第2章 日本の姿

尖閣諸島

尖閣諸島

尖閣諸島とはどのような島々なのか

尖閣諸島(せんかくしょとう)とは、沖縄県石垣市に属する、東シナ海の南西部に位置する無人の島々と岩礁からなる島嶼群のことである。主要な島として魚釣島(うおつりじま、面積約3.8平方キロメートル)・北小島・南小島・久場島(くばしま)・大正島などが含まれる。現在は日本が実効支配しており、海上保安庁がパトロールを行っている。一方で中国(中華人民共和国)・台湾(中華民国)が、それぞれ「釣魚島(ちょうぎょとう)」「釣魚台(ちょうぎょだい)」と呼んで領有権を主張しており、日中・日台間の外交的摩擦の原因となっている。日本政府は「尖閣諸島については領有権問題は存在しない」という立場を維持しており、中国・台湾の主張には根拠がないと反論している。


尖閣諸島の歴史的経緯はどのようなものか

尖閣諸島の帰属をめぐる歴史的経緯は北方領土・竹島とは異なる性格を持つ。日本は1895年1月の閣議決定によって尖閣諸島を沖縄県に編入した。これは当時の実効支配のない無主地(どの国も実効支配していない土地)への先占(せんせん)として正当な領土取得だと日本は主張している。1895年4月の下関条約で清(中国)が台湾・澎湖諸島を日本に割譲しているが、尖閣諸島は下関条約とは無関係に先占によって取得したものだと日本は説明している。1951年のサンフランシスコ平和条約では尖閣諸島が日本放棄の領土リストに含まれず、1952〜1972年のアメリカ統治期間中もアメリカが施政権を持つ南西諸島の一部として管理された。1972年の沖縄返還協定によってアメリカから日本へ施政権が返還された際も尖閣諸島は含まれていた。


中国・台湾の主張はなぜ1970年代から強まったのか

中国・台湾が尖閣諸島への領有権主張を本格的に始めたのは1970年代のことであり、それ以前には両国とも尖閣諸島への領有権を主張していなかった。変化のきっかけは1969年の国連アジア極東経済委員会(ECAFE)の調査報告であり、尖閣諸島周辺の東シナ海に豊富な石油・天然ガスが埋蔵されている可能性が示された。これを受けて1971年に中華人民共和国・中華民国がそれぞれ尖閣諸島への領有権を主張し始めた。日本はこの主張に対して「それまで中国も台湾も尖閣への主張をしていなかったことは、1895年の日本による編入を問題視していなかった証拠だ」と反論している。1978年の日中平和友好条約交渉の際には「尖閣諸島の問題を棚上げにする」という非公式の合意(棚上げ論)が存在したという見解もあるが、日本政府はそのような合意の存在を認めていない。


2010年代以降の尖閣諸島をめぐる情勢はどのようなものか

2012年9月、日本政府は尖閣諸島(魚釣島・北小島・南小島)を民間地権者から国が購入する「国有化」を実施した。これは当時の石原慎太郎東京都知事が東京都による購入を推進していたことへの対抗措置として行われたが、中国はこの国有化を強く批判し、各地で反日デモ・日本製品不買運動が起きた。2012年以降、中国海警局(旧「中国海監」)の船舶が尖閣諸島の接続水域・領海への侵入を繰り返しており、その回数は年々増加している。2024年には中国海警局の船舶が日本の漁船に接近するなど、より挑発的な行動も報告されている。アメリカは日米安保条約第5条が尖閣諸島にも適用されると表明しており、中国による武力による現状変更には対抗するという立場を示している。しかし実際の武力衝突は現在のところ回避されており、「グレーゾーン事態(武力攻撃とは言えないが通常の対処では対応しにくい状況)」での対峙が続いている。


尖閣諸島の自然環境と資源的価値はどのようなものか

尖閣諸島の島々は現在無人島であり、希少な生態系が保全されている。魚釣島にはリュウキュウヤマネコ(仮称)・アホウドリ・カツオドリなど希少な動植物が生息・繁殖しているとされる。周辺海域は東シナ海の豊かな漁場であり、カツオ・マグロ・イカなどの漁業が盛んに行われてきた。戦前には魚釣島に鰹節工場が設置され、日本人漁業者が居住していたこともある。海底資源については、1969年のECAFE調査報告以来、尖閣諸島周辺の東シナ海に豊富な石油・天然ガスが埋蔵されている可能性が指摘されているが、現在まで本格的な採掘は行われていない。海底地形・地質の調査が限られており、実際の埋蔵量は不明である。こうした資源的魅力が中国・台湾の領有権主張の背景にあるという見方もあるが、日本はあくまで歴史的・法的根拠を根拠に日本領であると主張している。


