第2章 日本の姿

国後島

国後島

国後島とはどのような島なのか

国後島(くなしりとう)とは、北海道根室半島の東方沖に位置する島で、北方領土を構成する4島(択捉島・国後島・色丹島・歯舞群島)の一つである。面積は約1498平方キロメートルで、北方4島の中では択捉島に次ぐ2番目の大きさを誇る。島の行政区分は北海道根室郡中標津町・標津町・羅臼町・根室市に属する日本固有の領土であるが、1945年のソ連による占領以来、ロシアが不法占拠している。国後島は火山性の島で、最高峰の爺爺岳(ちゃちゃだけ)は標高1822メートルの活火山であり、現在も活発な活動を続けている。島の北海道側(西側)からの距離は約25キロメートルで、晴れた日には知床半島などから島の山容を確認することができる。


国後島の歴史的経緯はどのようなものか

国後島はアイヌの人々が古来から居住し、「クナシリ(クナシリ・黒い島)」と呼んでいた地域である。日本の和人(本州・北海道からの移住者)による入植は18世紀後半から本格化し、江戸幕府は19世紀に国後島に番所(行政拠点)を設置し、実効支配を強化した。1855年の日露和親条約で択捉島以南の日本領が確認され、国後島は正式に日本領となった。明治時代に行政区分が整備され、水産業(特にコンブ・サケ・マス)が主要産業となった。第2次世界大戦前には約8000〜1万人の日本人が居住し、複数の村落・商店・学校が置かれていた。1945年8月のソ連参戦後、ソ連軍は9月2〜3日にかけて国後島を占領し、1947〜1948年にかけて日本人住民全員を強制退去させた。


国後島の地理的・生態的特徴はどのようなものか

国後島は北海道から連続するように延びる千島列島の最南部に位置し、地質的には火山性の地層が支配的である。主要火山として爺爺岳(1822メートル)・羅臼岳(爺爺岳の北部の山域)などがあり、定期的に火山活動が確認されている。島の気候は亜寒帯海洋性気候であり、夏季は比較的涼しく霧が多く、冬季は積雪と流氷が見られる。海岸線は太平洋側とオホーツク海側で異なる特徴を持ち、オホーツク海側には多くの砂浜・入り江が形成されている。国後島周辺の海域は北太平洋の豊かな漁場に接しており、コンブ・ウニ・アワビ・サケ・マス・タラ・ズワイガニなどが豊富に生息している。島内には温泉も複数存在し、火山性の地熱活動を反映している。陸上の野生動物ではヒグマ・エゾシカ・キツネなどが生息している。


国後島の現在の状況はどのようなものか

現在の国後島にはロシア人を中心に約7000〜8000人が居住している。主な居住地は古釜布(ふるかまっぷ)・留夜別(るよべつ)・泊(とまり)などで、ロシアの地方行政・警察・学校・病院が設置されている。経済的には水産業・水産加工業が中心であるが、近年はロシア政府が島の観光開発・インフラ整備を進めている。島内には国後島独自の地熱発電施設が設けられており、電力の自給が図られている。軍事的にはロシア軍の施設が島内に存在し、地対艦ミサイルシステムの配備なども報告されている。国後島の北方に位置する択捉島とともに、国後島はロシアの「クリル諸島」南部防衛の重要な拠点となっている。ビザなし交流の際には日本人元島民や研究者が国後島を訪問し、かつての日本人居住の痕跡(墓・神社跡・農地の跡)を確認してきた。


国後島・択捉島返還の困難さはどのような点にあるのか

北方4島の中でも国後島・択捉島の2島については、色丹・歯舞の2島(1956年日ソ共同宣言で引き渡しが約束されている)と比べて法的根拠が弱いため、返還交渉はより困難だとされる。択捉島・国後島はサンフランシスコ平和条約で日本が放棄した「千島列島」に含まれるとロシア側は解釈しており、2島についてはロシアが法的根拠として援用できる材料がある。また択捉・国後の2島はロシアにとって軍事的・経済的・資源的価値が高く、返還への政治的意欲は低い。ロシアの国内世論でも北方領土の引き渡しに反対する意見が多数を占めており、ロシアの政治家にとって領土返還は政治的リスクが大きい選択肢となっている。2020年のロシア憲法改正で「領土割譲の禁止」が明文化されたことは、国後島を含む北方領土の返還実現をより困難にしている。


