第9章 国際政治の動向と課題

ユーゴスラビア連邦

ユーゴスラビア連邦

ユーゴスラビア連邦の解体はなぜ冷戦後の「新しい紛争」の象徴となったのか

ユーゴスラビア連邦(ユーゴスラビア社会主義連邦共和国)は、セルビア・クロアチア・スロベニア・ボスニア・モンテネグロ・マケドニアの6共和国と、コソボ・ヴォイヴォディナの2自治州からなる多民族連邦国家であった。第二次世界大戦後ティトーのもとで独自の社会主義路線を歩み、東西両陣営から距離を置く非同盟主義の中核を担った。しかし1991年から1990年代後半にかけて民族紛争を伴いながら解体し、冷戦終結後の「新しい紛争」の象徴となった。核保有国ではなかったが、その解体過程は地域紛争と大量破壊兵器拡散リスクの関係を考える上で重要な事例である。

連邦はなぜ解体したのか

ユーゴスラビア連邦は「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字、1つの国家」と形容されるほど多様な構成を持った。ティトー指導下(〜1980年)では自主管理社会主義と非同盟外交、連邦内バランス調整によって一定の統一が保たれていた。しかしティトー死後、各共和国の経済格差・民族対立・連邦中央の統治能力低下が進行した。

1980年代末から1990年代初頭にかけてセルビア共和国のミロシェヴィッチがセルビア人優位の政策を強化し、これに反発したスロベニアとクロアチアが1991年に独立を宣言した。連邦軍(ユーゴ人民軍)との戦闘を経てスロベニアは短期間で独立、クロアチアは長期の紛争となった。1992年にはボスニア・ヘルツェゴビナの独立宣言をきっかけにボスニア紛争(1992〜1995年)が勃発し、「民族浄化」と呼ばれる大規模な住民排除と虐殺(スレブレニツァの虐殺など)が発生した。

冷戦後の「新しい紛争」は何が新しかったのか

冷戦期の戦争イメージは、二大陣営による「大規模正規軍同士の衝突」と「核抑止による回避」であった。これに対し、ユーゴ紛争は連邦内部の民族集団間の紛争であり、正規軍・民兵・武装市民が混在し、一般市民が組織的な標的となる「新しい戦争」として注目された。①国家内紛争の国際化、②民族・宗教アイデンティティの動員、③市民の組織的被害(民族浄化・強姦の戦争犯罪としての利用)、④メディアを通じた情報戦の展開、といった特徴を持つ。

国際社会の対応は当初後手に回った。国連平和維持軍の派遣、EUの仲介、1995年のNATOによる空爆、デイトン合意(1995年)を経てボスニア紛争は終結したが、1998〜1999年にはコソボ紛争が再燃し、NATOは国連安保理決議なしに空爆を実施した。このNATOの「人道的介入」の是非は、国際法と国家主権の関係をめぐる長い論争を残した。

地域紛争と大量破壊兵器拡散の関係

ユーゴスラビア連邦自体は核保有国ではなかったが、その解体過程は大量破壊兵器拡散という観点から重要な論点を提供した。①連邦崩壊に伴う軍事施設・兵器管理体制の混乱、②通常兵器・地雷・爆発物の地下流通、③内戦下での化学兵器使用疑惑、④紛争地の不安定さに乗じた不正な核物質取引リスク、である。冷戦終結後、旧ソ連・旧東側の管理下にあった核物質・放射性物質の流出はしばしば懸念されており、旧ユーゴ地域もその潜在的な舞台と見なされた。

現実には旧ユーゴ内部での核物質取引の明確な大規模事例は確認されていない。しかし「紛争地域や統治能力が低下した地域が、大量破壊兵器の非国家主体への拡散経路になり得る」という認識は強まった。この認識は、以後のワッセナー・アレンジメントなどの輸出管理体制や、国連安保理決議1540号(2004年、非国家主体への大量破壊兵器拡散防止)の背景となった。

ユーゴスラビア解体が軍備管理に突きつけた課題

ユーゴ紛争は、核抑止論が想定してこなかったタイプの紛争——国家間核戦争ではなく、国家内民族紛争と市民の組織的犠牲——が冷戦後の主要な脅威形態になったことを示した。核抑止は国家対国家の合理的計算に依拠する論理であり、民族紛争のような「非合理」な動員や市民間の殺戮には抑止効果を持たない。

この事実は、軍備縮小の目標を「核兵器の削減」だけで捉えることの限界を露呈させた。1999年の対人地雷全面禁止条約、2010年のクラスター爆弾禁止条約、国際刑事裁判所の設置、「保護する責任(R2P)」概念の提唱など、非人道的兵器の規制と人道的介入の制度化は、ユーゴ紛争の経験を一つの背景として進んだ。

旧ユーゴ地域のその後と現代の論点

紛争終結後、旧ユーゴ地域諸国の多くはEU・NATO加盟を目標とする西側志向の政策を採用してきた。スロベニアは2004年にEU・NATO加盟、クロアチアは2013年にEU加盟、モンテネグロは2017年にNATO加盟、北マケドニアは2020年にNATO加盟を果たした。ボスニア・ヘルツェゴビナとセルビア・コソボ関係は依然として未解決の課題を多く抱えている。旧ユーゴ国際刑事裁判所(ICTY)は2017年まで活動し、ミロシェヴィッチら紛争当事者を戦争犯罪・人道に対する罪で訴追した。

「軍備縮小」は核軍縮と同時に、一般市民を標的とする兵器・戦術の規制という別の次元も含む包括的な課題であることを、この事例は示している。ユーゴスラビア連邦の解体は、冷戦後の国際社会が向き合わなければならない紛争の新しい形を提示し、軍備管理と人道法・国際刑事司法の交点をつくり出した。核軍縮という言葉だけでは捉えきれない軍備管理の広がりを理解する上で、この事例は避けて通れない参照点である。

監修者 taisa68
最終更新日 2026-04-24