発展:尖閣諸島問題の地政学的意義はどのようなものか

尖閣諸島問題は単なる小島の領有権問題ではなく、東シナ海・西太平洋全体の地政学的秩序を左右する問題として注目されている。中国が尖閣諸島の実効支配を確立すれば、東シナ海での中国海軍・空軍の行動半径が拡大し、沖縄・台湾・フィリピンラインに対する圧力が強まる可能性がある。「第一列島線(the First Island Chain)」と呼ばれる概念では、日本列島・南西諸島・台湾・フィリピンが中国の海洋進出を阻む「防衛ライン」として機能しており、尖閣諸島はこのラインの重要な位置に存在する。アメリカが日米安保条約の対象として尖閣諸島を明示したことは、中国に対する「同盟の信頼性(credibility of the alliance)」を示す戦略的コミュニケーションとしての意義がある。日本の安全保障政策では、尖閣諸島は南西諸島全体の防衛強化(与那国島への自衛隊配備・石垣島へのミサイル部隊配備など)の文脈で位置づけられており、近年特にその重要性が高まっている。


尖閣諸島問題の現在の状況はどのようなものか

2012年の日本政府による尖閣諸島「国有化」以降、中国海警局の公船(準軍事的な海上警備船)が尖閣諸島周辺の日本の接続水域・領海へ侵入する頻度が著しく増加した。2020年代には年間300日超にわたって中国公船が周辺を航行する状況となっており、日本の海上保安庁巡視船との長期的な「にらみ合い」が常態化している。

中国はこの行為について「自国領土付近の海域でのパトロール」と主張しており、「尖閣は中国固有の領土(釣魚島)」という立場から外交的抗議を繰り返している。日本は「尖閣は日本固有の領土であり領土問題は存在しない」という立場を一貫して維持しながら、海上保安庁による監視・対応を続けている。

2021年に中国が「海警法」を制定し、中国の海警局が外国の船舶に対して武器使用を認める規定を設けたことで、尖閣諸島周辺での偶発的衝突のリスクが高まったとされる。日本はこれに強く抗議し、自衛隊・海上保安庁の連携強化・南西諸島への防衛力増強で対応してきた。


尖閣諸島の日本による統治の根拠はどのようなものか

日本が尖閣諸島への主権根拠として挙げる主な論拠は以下の通りである。第1に「無主地先占」であり、1895年の閣議決定以前に尖閣諸島を実効支配した国はなく、日本が国際法上正当に編入したと主張する。第2に、中国・台湾が1970年代以前の文書・地図では尖閣諸島を中国領と記述しておらず、中国の主張は「石油資源発見後に始まった」と指摘する。

第3の根拠として、1951年のサンフランシスコ平和条約第3条でアメリカの施政下に置かれた南西諸島に尖閣諸島が含まれており、1972年の沖縄返還に際してアメリカから日本に施政権が返還されたことを挙げる。日本はアメリカが明示的に尖閣諸島をこの範囲に含めたことが日本の権利の確認であると解釈する。

現在も日本政府は「尖閣諸島をめぐる領土問題は存在しない」という公式立場を堅持しており、中国との外交的解決の交渉テーブルにつくことそのものを避けている。これは「交渉に応じることで領土紛争の存在を認めることになる」という判断によるものである。一方、一部の研究者や政治家は中国との緊張緩和のための何らかの対話の枠組みが必要だと主張している。


尖閣諸島問題とアメリカの関与はどのようなものか

アメリカは尖閣諸島問題について「主権の帰属については立場をとらないが、日本の施政権下にある尖閣諸島は日米安全保障条約第5条の適用対象である」という公式立場を維持している。この立場は2010年代以降、オバマ・トランプ・バイデン各政権において繰り返し確認されている。

日米安保条約第5条の「日本の施政の下にある領域」への攻撃に対してアメリカが応戦義務を持つとの解釈が尖閣諸島に適用されることは、中国への抑止力として機能している。ただしアメリカが実際に軍事介入するかどうかについては、状況次第で判断が変わる可能性があるとの見方もある。