発展:国後島に見る北方領土の自然資源的価値はどのようなものか

国後島の経済的・資源的価値は水産業以外にも様々な面から注目されている。地熱エネルギーについては、国後島の豊富な地熱資源は再生可能エネルギーの観点から重要な潜在的資源であり、日本にとっては将来の地熱発電開発の可能性を持つ地域である。鉱物資源については、北方領土周辺の海底に石油・天然ガス・希少金属などの資源が存在する可能性が指摘されており、地質調査が不十分なまま返還交渉が行われている側面がある。生態系・環境的価値については、国後島周辺の海域は北太平洋の生物多様性の高い地域であり、世界自然遺産(知床・世界遺産)と連続した生態系を形成している可能性がある。漁業権的価値については、国後島が日本領となった場合の日本のEEZの形状変化・漁業権利の拡大は日本の水産業に大きな影響をもたらすものと試算されている。これらの多面的な価値がある国後島の問題は、単純な「領土問題」にとどまらない複合的な政策的課題である。


国後島の軍事的・安全保障上の意義はどのようなものか

国後島はオホーツク海と太平洋を隔てる千島列島の最南端に位置し、地政学的に重要な海峡(国後水道・根室海峡)を制する位置にある。ロシアはこの戦略的位置を重視しており、2016年以降、国後島に地対艦ミサイル(バスチオン・バル)システムを配備した。また戦闘機やヘリコプターが駐留できる軍事施設も整備されており、実質的な軍事拠点となっている。

オホーツク海はロシアの戦略核潜水艦(デルタ型・ボレイ型SSBN)が展開する「聖域(bastion)」として位置づけられており、国後島・択捉島はこの聖域を守る外縁の一部を形成している。これがロシアにとって国後島を手放せない安全保障上の最大の理由の一つとされている。

日本の自衛隊は2016年頃から国後島への露軍ミサイル配備に対する警戒を強化しており、北海道東部(根室・釧路方面)の防衛態勢の整備が課題となっている。領土問題と安全保障問題が複雑に絡み合う国後島は、日露交渉の最も難しい焦点の一つである。


国後島の経済的価値はどのようなものか

国後島はサケ・マス・コンブ・ウニ・ホタテなどの水産資源が豊富な周辺海域を持ち、水産業が島の経済の中心を成している。島内には水産加工工場が複数稼働しており、日本・韓国向けの水産物を生産・輸出している。特に根室海峡側のコンブ・ウニは品質が高いとされ、かつては日本人漁師が盛んに採取していた。

ロシア政府は2016年以降、国後島を含む南クリル地域を「クリル自由港(特別経済区)」に指定し、外国資本の投資促進を図っている。水産加工施設・冷凍倉庫・観光施設などの整備が進められており、一部では温泉を利用したリゾート開発も計画されている。

国後島の地熱資源は豊富とされており、ロシア企業が地熱発電所の建設を推進している。島内ではかつて日本軍が建設した港・道路・飛行場の跡地も残っており、歴史的インフラの転用も一部行われている。日本の試算では国後島周辺EEZの漁業資源だけで年間数百億円規模の価値があるとされている。


国後島と歴史的な日露交渉の経緯はどのようなものか

国後島の帰属をめぐる日露交渉の歴史は古く、1855年の日露和親条約まで遡る。この条約で国後島は択捉島とともに日本側として国境が画定されたが、1945年8月のソ連軍占領により状況が一変した。

1956年の日ソ共同宣言では歯舞・色丹の2島返還が約束されたが、国後・択捉については触れられなかった。日本はその後も4島一括返還を原則として交渉を続けてきた。1993年の「東京宣言」では日露双方が「法と正義の原則に基づき」4島の帰属問題を解決すると合意したが、具体的な解決には至らなかった。

2001年のイルクーツク声明・2016年の共同経済活動の枠組み構築など、交渉の積み重ねがあったものの、2022年以降の日露関係の急激な悪化により交渉は停止状態となっている。国後島は択捉島と並んで「2島+α」論の「+α」の対象であり、日露交渉において最後まで難交渉となる島として位置づけられてきた。


国後島と択捉島の「2島返還論」に対する日本政府の立場はどのようなものか

日本国内では「4島一括返還論」と「2島先行返還論(歯舞・色丹)」が長年議論されてきた。しかし国後島・択捉島についての「返還論」は、4島一括の文脈でのみ主張されてきた。一部の政治家・識者は「まず2島を返してもらい、その後4島の返還交渉を続ける」という段階的アプローチを主張したが、政府の公式立場は常に「4島一括返還」であった。

