第9章 国際政治の動向と課題

アパルトヘイト

アパルトヘイト

アパルトヘイトの終焉はなぜ核兵器放棄と重なったのか

アパルトヘイトは南アフリカ共和国で1948年から1994年まで実施された人種隔離政策である。白人少数支配のもとで黒人・カラード・インド系住民の居住・移動・参政権・結婚などが法律によって厳格に制限された体制を指す。一見すると軍備競争の主題と離れて見えるこの政策が、核軍縮史において特筆されるのは、南アフリカがアフリカ大陸で唯一核兵器を開発・保有した国であり、かつアパルトヘイト体制の終焉前後に自国の核兵器を自発的に廃棄した、世界史上きわめて稀有な事例だからである。

アパルトヘイト体制とはどのような統治であったのか

アパルトヘイトはアフリカーンス語で「分離」を意味し、人口の約2割を占める白人が残り8割の非白人を政治的・社会的・経済的に隔離・従属させる制度であった。住民登録法による人種分類、集団地域法による居住地区指定、パス法による移動制限など、生活のあらゆる場面に人種による区別が持ち込まれた。この体制は国際社会から強い非難を受け、国連総会は1973年にアパルトヘイト犯罪条約を採択、1980年代には米欧諸国も経済制裁を強化した。

国内ではアフリカ民族会議(ANC)を中心に抵抗運動が展開され、指導者ネルソン・マンデラは1962年から1990年まで27年間にわたって投獄された。1990年にデクラーク大統領がマンデラを釈放し、1991年にはアパルトヘイト関連法の廃止、1994年には全人種参加の総選挙が実施され、マンデラが大統領に就任することで体制は正式に終焉した。

南アフリカはなぜ核兵器を開発したのか

南アフリカは1970年代後半から1980年代にかけて、6発(+1発製造中)のガン・タイプ核爆弾を秘密裏に製造した。開発の背景には、冷戦下でソ連系勢力がアンゴラ・モザンビークで影響力を強めるなか、国際的に孤立したアパルトヘイト政権が「最終的な安全保障の切り札」として核を位置づけた事情がある。アパルトヘイトへの国際制裁が強まるほど、体制の存続を核抑止に依拠しようとする動機も強まった。

この開発は国際原子力機関(IAEA)や周辺諸国の目から隠蔽されて進められ、NPT非加盟のもとで実施された。南アフリカはイスラエル・インド・パキスタンと並び、「NPT枠外の核保有国」となっていた時期がある。

核放棄はどのような論理で実行されたのか

南アフリカの特異性は、その核兵器を自発的に廃棄した点にある。デクラーク政権は1989年に核兵器計画の解体を決断し、1990年から1991年にかけて6発すべての核弾頭を解体・破棄した。1991年にはNPTに加盟し、1993年にデクラーク大統領自らが議会で核保有の事実と廃棄の完了を公表した。廃棄を「先に実行し、後から公表する」という順序は、核放棄の不可逆性を国際社会に示す意味を持った。

放棄の論理は複数の要素から説明される。①冷戦終結により南部アフリカの地政学的脅威が減退した。②アパルトヘイト体制終焉が近づくなか、次の政権——黒人多数支配政権——に核兵器を引き継ぐことを白人政権が望まなかった。③NPT復帰によって国際社会への復帰を果たし、経済制裁解除の条件を整えた。④核保有の戦略的便益より、「非核国としての国際的正統性」の政治的便益を優先した。

ペリンダバ条約とアフリカ非核地帯

南アフリカの核放棄は、アフリカ大陸全体を非核地帯とするペリンダバ条約(1996年採択、2009年発効)の成立基盤となった。条約名の「ペリンダバ」は、南アフリカの核研究施設が置かれていた地名であり、かつて核兵器を製造した場所が、大陸非核化の象徴へと転換した経緯が名称自体に刻まれている。この条約はアフリカ諸国の領域内での核兵器の開発・製造・実験・配備・保有を禁じ、既存の核兵器国に対しても条約域内での核使用・核威嚇の禁止を求める内容を含む。

南アフリカの事例が核軍縮に残した含意

南アフリカの核放棄事例は、核軍縮に関する複数の通説的な見方を問い直す材料となっている。①「一度核を持った国は決して手放さない」という通説に対し、条件次第で放棄が可能であることを示した。②核放棄は単独では成立せず、体制転換・国際秩序の変動・制裁解除の見込みなど複合的要因の収束点として実現する。③放棄の検証は技術的にも外交的にも困難を伴うが、実行可能であることが確認された。④核廃棄後も技術的知見と人材は残るため、再保有の政治的決定を封じる仕組みが必要となる。

アパルトヘイトの終焉と核廃棄が同時期に進行したこの事例は、国内政治体制の正統性の危機が核兵器保有の政治的基盤を崩し得ること、また核放棄が「理想論」ではなく「政治的合理性」から導かれ得ることを示した。核軍縮の歴史において、南アフリカは単に「放棄した国」ではなく、「放棄が可能であることを実証した国」として位置づけられる。この実例は、NPT体制が目標とする核軍縮が到達不可能な理想ではないことを示す貴重な歴史的参照点となっている。

監修者 taisa68
最終更新日 2026-04-24