第9章 国際政治の動向と課題

伊勢志摩サミット

伊勢志摩サミット

伊勢志摩サミットは軍縮史のなかでどのような位置を占めるか

伊勢志摩サミットとは、2016年5月26日・27日に三重県志摩市の賢島で開催された第42回主要国首脳会議(G7サミット)である。日本が議長国となり、アメリカ・イギリス・フランス・ドイツ・イタリア・カナダの首脳が参加した。気候変動・テロ対策・世界経済など複数の議題が扱われたが、軍備競争と軍備縮小の文脈では、サミット後のオバマ米大統領による広島訪問を可能にした外交的舞台として特別な意味を持つ。核保有国の現職首脳が被爆地を訪れる契機となったサミットとして、軍縮史に位置づけられている。

オバマ広島訪問にどのようにつながったか

サミット終了翌日の2016年5月27日、アメリカのバラク・オバマ大統領は現職のアメリカ大統領として初めて広島を訪問した。原爆慰霊碑への献花と平和記念資料館の視察を行い、核兵器のない世界を追求するという自らのビジョンを改めて表明した。オバマは広島の演説で、1945年の原爆投下そのものに対する謝罪は避けつつ、核兵器の恐怖の記憶を次世代に引き継ぐ必要性を訴え、被爆者とも短く言葉を交わした。

この訪問は、2009年のプラハ演説で「核なき世界」の追求を掲げ、同年にノーベル平和賞を受賞したオバマ大統領の軍縮政策の集大成として位置づけられる。伊勢志摩サミットそのものは核軍縮の新しい条約を生んだわけではないが、サミットの日程と議長国日本の外交調整がなければ広島訪問は実現しなかった。サミットは、核軍縮のメッセージ発信の場として被爆地が国際政治の舞台に組み込まれた事例となった。

訪問の調整にあたっては、日米両政府の間で事前の慎重な協議が重ねられた。アメリカ国内では原爆投下を謝罪すれば退役軍人団体や議会の一部から強い反発を招くという懸念があり、日本側でも訪問の形式化や政治利用への警戒が存在した。結果的に、謝罪ではなく核廃絶への決意表明として演説が構成されたことで、両国世論の落とし所を探る外交的な作品として訪問が実現した。

サミットで出された軍縮関連のメッセージは何か

伊勢志摩サミットの首脳宣言では、核軍縮・核不拡散に関する項目が置かれ、NPT体制の強化、包括的核実験禁止条約(CTBT)の早期発効、兵器用核分裂性物質生産禁止条約(カットオフ条約)の交渉開始などが確認された。加えてG7外相会合で採択された「広島宣言」では、核兵器使用の悲惨な結果に触れつつ、核廃絶に向けた取り組みを続ける姿勢が示された。広島宣言は被爆地の名を冠した初のG7外相文書として象徴的な意義を持った。

ただし、これらの文書は同時に核抑止の必要性と拡大抑止の維持を前提にしており、日本を含むG7諸国が「核の傘」の枠組みを捨てていないことも明確に示した。核廃絶への決意と核抑止への依存が同じ文書に併存するという構造は、のちの2023年G7広島サミットでの広島ビジョンにも引き継がれていく。

広島宣言をめぐっては、被爆者団体や核廃絶を訴える市民団体から「核抑止を肯定する文言が含まれる限り、被爆地の名を冠するのはふさわしくない」との批判も表明された。G7という核保有国と核の傘の国々で構成される枠組みが、被爆地で核軍縮を語ることの困難が、伊勢志摩サミットの段階で既に輪郭を現していた。

日本の核政策の矛盾をどのように示したか

伊勢志摩サミットは、日本の核政策が抱える矛盾を可視化する機会にもなった。日本は唯一の戦争被爆国として核廃絶を国際社会に訴える立場を標榜する一方、アメリカの核の傘に安全保障を依存し、2017年の核兵器禁止条約の交渉には参加せず、同条約にも署名していない。オバマ広島訪問の実現を外交的成果とする一方で、条約レベルでの核廃絶には距離を置くという姿勢は、広島・長崎の被爆者団体からの批判を受け続けている。

伊勢志摩サミットとオバマ広島訪問によって世界的な注目を集めたにもかかわらず、翌2017年に核兵器禁止条約が採択された際、日本政府が交渉自体に参加しなかったことは、サミットで発信された核廃絶のメッセージと政策実態の乖離を象徴する出来事となった。この矛盾は、伊勢志摩サミットを軍縮史のなかで評価するうえで避けて通れない論点であり続けている。

2024年に日本被団協がノーベル平和賞を受賞したことは、伊勢志摩サミット以降も日本政府が解決できていない矛盾を、国際社会が改めて評価・提起する出来事となった。核の傘に依存しつつ被爆地で核廃絶を語るという構造は、伊勢志摩以降の軍縮史における日本の立ち位置を象徴する問題として、現在も問われ続けている。

監修者 taisa68
最終更新日 2026-04-24