、④他者との温かい人間関係、⑤ユーモアの自覚を持つ人である。これらの特性を備えることが、大人への成長を意味する。さらに重要なのは、オルポートが違いを違いとして認めたうえで、個人を尊重し合おうとするパーソナリティの形成が求められていると強調したことである。これは、多文化社会の中で、異文化への理解と尊重の重要性を示唆している。例えば、イスラーム教では豚肉が禁止されているため、ハラール(イスラーム教において許されている食材)の概念が重要である。こうした食の多様性(フード・ダイバーシティ)は、国際化の時代に実現させるべき課題の一つとなっているのである。
現代社会における自己形成と対話
家庭は、基礎的な人間関係を築く場である。親との関係の質が、その後の人間関係全体に大きな影響を与える。研究によると、多くの居場所をもてる青年ほど、情緒的に安定して自尊感情をもって他人と接することができるという。居場所とは、自分が存在することが当たり前に認められ、ありのままの自分を表現できる環境を指す。学校、友人グループ、家庭、部活動、趣味の集まりなど、複数の場所で自分の存在を認められることが、青年の心理的な安定性に大きく寄与する。承認され、自分の居場所や存在意義を実感できることは、青年期において極めて重要である。自分に対する肯定感、いわゆる自尊感情をもつことができれば、直面するさまざまな問題に対して前向きに取り組むことができるようになる。逆に、どこにも自分の居場所がないと感じたり、自分の存在を否定されたりすると、人生への希望を失い、問題解決への意欲も失われてしまう。自尊感情は、他者からの承認によって初めて形成されるものなのである。対人関係のなかで大切な点は、対話を通して自らの考えや経験を率直に語り、相手からの応答を自らにフィードバックさせることである。相手の立場に立って共感し、他者理解が進むことで、自分の個性や考え方についての理解も深まる。さらに、自分とは異なる考え方や価値観に気づかされることで、自分の視点の限界に気づき、世界観が広がっていく。このように対話を通じて相互承認を深めていくことで、社会における自己のあり方を確立していくことが重要なのである。
アドラーの共同体感覚
オーストリアの心理学者アドラーは、人間とは自ら主体的な目的に向かって生きる存在であると述べた。人間が何らかの目的に向かって生きるからこそ、自分の能力では足りないと感じ、劣等感が生じるのである。しかし、このような悩みは人間ならば誰しもが持つものであり、それは人間らしさの証でもある。問題となるのは、劣等感が過度になって劣等コンプレックスとなった時である。アドラーが理想とするのは、他者を信頼し、他者に貢献し、自己を受容できる人である。このような人は、他者と共感し、共同体感覚をもつことができる。共同体感覚とは、自分も他者も同じ共同体の一員であり、相互に依存し貢献し合っているという感覚である。アドラーによれば、このような人は、自分自身を勇気づけ、劣等感を克服して前に進むことができるのである。その力を補償(ほうしょう)と呼ぶ。つまり、劣等感があるからこそ、それを乗り越えようとする動機が生まれ、その過程で成長が実現するという考え方である。
知覚と心理実験
私たちが見ているこの世界は、客観的な現実そのものではなく、脳によって加工・解釈された結果である。ミュラー・リヤー錯視という有名な心理学実験は、この事実を明確に示している。矢じり型の図形が二本並べられた図形においては、外向きの矢じりがついた図形の主線が、内向きの矢じりがついた図形の主線よりも長く見える。実際には二本の主線は同じ長さであるにもかかわらず、である。このように、私たちは図形の客観的な性質を主観的に処理する。その際に錯覚を起こすことがある。この実験は、心の誤差を錯視量として測定することができることを示した。つまり、客観的な事実と、それをどのように認識するのかという主観は、必ずしも一致しないということである。この発見は、他者理解においても重要な示唆を与える。相手の行動や言葉を、自分がどのように受け止めるかは、自分の経験や価値観に左右される可能性があるからである。
社会化と道徳性の発達
青年期を経て大人に成長していく過程で、自己中心性を脱することが重要な課題である。スイスの心理学者ピアジェは、人間の認知発達を段階的に捉えた。乳児期には自己中心性が強く、自分の視点だけで世界を認識する。児童期に入ると脱中心化が始まり、自分の視点を離れて、抽象的思考が可能になる。青年期に到ると、他者の考えや気持ちを理解するだけでなく、他者が自分の思考や感情をどう思っているかを予測できるようになる。つまり、メタ認知的な思考が可能になるのである。道徳性の発達についても、段階的な発展が見られる。アメリカの心理学者コールバーグの道徳性発達理論によれば、人間の道徳的判断には三つの水準がある。前慣習的水準では、①罰と服従への志向と②道具主義的な相対主義志向の二段階がある。この水準では、自分が罰せられることを避けたい、または自分の利益を得たいという動機から行動を判断する。慣習的水準では、③対人的同調、「良い子」志向と④「法と秩序」志向の二段階がある。この水準では、他者の承認を得たい、または社会的な規則を守りたいという動機から行動を判断する。後慣習的水準では、⑤社会契約的な法律志向と⑥普遍的な倫理的原理の二段階がある。この水準では、社会全体の利益や普遍的な人権と正義という観点から判断する。青年期には、これらの段階を上昇していく過程が見られ、より高次の道徳的判断が可能になっていくのである。
まとめ
青年期とは、欲求の複雑さに向き合い、自分のパーソナリティを主体的に形成し、他者との相互理解を深める過程を通じて、自分らしいアイデンティティを確立していく時期である。防衛機制に頼るのではなく、葛藤と欲求不満に直面しながらも、それらを意識的に受け止め、合理的に解決しようとする姿勢が求められている。友人との関係において、心理的な距離感を模索し、やさしさの複数の形態を使い分ける経験を通じて、成熟した人間関係が形成される。社会化の過程で、自己中心性を脱し、他者の視点を理解し、より高次の道徳的判断が可能になっていく。家庭や学校、友人グループなど、複数の場所で自分の存在を認められることで、自尊感情が育ち、困難な状況でも前向きに対処する力が生まれる。対話を通じた相互承認を深めることで、社会における自己のあり方が確立される。青年期に直面する様々な課題は、一見すると個人的な悩みに見えるかもしれない。しかし、実はこれらの課題を経験し、乗り越えることで、個人が成熟した大人へと成長し、同時に社会全体が新しい価値観を取り入れ、より良い関係性を築いていく過程なのである。あなた自身が経験している不安や葛藤は、成長への道のりであり、その過程で自分が何を大切にし、どのような人間でありたいのかが徐々に明らかになっていくのである。