第2章 日本の姿

与那国島

与那国島

与那国島とはどのような島なのか

与那国島(よなぐにじま)とは、沖縄県八重山郡与那国町に属する日本最西端の領土であり、琉球列島(南西諸島)の最西端に位置する島のことである。北緯24度26〜27分・東経122度55〜123度01分に位置し、台湾(台湾本島東端)までの距離は約111キロメートルと、日本の領土の中で最も台湾(外国)に近い島である。面積は約28.88平方キロメートルで、おおよそ東西9キロメートル・南北4キロメートルの細長い楕円形に近い形状を持つ。島の最高峰は宇良部岳(標高231メートル)。2024年時点での人口は約1700〜1800人程度であり、行政・文化・観光・水産業・観光業が生活の中心となっている。近年は自衛隊の駐屯地が設置されたことで、安全保障上の拠点としても注目されている。


与那国島の歴史的経緯はどのようなものか

与那国島は古くから琉球王国の支配下にあり、「どぅなん(渡那覇)」とも呼ばれてきた。江戸時代には薩摩藩の支配下の琉球王国に属し、1879年の琉球処分(明治政府による琉球王国の廃止と沖縄県設置)によって日本の沖縄県に正式に編入された。第2次世界大戦では1945年に沖縄戦の激戦が本島・南西諸島全体に及んだが、与那国島は比較的直接の戦禍を免れた。戦後は沖縄と同様にアメリカの施政権下に置かれ、1972年の沖縄返還(沖縄本土復帰)とともに日本に返還された。復帰以前は「密貿易」(ヤミ貿易)による台湾との交易が島の経済を支えていた時期もある。現在は那覇・石垣との定期航空・フェリーで本島・本土と結ばれており、観光業・水産業・農業(砂糖キビなど)が主要産業となっている。


与那国島の地理的・自然的特徴はどのようなものか

与那国島は亜熱帯海洋性気候に属し、年間を通じて温暖で雨が多い。最西端に位置するため、本土より約1時間遅く日が昇り、夕日は台湾方向に沈む。晴れた日には島から肉眼で台湾島を望むことができることもある。島の西側の海底には「海底地形(与那国海底地形)」と呼ばれる段状の岩盤構造が発見されており、「海底遺跡」とも呼ばれることがあるが、これが自然地形か人工物かについては科学的論争が続いている。海域は世界最大の硬骨魚類の一つ「マンタ(オニイトマキエイ)」の群泳地として有名で、ダイビング・観光の人気スポットとなっている。ヨナグニウマ(与那国馬)という日本在来馬の一品種が生息し、国の天然記念物に指定されている。与那国島の西端(西崎)は日本領土の最西端に設定されており、「日本最西端の碑」が設置されている。


与那国島の安全保障上の意義はどのようなものか

与那国島は台湾まで約111キロメートルという位置にあり、台湾海峡・東シナ海の緊張に直接影響を受ける前線的な位置にある。2016年3月、陸上自衛隊の「沿岸監視隊」が与那国島に配備された(定員は当初約160人)。これは島から電波を使って中国軍・台湾軍・不審船などを監視するための部隊であり、与那国島が防衛上の「目」として機能するようになった。2022年のロシアによるウクライナ侵攻以降、「台湾有事の際に与那国島が攻撃対象になり得る」という安全保障上の懸念が高まり、2023年には住民の一部を対象とした避難計画の検討が始まった。島の住民の間でも、自衛隊配備・有事への対応について様々な意見が存在し、地域の安全保障への意識が高まっている。地政学的には与那国島は「第一列島線」の最西端に位置し、アメリカ・日本の対中戦略において重要な「早期警戒」の役割を担っている。


与那国島と台湾の関係はどのようなものか

与那国島と台湾は地理的に非常に近く、歴史的・文化的にも交流がある。1895年以前の琉球王国時代、与那国島は清朝(中国)・台湾との交易圏の中にあった。1895年の下関条約で台湾が清から日本に割譲され、与那国島とともに日本領となったことで一時的に同じ「日本帝国」の一部となった。戦後、台湾はアメリカの支援のもとで中華民国政府が維持し、沖縄(与那国島)はアメリカの施政権下に置かれた。1972年の沖縄返還後、与那国島は日本領に、台湾は中華民国として独立した政治的実体として存続した。現在、与那国島から台湾へのフェリー・航空路の開設が何度か検討されたが、日本政府の「一つの中国」政策との関係から実現していない。台湾有事の際の与那国島の役割・住民避難計画については、現在最重要の地域的課題となっている。


