ソ連
ソ連は冷戦期の核軍拡と核軍縮をどのように形作ったのか
ソ連は1949年に核実験に成功し、アメリカに次ぐ二番目の核保有国として冷戦期の国際政治を規定した。米ソの核軍拡競争は核抑止論の前提を作り、その後のキューバ危機・SALT・ABM・STARTといった軍備管理交渉もすべてソ連を当事者として展開された。1991年のソ連崩壊は、保有していた核弾頭の帰属問題という新たな課題を国際社会に残し、NPT体制の存続を左右する出来事となった。ソ連の歩みは、核兵器の登場から冷戦終結までの国際政治を核という視点から読み解くための中心軸である。
1949年の核実験成功はどのような転換をもたらしたのか
1949年8月、ソ連はカザフスタンのセミパラチンスク核実験場で最初の核実験に成功した。これはアメリカの独占的な核保有が終わったことを意味し、世界は単一の核保有国による秩序から、複数の核保有国が対峙する構造へと移行した。翌1950年代にはイギリス(1952年)、フランス(1960年)、中国(1964年)が続き、核兵器は「一国の切り札」から「大国が共通に抱える脅威」へと変貌した。
ソ連の核保有は、アメリカの核の傘に依存する西側と、ソ連の核による勢力圏に置かれる東側という冷戦の基本構造を作り上げた。大陸間弾道ミサイル(ICBM)・潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)・戦略爆撃機からなる「核の三本柱」の整備が米ソ双方で進行し、相互確証破壊(MAD)という核抑止の原理が国際安全保障の基盤として定着していった。ソ連の核実験は、核時代が単一覇権の時代ではなく、相互抑止の時代へと移行する決定的な分岐点となった。
キューバ危機は核抑止の限界をどう示したのか
1962年10月、ソ連がキューバに中距離弾道ミサイルを配備しようとしたことから、米ソは核戦争の瀬戸際まで追い込まれた。ケネディ大統領とフルシチョフ書記長の13日間の危機管理のなかで、最終的にソ連がミサイルを撤去し、アメリカもトルコからミサイルを撤去するという合意で危機は収束した。キューバ危機は、核戦争が「絵空事」ではなく「現実の選択肢」であることを米ソ双方に突きつけた決定的な経験となった。
この危機を契機に、平和共存が関係国の共通の利益であるという認識が広がり、核軍備抑制の機運が一気に高まった。翌1963年には部分的核実験停止条約(PTBT)が結ばれ、大気圏・水中・宇宙空間における核実験が禁止された。米ソ間には直通通信(ホットライン)も設置され、偶発的な核戦争の回避が制度化されていった。キューバ危機は、核抑止が相互不信のもとでいかに破綻しやすいかを示し、軍備管理の必要性を国際社会に強く印象づけた。核抑止の論理が「恐怖の均衡」に依拠する以上、その均衡はいつ崩れるかわからないという現実が、この危機によって明らかになったのである。
軍備管理条約の当事者としてどのように関与したのか
1969年から米ソ間で第1次戦略兵器制限交渉(SALT)が始まり、1972年に戦略兵器制限条約(SALTⅠ)と弾道弾迎撃ミサイル制限条約(ABM条約)が結ばれた。SALTⅠは戦略核兵器の数量を制限し、ABM条約はミサイル防衛システムの配備を厳格に制限することで、相互確証破壊(MAD)の構造を安定化させる役割を果たした。1979年にはSALTⅡが調印されたものの、ソ連のアフガニスタン侵攻を機にアメリカが批准を拒否した。
1987年にはレーガンとゴルバチョフが中距離核戦力(INF)全廃条約に調印した。INF全廃条約は、交渉史上初めて核兵器の削減(廃棄)を定めた条約であり、米ソ間に配備されていた中距離ミサイルが実際に撤去された。1991年にはSTARTⅠが結ばれ、戦略核弾頭の削減が始まった。これらの条約群は、ソ連が冷戦後半に核軍縮の当事者として積極的に関与したことを示している。ゴルバチョフの「新思考外交」は、核戦争の不可能性という認識を前提に、段階的な核軍縮を追求する方針をとった。ソ連の交渉姿勢の変化は、検証メカニズムを伴う条約によって相互不信を制度的に抑え込むことが可能であるという実例を国際社会に示した点でも意義深い。
ソ連崩壊後の核管理はなぜ重要な問題となったのか
1991年12月のソ連崩壊は、保有していた核兵器の帰属という深刻な課題を残した。ソ連邦の解体時、核弾頭はロシア連邦のほか、ウクライナ・ベラルーシ・カザフスタンにも配備されており、一夜にして4つの新しい「核保有国」が出現する可能性があった。もしこの状態が固定化されれば、NPT体制そのものが根本から崩壊する危機であった。
国際社会と関係各国の協議のもと、ウクライナ・ベラルーシ・カザフスタンが保有していた核弾頭はすべてロシアへ移管されることとなり、1994年のブダペスト覚書によってウクライナはNPTに非核保有国として加盟した。ロシアがソ連の核戦力・軍備管理条約の当事者地位・国連安保理常任理事国の地位を包括的に継承したことで、NPT体制は崩壊の危機を回避した。ソ連崩壊後の核管理問題は、核兵器が国家の存在に深く結びついた現実と、国家の解体が核拡散の新たな経路となりうる危険性を国際社会に示した重大な事例である。2022年のロシアによるウクライナ侵攻は、ブダペスト覚書で約束された「領土の保全と主権尊重」の形骸化を示す出来事ともなり、ソ連崩壊時の核兵器移管がいかに重い意味を持っていたかを改めて浮き彫りにした。