第9章 国際政治の動向と課題

メドベージェフ

メドベージェフ

メドベージェフは米ロ核軍縮にどのような役割を果たしたか

メドベージェフは2008年から2012年までロシア連邦大統領を務めた人物であり、核軍縮の歴史においてはオバマと新STARTを調印したロシア側の当事者として位置づけられる。プーチンから一時的に大統領職を引き継いだ「過渡期の指導者」としての性格が強いが、その在任中に米ロ関係の「リセット」が試みられ、冷戦後の核軍縮の最後の実質的な前進が実現した。メドベージェフの役割を評価するためには、彼個人の外交方針と、ロシア政治におけるプーチンとの権力関係の両方を踏まえる必要がある。

メドベージェフはなぜ大統領に就任したか

ロシア憲法は当時、大統領の連続3選を禁じていた。2000年から2期8年間大統領を務めたプーチンは、2008年に憲法の規定に従って大統領を退くことになり、側近のメドベージェフを後継として指名した。プーチンは首相として権力の中枢にとどまり、メドベージェフは大統領として対外的な顔を務める「タンデム体制」が形成された。この構図は、メドベージェフの外交政策がどこまで独自の判断であったのか、どこまでプーチンの方針の代行であったのかをめぐる議論の出発点となる。

メドベージェフ自身は比較的リベラルな姿勢を示し、欧米との関係改善、近代化、法の支配の強化を訴えた。オバマ政権が掲げた「リセット外交」はこのメドベージェフの姿勢を前提に成立したものであり、米ロが一時的に協力姿勢を共有した稀有な時期が生まれた。核軍縮が動いた時期と米ロの政治的「リセット」の時期が重なるのは偶然ではなく、両国の指導者の相性と国際環境が合致した稀有な条件が揃ったためであった。

新START調印における米ロ協議はどのように進展したか

2009年4月、ロンドンで行われたG20サミットの際にオバマとメドベージェフは初の首脳会談を行い、STARTⅠの後継条約の交渉開始で合意した。交渉は1年にわたって続けられ、弾頭数の上限、運搬手段の算定方法、検証メカニズムなどの論点で妥協点が模索された。2010年4月8日、両首脳はプラハで新STARTに調印した。双方の配備済み戦略核弾頭を1,550発以下、運搬手段を800基以下に制限するこの条約は、冷戦後の米ロ核軍縮の到達点となった。

メドベージェフはこの調印を「相互信頼の回復」として位置づけ、国内向けには「対等なパートナーとしてのロシア」のイメージを打ち出した。新STARTがプーチン体制下のロシアでも形式的には履行されてきたことは、この条約が個人的な政治判断を超えた「制度」として定着したことを示している。ただし2023年にプーチンが履行停止を表明したことで、メドベージェフ時代の成果は事実上凍結された。

ミサイル防衛をめぐる米ロの緊張はどのように管理されたか

新START交渉の背景には、アメリカが東欧で計画していたミサイル防衛(MD)システムの配備問題があった。ロシアはこのMD配備を戦略核バランスを崩す措置として警戒してきた。オバマ政権は2009年にブッシュ前政権期のMD計画を見直し、より段階的な「欧州段階的適応アプローチ」へ転換することで、ロシアの懸念を一定程度緩和した。メドベージェフはこれに応える形で核軍縮交渉に前向きに臨み、米ロは戦略的安定性(strategic stability)という共通の語彙のもとで合意点を探った。この相互調整は、核軍縮が戦略核だけの問題ではなく、ミサイル防衛や通常戦力を含む広い文脈で議論される必要があることを示した。

メドベージェフの核戦略観はどのように変化したか

メドベージェフは大統領在任中、核軍縮に前向きな姿勢を示したが、2012年にプーチンが大統領に復帰し、自身が首相に転じて以降は核政策に関する発言が急速に強硬化した。2022年のロシアによるウクライナ侵攻後は、安全保障会議副議長として核兵器使用の可能性を繰り返し示唆する発言を重ね、NATO諸国への威嚇的なメッセージを発信し続けた。かつて新STARTの調印者として核軍縮を体現した人物が、同じ条約の履行停止を支持する立場に転じた事実は、ロシア国内政治の変化と国際環境の激変を象徴している。

この変化は、核軍縮がいかに指導者個人の意志だけでは維持できないかを示す事例でもある。「メドベージェフ大統領時代のロシア」と「プーチン復帰後のメドベージェフ」は、同じ人物でありながら核戦略上は別人格のように振る舞った。政治指導者の立場と役割が変わるとき、それまでの政策的立場もまた容易に反転しうる点は、核軍縮の交渉担当者を誰とみなすべきかという実務的問題にも関わる。

メドベージェフの役割をどう評価するか

メドベージェフの評価は三つの側面から整理できる。①新STARTという具体的成果を残した米ロ核軍縮の当事者としての功績、②プーチン体制の継続性のなかで独自の政策を十分に貫徹できなかった限界、③大統領退任後の核威嚇発言によって自らの遺産を相対化した矛盾である。核軍縮の歴史において、メドベージェフは「冷戦後最後の米ロ核軍縮の扉を閉じた側の人物」として記憶されうる位置にある。新STARTが今日もなお米ロ核軍縮の制度的支柱であり続けている事実は、彼の在任期間の国際的意義を示している。

監修者 taisa68
最終更新日 2026-04-24