キューバ危機
キューバ危機とはどのような出来事か
キューバ危機(Cuban Missile Crisis)は、1962年10月に発生した、冷戦史上最も核戦争の危機に近づいた国際的危機である。ソ連がキューバに核弾頭搭載可能な中距離弾道ミサイルを密かに配備しようとしていることをアメリカが察知し、ケネディ大統領がキューバの海上封鎖(quarantine)を宣言したことで米ソの直接対決が現実のものとなった。13日間にわたる緊迫した交渉の末、ソ連がミサイルを撤去し、アメリカがキューバへの不侵攻を約束する形で危機が回避された。
キューバ危機はなぜ起きたか
1959年にフィデル・カストロ率いるキューバ革命が成功し、親米バティスタ政権が打倒されてアメリカと対立する社会主義政権が成立した。1961年にはアメリカがキューバ亡命者を使ったカストロ政権転覆作戦(ピッグス湾事件)を支援して失敗した。こうした状況のなかで、ソ連のフルシチョフはキューバへのミサイル配備がアメリカに対する核抑止力を強化すると判断した。一方で、当時アメリカはトルコにソ連を射程に収める核ミサイルを配備していたため、ソ連側には「同等の措置だ」という論理があった。
危機はどのように解決されたか
交渉の経緯には様々な要因が複雑に絡んだ。公式には「ソ連のキューバミサイル撤去」と「アメリカのキューバ不侵攻保証」の交換として合意が成立したが、秘密の合意としてアメリカがトルコからのミサイル撤去を約束したことが後に明らかになっている。危機の解決には、両国の指導者が直接交渉できるホットライン(特別通信回線)の必要性が痛感され、翌1963年に米ソ間でモスクワ・ワシントン間の直通電話回線が設置された。
キューバ危機が核軍縮に与えた影響
キューバ危機は「核戦争は現実に起こりうる」という認識を米ソの指導者に共有させた。危機後、「平和共存が関係国の共通の利益である」という認識が広まり、核軍備を抑制しようとする国際的な機運が一気に高まった。1963年に部分的核実験停止条約(PTBT)が締結されたことは、危機が軍備管理への転換点となったことを示している。キューバ危機の経験は、「核の時代には対話と検証が不可欠だ」という核軍縮外交の基本的な教訓として今も参照されている。