2016年以降の安倍・プーチン会談では「共同経済活動の先行実施」という新しいアプローチが試みられた。国後島・択捉島での観光・農業・温室栽培・風力発電・温泉観光などの経済協力プロジェクトが提案された。しかしこれが日本の「4島の帰属問題を棚上げする」という妥協につながるのではないかという懸念が国内で生じ、また実際の経済活動はほとんど進まないまま2022年に停止した。

2022年以降の情勢変化により、国後島・択捉島の返還交渉は事実上停止した。ロシアは2022年3月に「日本との平和条約交渉の継続を拒否する」と発表し、同年5月には日本が北方領土問題で「ロシアに課した損害の賠償請求」をするという情報も流れた。現状では国後島・択捉島の法的帰属をめぐる交渉を再開する見通しが全く立っていない。


国後島の文化的・歴史的遺産はどのようなものか

国後島は古くからアイヌの人々が生活した場所であり、「クナシリ(黒い島)」というアイヌ語の地名が伝わっている。江戸時代には松前藩が設けた交易所を中心に日本人との接触が始まり、19世紀以降は漁業基地・農地として開発が進んだ。国後島には戦前、約7000人の日本人が居住していたとされ、農業(馬鈴薯・牧草)・漁業(コンブ・サケ・タラ)・林業などに従事していた。

第2次世界大戦中、国後島には日本軍の陣地・飛行場が設けられ、連合艦隊の真珠湾攻撃部隊が択捉島(単冠湾)から出撃した際も国後島周辺海域は重要な航路上にあった。1945年8月のソ連軍占領後、残留していた日本人住民は1946〜1948年に強制引き揚げとなった。

現在の国後島には古釜布(ふるかまっぷ)を中心にロシア人が居住しており、島内には日本統治時代の建築物・墓地・橋などの遺跡も残っている。「ビザなし交流」での訪問では元島民が日本時代の遺跡・墓を訪れることができたが、2022年以降は不可能となっている。島内の日本語の地名(古釜布・留夜別・古丹消など)の多くはアイヌ語由来であり、歴史的な文化的連続性を示している。


国後島の生態系と自然環境の特徴はどのようなものか

国後島は千島列島最南端に位置する火山性の島であり、最高峰の爺爺岳(ちゃちゃだけ、標高1822メートル)をはじめ複数の火山が島の脊梁をなしている。火山活動は現在も続いており、温泉・地熱地帯が各所に存在する。火山性土壌は農業に適した地域もあり、かつては日本人農家が牧草・ジャガイモ・大麦などを栽培していた。

国後島の森林は亜寒帯針葉樹林(トドマツ・エゾマツ)と落葉広葉樹林(シラカバ・ダケカンバ)が混在する北方林で、野生生物の多様性が高い。ヒグマ・キタキツネ・エゾシカが生息しており、根室海峡に面した沿岸ではアザラシ・トドなどの海獣も見られる。特に「ラッコ」は国後島周辺海域でかつて豊富に生息していたが、19世紀の乱獲で激減した。現在も個体数回復の兆しがある。

国後島の海洋生物は極めて豊富であり、サケ・マス・タラ・コンブ・ウニ・ホタテなどが特産品として知られている。根室海峡を挟んで北海道本土(羅臼・標津・根室など)の漁業者は、国後島周辺の豊かな漁場への帰還を強く望んでいる。現在は日露の漁業協定(北方4島周辺水域操業枠組み協定)により一定の条件下での操業が認められているが、制約が多く漁業者の負担は大きい。


国後島の面積は約1498平方キロメートルで、北方4島の中で2番目の大きさである。島の形状は南北に細長く、根室半島(北海道本土)から根室海峡を隔てて約25キロメートルの距離にある。国後島の最北端から根室半島の納沙布岬までは約73キロメートルと近く、晴れた日には双眼鏡で国後島を望むことができる。島内の主要集落は古釜布(ふるかまっぷ)・留夜別(るよべつ)・泊(とまり)などであり、現在はロシア人が居住している。


国後島の名称「くなしりとう」はアイヌ語の「クナシリ(クナシリ、黒い島)」に由来する。島は火山活動による黒っぽい岩石・土壌が特徴的であることからこの名が付いたとされる。日本語名「国後(くなしり)」はアイヌ語のクナシリを漢字に当てたものである。択捉島・色丹島・歯舞群島もそれぞれアイヌ語由来の名称であり、北方4島の地名にはアイヌ民族が長く居住していた歴史が刻まれている。


監修者 taisa68
最終更新日 2026-04-28