戦略兵器制限条約(SALTⅠ)
戦略兵器制限条約(SALTⅠ)とはどのような条約か
戦略兵器制限条約(SALTⅠ: Strategic Arms Limitation Talks Ⅰ)は、1969年から交渉が始まり、1972年5月にアメリカのニクソン大統領とソ連のブレジネフ書記長の間でモスクワにおいて調印された軍備管理条約である。米ソ間で初めて戦略核兵器そのものの数量に制限をかけた本格的な条約であり、冷戦期の核軍拡競争に一定の枠をはめた画期的な合意として位置づけられる。SALTⅠは「制限(Limitation)」という名称が示す通り、核兵器の削減や廃棄を求めるものではなく、既存の戦略核戦力の「上限」を合意する性格の条約であった。
SALTⅠはどのような内容を定めたか
SALTⅠは主に二つの合意から構成される。一つは戦略攻撃兵器の制限に関する暫定協定であり、大陸間弾道ミサイル(ICBM)と潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)の発射基数に凍結の上限を設定した。この暫定協定はあくまで5年間の暫定措置として位置づけられ、米ソがそれぞれ保有する発射基の現状を基準に上限を固定した。もう一つは弾道弾迎撃ミサイル(ABM)制限条約であり、米ソが配備できる迎撃ミサイル基地を限定した。SALTⅠは攻撃兵器と防御兵器の双方に同時に制限をかけることで、相互確証破壊(MAD: Mutual Assured Destruction)の論理を条約の形で安定化させようとした点に特徴がある。相互確証破壊とは、双方が先制攻撃を受けても致命的な報復核攻撃を行える能力を保つことで、結果として先制攻撃を思いとどまらせるという抑止の論理である。攻撃兵器だけを制限しても、迎撃ミサイルによる防御網が発達すれば相互確証破壊は崩れる。SALTⅠはこの点を踏まえ、攻防一体の枠組みとして設計された。
SALTⅠはどのような背景から生まれたか
1960年代は米ソ双方で核戦力が急拡大した時期であり、両国とも軍事費の膨張に苦しんでいた。1962年のキューバ危機は、核戦争が現実の選択肢となり得ることを双方に突きつけ、米ソ間に「破滅を避けるための対話」が必要だという認識を広めた。1963年には米ソ間にホットライン(直通通信)が開設され、同年に部分的核実験停止条約(PTBT)、1968年に核拡散防止条約(NPT)が成立するなど、核軍備抑制の機運が段階的に高まった。こうした流れの延長線上に、1969年からの第1次戦略兵器制限交渉が位置づけられる。交渉はヘルシンキとウィーンを行き来しながら約2年半にわたって続き、1972年の調印へと結実した。ニクソン政権はベトナム戦争の泥沼化と国内財政の逼迫に直面しており、ソ連側もまた経済的な重圧のなかで軍拡に歯止めをかける政治的動機を持っていた。両大国が並行して対話を選んだ背景には、こうした実利的な計算と冷戦構造の変容がある。
SALTⅠはどのような意義と限界を持ったか
SALTⅠの歴史的意義は、米ソが初めて自国の戦略核戦力に条約上の制限を自ら課したという点にある。それまでの軍備管理は核実験や核拡散に関する間接的な規制が中心であり、主要兵器の保有数そのものに直接の枠をはめた条約は存在しなかった。SALTⅠはデタント(緊張緩和)の象徴的な成果とされ、その後の軍備管理交渉の枠組み——定期的な米ソ首脳対話、検証を前提とした数量制限、攻防両面の同時制限——の雛形となった。
他方で限界も明確であった。①SALTⅠは発射基数(ミサイルや潜水艦の「入れ物」の数)を制限したが、1基のミサイルに搭載される核弾頭数は制限対象外であった。このため、各国は多弾頭化(MIRV化)を進めることで実質的な核戦力を増強することが可能となった。1972年以降、米ソともMIRV化を急速に進め、発射基1基あたりの破壊力はむしろ拡大していった。②暫定協定の性格から5年間の時限措置にとどまり、恒久的な制限ではなかった。③戦略爆撃機など一部の戦略核戦力は対象から外されていた。これらの限界を補うために、続くSALTⅡやSTART交渉が求められていくことになる。
SALTⅠはその後の軍備管理にどうつながったか
SALTⅠは同時に結ばれたABM制限条約とあわせ、「攻撃兵器に上限を設けつつ、防御兵器も制限することで相互の脆弱性を維持する」という戦略的安定性の考え方を確立した。これは、一方が防御を固めれば他方は攻撃力を強化せざるを得ないという軍拡の連鎖を断ち切る発想である。SALTⅠの合意は1979年のSALTⅡ、1991年以降のSTARTシリーズへと受け継がれた。一方、ABM制限条約は2002年にアメリカ(ブッシュ政権)が一方的に脱退し、この脱退がSTARTⅡの発効を妨げる一因にもなった。SALTⅠは冷戦期の核軍備管理の起点であると同時に、その後の条約網がどこで揺らぐかを読み解く手がかりでもある。米ソ二大国が「互いに脆弱であり続けること」を条約で約束したという逆説的な設計思想は、核抑止を制度によって安定化させようとする試みの原型であった。
SALTⅠを読み解く視点は何か
SALTⅠを「最初の本格的な米ソ核軍備管理条約」として押さえるときに見逃せないのは、条約が「核を減らす」ためではなく「核をめぐる競争を安定させる」ために結ばれたという性格である。核抑止論を前提とするなら、重要なのは保有数そのものより、双方が相手に致命的な報復を加えられる状態を維持することにある。SALTⅠはその「致命的な報復が可能な状態」を条約の言葉で固定しようとした試みであった。だからこそ、SALTⅠは核廃絶の条約ではなく、核抑止を前提として運用する条約として理解する必要がある。ここから、同じ「軍備管理」という言葉でも、管理の目的が抑止の安定化なのか、削減の実現なのか、廃絶の促進なのかによって、条約の設計思想は大きく異なることが見えてくる。SALTⅠは、核軍備管理という問題を「実数の合意」と「検証の制度化」という現代的な形式に落とし込んだ最初の一歩だったといえる。