アメリカは歴史的に「施政権を返還した領土であり、帰属は当事国間で解決すべき問題」という慎重な立場をとってきた背景がある。現在の「施政権下にあれば安保の対象」という立場は、日本の安全保障への配慮と中国への関与(リスクの伝達)を両立させようとするものである。この複雑な立場が日中米三者の尖閣をめぐる外交の核心にある。


尖閣諸島の国際法上の帰属問題はどのようなものか

尖閣諸島の国際法上の帰属をめぐる主要な論点は以下の通りである。日本は1895年1月の閣議決定で尖閣諸島を沖縄県に編入したが、この時点で尖閣諸島は「無主地(いずれの国にも属さない土地)」であったと主張する。国際法上の「無主地先占」の原則に従えば、日本が最初に実効的に支配したことで日本領となったという論理である。

中国は「尖閣諸島は14世紀から中国の文献に「釣魚島」として登場しており、中国が古くから発見・利用してきた」と主張する。また「1895年の日本による編入は、日清戦争の最中に行われた台湾割譲(下関条約)と一体の侵略行為の一部である」という歴史的解釈をとる。

第2次世界大戦後の処理という観点では、日本は「1951年のサンフランシスコ平和条約第3条でアメリカの施政下に置かれた南西諸島(琉球諸島)に尖閣諸島が含まれていた」「1972年の沖縄返還でアメリカから日本へ施政権が返還された際に尖閣諸島も含まれた」と主張する。アメリカは施政権返還の際に尖閣諸島が含まれることを確認している。

中国が尖閣諸島への領有権主張を本格化させたのは1971年であり、それ以前の中国の地図・教科書は尖閣諸島を日本領として扱っていた事例が指摘されている。1970年代に国連機関が尖閣諸島周辺海域での石油・天然ガスの埋蔵可能性を示したことが、中国・台湾の主張強化と時期的に一致していることを日本側は指摘している。


尖閣諸島の自然環境と過去の利用状況はどのようなものか

尖閣諸島の主要な島嶼は、魚釣島(面積約3.82平方キロメートル)・久場島(約0.94平方キロメートル)・大正島(約0.06平方キロメートル)・北小島・南小島などである。最大の魚釣島は標高362メートルの山を持ち、亜熱帯植生に覆われた緑豊かな島である。現在は無人島であるが、明治時代から1941年頃まで「鰹節工場」の経営者(古賀辰四郎・古賀村の子孫)が島に移住して漁業・鰹節製造に従事していた記録がある。

尖閣諸島周辺の海域はクロマグロ・カツオ・サバなどの好漁場であり、古くから沖縄・台湾の漁師が操業してきた。1895年に日本が島嶼群を沖縄県に編入した後も、漁業者の利用は継続した。古賀辰四郎は1896年に尖閣諸島の無償貸与を政府から受け、鰹節・羽毛・貝殻などの生産で一時期繁栄した。

1970年代に日本政府が島内の残存施設(灯台・桟橋など)を管理・整備し始め、海上保安庁の定期巡回を実施するようになった。1978年には日本青年社(右翼団体)が魚釣島に灯台を設置したことで中国が抗議し、国際的な注目を集めた。この灯台は海上保安庁が1990年に航行安全施設として認定し、現在も機能している。


尖閣諸島周辺の海洋資源と中国の権益主張はどのようなものか

尖閣諸島周辺の海域には海底石油・天然ガスの埋蔵が推定されており、これが中国・台湾の領有権主張が強まった1970年代以降の主要な背景の一つとされている。1969年に国連アジア極東経済委員会(ECAFE)が実施した調査で「尖閣諸島周辺の東シナ海に石油資源が埋蔵されている可能性がある」と報告されたことが、その後の中国・台湾の主張強化と時期的に一致している。

現時点では尖閣諸島周辺の海底資源の実際の埋蔵量・採掘可能性は確認されていないが、中国は東シナ海の大陸棚(日本の「中間線」より西側)での自国のガス田開発を継続している。「白樺(中国名:春暁)」「楠(中国名:断橋)」などのガス田が日本の主張する中間線に近い位置にあり、日本は共同開発を提案してきたが合意には至っていない。

尖閣諸島問題は「領土問題」であると同時に「海洋資源の権益問題」でもあることを理解することが重要である。島の帰属が変わった場合、領土から生じるEEZの範囲が変わり、周辺海域の漁業・資源開発権益が変化する。こうした複合的な利害が尖閣問題を複雑にしているが、日本政府は「尖閣諸島をめぐる領土問題は存在しない」という立場を維持し、中国との直接交渉に応じていない。


監修者 taisa68
最終更新日 2026-04-28