プーチン
プーチン体制は核軍縮体制にどのような影響を与えたか
プーチンは1999年末以降、大統領および首相として四半世紀以上にわたってロシアの政治を主導してきた人物であり、核軍縮の歴史においては冷戦後の体制を解体した側の政治指導者として位置づけられる。彼の在任中、米ロは一時的な「リセット」を経ながらも関係悪化に転じ、INF全廃条約の失効、新STARTの履行停止、ウクライナ侵攻に伴う核兵器使用の示唆など、核軍縮の逆行現象が次々と起きた。プーチンの政策判断は、核抑止の論理がいかに容易に核威嚇へと転化しうるかを示す現代の事例である。
プーチン政権下のロシアの核戦略はどう位置づけられるか
プーチン政権はロシアの大国としての地位を回復する手段として、核戦力を外交・軍事両面の中核に据える戦略を採った。通常戦力ではNATOやアメリカに対抗しきれない現実があるため、核戦力こそが国際政治における発言力の源泉だという認識が政権内で共有されてきた。2020年には「核抑止分野における国家政策の基本原則」と題する公式文書が公表された。ここではロシアが核兵器を使用しうる4つの状況が明記されている。弾道ミサイル攻撃の確認、大量破壊兵器による攻撃、核戦力等への攻撃、通常兵器による侵略で国家存立が脅かされる場合の4つである。この4番目の条項は、通常兵器に対する核報復を公式にありうる選択肢として示したものであり、「核使用の敷居」が低下したという国際的懸念を招いた。
クリミア併合は核軍縮体制にどのような打撃を与えたか
2014年3月、ロシアはウクライナ領クリミア半島を併合した。この行動は1994年のブダペスト覚書に違反するものであった。同覚書は、ウクライナがソ連崩壊時に保有していた核兵器をロシアに引き渡す見返りに、米英ロがウクライナの領土保全と主権を保証する内容を含んでいた。クリミア併合はこの約束を一方的に破棄する行為であり、「非核兵器国が核兵器を放棄した場合、国際社会はその安全を守れるのか」という根本的な問いを国際社会に突きつけた。
この出来事は、NPT体制の信頼性を揺るがす重大な先例となった。もしブダペスト覚書の保証が機能しないのであれば、核放棄を選んだ国が安全を失う可能性が示されたことになる。北朝鮮やイランが核開発に固執する論理に対しても、この先例は好ましくない示唆を与えることとなった。
INF全廃条約の失効はどのような経緯で起きたか
1987年にレーガンとゴルバチョフが調印したINF全廃条約は、射程500〜5,500キロメートルの地上発射型ミサイルの保有を全面禁止する初の核兵器削減条約であった。しかし2010年代後半、アメリカはロシアがこの条約に違反する中距離巡航ミサイル9M729を開発・配備していると指摘した。プーチン政権はこれを否定したが、米側の信頼は回復せず、2019年2月にトランプ政権が条約破棄を通告、8月に正式に失効した。
条約失効の責任は米ロ双方にあるが、プーチン政権が条約違反とされる兵器の開発を進めたこと、そして失効後の枠組み再構築に消極的であったことは、核軍縮の制度が崩れる大きな要因となった。この失効以降、欧州における中距離核戦力の再配備をめぐる緊張が高まり、冷戦期の核軍拡の論理が再び作動し始めた。
ウクライナ侵攻と核兵器使用の示唆はなぜ重大か
2022年2月24日、ロシアはウクライナへの全面的な軍事侵攻を開始した。この過程でプーチンは複数回にわたって核兵器の使用可能性に言及した。侵攻直後には核戦力を特別戦闘態勢に移行するよう命令し、2022年9月には「これは脅しではない」と明言しつつ「領土保全のためにあらゆる手段を使う用意がある」と発言した。2023年には隣国ベラルーシへの戦術核配備を決定し、核の威嚇を政治的手段として制度化する姿勢を示した。
この核威嚇は、核抑止論の論理を反転させて運用した事例として分析されている。本来の核抑止は「相手の攻撃を思いとどまらせる」受動的防御の論理であるが、プーチンは「自国の軍事行動に対する他国の介入を阻止する」ために核威嚇を用いた。これは「核による恐喝」と呼ばれる行為であり、核兵器が「防衛の最後の手段」を超えて「外交の通常の道具」へと変質する危険を世界に示した。
新STARTの履行停止は何を意味するか
2023年2月21日、プーチンは年次教書演説で新STARTの履行停止を表明した。条約そのものを破棄したわけではないが、査察の受け入れを拒否し、データ交換を停止することで、条約の検証メカニズムは事実上機能しなくなった。新STARTは1970年代以来続いてきた米ソ・米ロ戦略核軍縮の最後の柱であり、この停止はおよそ半世紀にわたる核軍縮の制度的蓄積が解体の危機に瀕していることを意味する。
プーチン体制下のロシアは、①条約を破棄はせず形式上の存続を装いつつ、②実質的な検証を無効化するという手法を取った。これは「条約外交の形骸化」と呼ぶべき事態であり、核軍縮における「信頼の制度化」という戦後の積み重ねが急速に侵食されていることを示している。2026年現在、世界終末時計の針が1分25秒前という過去最短水準にある背景には、このロシアの核政策の影響が大きい。