第9章 国際政治の動向と課題

戦略兵器制限条約(SALTⅡ)

戦略兵器制限条約(SALTⅡ)

戦略兵器制限条約(SALTⅡ)とはどのような条約か

戦略兵器制限条約(SALTⅡ: Strategic Arms Limitation Talks Ⅱ)は、1972年のSALTⅠに続く米ソ間の第2次戦略兵器制限交渉の成果として結ばれた条約である。1979年6月にアメリカのカーター大統領とソ連のブレジネフ書記長の間でウィーンにおいて調印された。SALTⅠが発射基数のみの制限にとどまっていたのに対し、SALTⅡは多弾頭化(MIRV化)された戦略核戦力の総量を包括的に制限しようとする、より踏み込んだ内容を持っていた。しかし同年末のソ連によるアフガニスタン侵攻を受けてアメリカ上院が批准を拒否し、条約は正式には発効しないまま歴史に残ることになった。

SALTⅡはどのような内容を定めたか

SALTⅡの特徴は、戦略核兵器の運搬手段を包括的な「総枠」で制限した点にある。米ソ双方に対して、ICBM発射機、SLBM発射機、重爆撃機、空中発射弾道ミサイルを合計した運搬手段の上限を2,250基に設定し、そのうち多弾頭化されたものの上限をさらに細かく段階的に定めた。新型ICBMの開発は原則として1種類に制限され、巡航ミサイルの射程や配備にも規定が設けられた。SALTⅠでは制限の外に置かれていた多弾頭化が条約上の対象に組み込まれたことで、SALTⅡは「数の上限」から「実質的な戦力の上限」へと一歩踏み込んだ条約として設計されていた。条約には議定書が付属し、地上・海上配備の長距離巡航ミサイルの扱いや、新型戦略爆撃機への規制などが細目として書き込まれ、将来のSALTⅢへの布石も示されていた。

SALTⅡはどのような背景から生まれたか

SALTⅠが暫定協定として5年間の時限措置だったため、米ソは次の条約を必要としていた。1970年代前半、双方はMIRV化を加速させ、発射基数の制限が実質的な核戦力の抑制につながらない現実が顕在化した。交渉は1972年から始まり、7年にわたって続けられた。この間、1974年のウラジオストク合意で大枠の数値が決まり、細部の詰めに多くの時間が費やされた。1970年代後半はデタントの最盛期でもあり、米ソ双方の政治指導者にとって軍備管理の継続は国内政治上も大きな成果と見なされていた。しかしデタントそのものが揺らぎ始めていた時期でもあり、条約の命運は交渉終盤の国際情勢に大きく左右されることになる。アメリカ国内ではソ連の軍拡を警戒する保守派の声が強まり、上院では批准要件(3分の2の賛成)を満たすことそのものに不安がつきまとっていた。

SALTⅡはなぜ発効しなかったか

1979年6月の調印の半年後、同年12月にソ連がアフガニスタンに軍事侵攻したことで、米ソ関係は急速に悪化した。カーター大統領は当初から批准審議に慎重な米上院議員を説得するため精力的に働きかけていたが、アフガニスタン侵攻は決定打となり、カーターは批准審議の打ち切りをみずから上院に要請した。結果として条約は法的に発効しないまま終わった。ただし米ソ双方は、正式には発効していない条約の数的枠組みを事実上遵守する姿勢を当面は維持し、1980年代半ばまでこの状態が続いた。1981年に発足したレーガン政権はソ連を「悪の帝国」と呼び、SALTⅡの復活には消極的であったが、1986年には米ソとも条約の数値上限を事実上超過する状況となり、暗黙の遵守関係も終焉を迎えた。条約調印と発効の間に政治情勢が急変したことで、SALTⅡは「調印されたが発効しなかった条約」の象徴となっている。

SALTⅡの失敗は何を残したか

SALTⅡの頓挫は、核軍備管理が国際情勢全体の悪化に対していかに脆弱かを示す典型例となった。条約それ自体の技術的な内容の良否ではなく、外部の政治的危機が条約の運命を決してしまうという構図は、その後のSTARTⅡや新STARTをめぐる状況にも繰り返されることになる。SALTⅡ後の1980年代前半、米ソ関係は「新冷戦」と呼ばれる緊張期に入り、ヨーロッパでは米ソ中距離核戦力の配備をめぐって大規模な反核運動が起きた。核軍縮の機運は一度大きく後退したが、この反動のなかから1987年のINF全廃条約という「初めて核兵器を削減・廃棄する条約」が生まれていく。SALTⅡは「失敗した条約」でありながら、次の段階の軍縮への橋渡しを準備した条約として理解するのが適切である。

SALTⅡを読み解く視点は何か

SALTⅡを理解するうえでの鍵は、①条約の内容が当時の核軍拡の現実にどれだけ追いついていたか、②国際情勢の激変が条約を一瞬で空中分解させる構造、の二つである。SALTⅠの発射基数制限がMIRV化の登場によって実効性を失ったことへの反省から、SALTⅡは多弾頭を含めた総枠規制に踏み込んだ。これは軍備管理が「数え方そのものを更新し続けなければ意味がない」ことを示している。他方、調印半年後のアフガニスタン侵攻で条約が葬られたことは、軍備管理が常に政治情勢の人質になり得る現実を浮かび上がらせた。SALTⅡの教訓は、技術の進化に追いつく条約設計と、政治変動に耐える制度設計の両方が必要であるということにある。この教訓は、STARTⅡやモスクワ条約、新STARTの失敗と成功を読み解く座標軸にもなる。SALTⅡの失敗を「昔の出来事」として切り離さず、軍備管理条約が今も直面する同じ問題の古典例として捉える視点が有効である。

監修者 taisa68
最終更新日 2026-04-24