第9章 国際政治の動向と課題

冷戦の終結

冷戦の終結

冷戦の終結はなぜ核軍縮の「黄金期」を生み、なぜそれが続かなかったのか

冷戦の終結とは、1989年の東欧革命、1990年のドイツ再統一、1991年のソ連解体に至る一連の政治変動によって、米ソ二大陣営の対立構造が事実上消滅した過程を指す。この変動は、40年以上にわたって続いた核軍拡競争の前提そのものを崩し、かつてない規模の核軍縮交渉を可能にした。世界終末時計は1991年に史上最も遠い「17分前」を記録し、「核なき世界」が現実味を帯びた一時的な「黄金期」が生まれた。しかしその機運は持続せず、ポスト冷戦期には新たな核拡散の問題が浮上した。

冷戦終結はどのような段階を経たのか

1985年に登場したソ連のゴルバチョフ書記長は、「ペレストロイカ(立て直し)」「グラスノスチ(情報公開)」を掲げ、西側との対立を緩和する「新思考外交」を進めた。米レーガン大統領との首脳会談(1985年ジュネーブ、1986年レイキャビク)を経て、1987年には中距離核戦力(INF)全廃条約が成立し、初めて核兵器の「削減」ではなく「全廃」が条約で定められた。

1989年、東欧各国で民主化運動が連鎖し、ポーランドの部分的自由選挙、ハンガリーの国境開放、ベルリンの壁崩壊、チェコスロバキアのビロード革命、ルーマニアの体制崩壊が相次いだ。同年12月にはマルタ会談で米ソ両首脳が「冷戦の終結」を事実上宣言した。1990年にはドイツ再統一、1991年にはSTARTⅠ調印、そして同年12月にソ連自体が解体し、15の独立国家共同体(CIS)諸国と独立国家に分かれた。

核軍縮の黄金期はどのように展開したのか

冷戦終結期に可能になった核軍縮は質・量ともに画期的であった。①1987年INF全廃条約による地上発射中距離核ミサイルの全廃。②1991年STARTⅠによる米ソ戦略核弾頭数の大幅削減。③1993年STARTⅡ調印(のち未発効)。④1995年NPT無期限延長。⑤1996年包括的核実験禁止条約(CTBT)採択。⑥南太平洋・東南アジア・アフリカ・中央アジアにおける非核地帯条約の拡大。これらは短期間に集中して成立し、「核保有の当然視」が揺らいだ時期であった。

ソ連解体に伴う旧ソ連核兵器の処理も重要な成果であった。ソ連崩壊時、ウクライナ・ベラルーシ・カザフスタンの領内には大量の核兵器が残されていた。これら3か国は1994年までに核兵器のロシアへの移送と自国の非核化に同意し、引き換えに米英ロから安全保障上の「保証」を与えるブダペスト覚書が署名された。この覚書は2014年以降のロシアのウクライナ介入によって事実上破綻したが、成立当時は「核放棄と引き換えの安全保障」という新しいモデルを提示した。

なぜ黄金期は続かなかったのか

1990年代後半以降、核軍縮の機運は徐々に減退していった。①NATO東方拡大(1999年・2004年)に対するロシアの不信。②1998年のインド・パキスタンの核実験。③北朝鮮の核開発と2003年NPT脱退表明。④2001年米国のABM条約からの脱退。⑤2003年のイラク戦争を契機とする核拡散への懸念再燃。⑥イランの核開発疑惑。これら複数の要因が重なり、核軍縮の推進力は徐々に失われていった。

条約の失効・機能不全も相次いだ。2002年モスクワ条約は削減数を定めたが検証規定が弱く、2010年新STARTは一定の成果を上げたものの、2019年にはINF全廃条約が失効し、2023年にはロシアが新STARTの履行停止を表明した。世界終末時計は2020年代以降、過去最短水準を更新し続けており、2026年には「1分25秒前」にまで針が進んでいる。

ポスト冷戦の核拡散は何を意味したか

冷戦終結は米ソ二極対立を終わらせたが、核兵器の問題そのものを終わらせたわけではなかった。北朝鮮は2006年に初の核実験を行い、以後たび重なる実験と弾道ミサイル開発を続けている。イランは核合意(2015年)と米国の離脱(2018年)を経て、現在も疑惑の対象となっている。NPT非加盟のインド・パキスタン・イスラエル、および脱退表明後の北朝鮮の存在は、NPT体制そのものの射程の限界を示し続けている。

冷戦期の核抑止は「米ソ2か国の均衡」として理解できたが、ポスト冷戦期の核問題は多極化・地域化しており、一対一の抑止論では整理できない複雑さを持つ。

冷戦終結の記憶はなぜ今問い直されているか

冷戦終結から30年以上が経過し、その記憶の意味合いは時代ごとに変化してきた。1990年代には「歴史の終わり」論のように、自由主義的秩序の最終的勝利として語られる傾向があった。しかし2000年代以降、テロ・核拡散・金融危機・パンデミック・大国間競争の再燃など、冷戦期には想定されていなかった脅威が次々と浮上し、「冷戦後」の楽観は後退していった。2022年のウクライナ侵攻は、冷戦終結の遺産——NATO東方拡大、ブダペスト覚書、欧州の安全保障秩序——を根本から問い直す契機となっている。

冷戦終結は核軍縮の一時的な加速をもたらしたが、それは「核の問題の解決」ではなく「問題の形の変容」であった。この変容を理解することなしに、現代の軍備管理の難しさを語ることはできない。冷戦終結の「黄金期」を単なる過去の成功として懐かしむのではなく、なぜその機運が維持されなかったのかを構造的に分析することが、次世代の軍備管理枠組みを構想する上で不可欠である。世界終末時計の針が示す現状は、その分析の緊急性を端的に物語っている。

監修者 taisa68
最終更新日 2026-04-24