発展:与那国島と日本最西端の地政学的意味はどのようなものか

与那国島は日本最西端の領土として、地政学的な「境界の島」という独特の役割を担っている。台湾まで111キロメートル、中国大陸(福建省沿岸)まで約450キロメートルという位置は、東アジアの「火薬庫」とも呼ばれる台湾海峡問題の最前線に位置することを意味する。2024〜2026年現在も続く台湾をめぐる地政学的緊張の中で、与那国島の戦略的重要性はかつてない高まりを見せている。沿岸監視隊の増強・ミサイル部隊の配備を含む南西諸島全体の防衛強化計画(九州・沖縄・南西諸島を含む「南西シフト」)において、与那国島は石垣島・宮古島とともに最前線の拠点として位置づけられている。歴史的には周辺地域の「辺境」として扱われてきた与那国島が、21世紀の地政学的転換の中で「最前線」としての性格を強めているという現代的変化は、小さな離島の位置が国際情勢の変化によって大きく意味を変えることを示す典型例といえる。


与那国島の経済・産業と人口問題はどのようなものか

与那国島の主要産業はサトウキビ栽培・漁業・観光業である。また島特産の「ドナン」と呼ばれるどぶろく(泡盛の前身的な酒)が有名で、沖縄本島とは異なる独自の食文化を持つ。島の人口は1965年には3500人超であったが過疎化が進み、現在は1600〜1700人前後で推移している。

2016年に陸上自衛隊の沿岸監視部隊(与那国駐屯地)が開設されたことにより、自衛官とその家族の移住で人口がやや増加した。島内では自衛隊駐屯地の受け入れをめぐり住民投票(2015年)が行われ、賛成多数で駐屯地設置が決定した経緯がある。

与那国島は台湾との距離が約111キロメートルと極めて近く、台湾の山脈が晴れた日に肉眼で見えることがある。近年はコロナ禍前まで台湾からの観光客も多く、与那国空港から台湾の花蓮空港への直行便も運航されていた(2020年以降は停止)。台湾との経済的・人的関係の強化は与那国島の振興策の一つとして議論されている。


与那国島周辺の海底遺跡はどのようなものか

与那国島南岸沖の海底には「与那国島海底遺跡」と呼ばれる階段状・テラス状の岩石構造物が発見されており、1980年代以降ダイビングスポットとして注目されている。この構造物が人工物(古代文明の遺跡)か自然の地形か(波食・断層による地形)かについては学術的に決着がついていない。

肯定派は「一辺が直線的で幾何学的な形状・段差の規則性」を人工物の証拠として挙げ、否定派は「砂岩・泥岩が波食・断層で割れることで自然に同様の形状が形成される」と反論している。発見者・新嵩喜八郎氏(地元のダイビングショップ経営者)が1985年に発見し、その後「幻の大陸・ムー大陸の遺跡」説などが流布したことで広く知られるようになった。

現在も海底遺跡周辺はダイビングスポットとして観光客を集めており、与那国島観光の目玉の一つとなっている。学術的論争は未解決のままだが、自然地形説が主流である。深さ5〜30メートルの浅い海域に広がるこの構造物は、観光資源として島の経済に貢献している。


与那国島の安全保障上の重要性はどのようなものか

与那国島は台湾有事の際に最も直接的な影響を受ける可能性がある日本領土として位置づけられている。台湾海峡での武力衝突が発生した場合、与那国島はその戦域に隣接する最前線となる。自衛隊の与那国駐屯地はこうした状況に備えた監視・通信機能を持ち、南西諸島防衛の最西端拠点として機能している。

与那国島の軍事的役割を巡っては「抑止力向上か、緊張の激化か」という二つの見方がある。自衛隊駐屯地設置後、中国軍の動向監視・海上警備能力が向上した一方で、中国側は「軍事化への懸念」を表明している。島民の中にも安全保障をめぐり意見の分かれる状況が続いている。

日米安全保障条約は与那国島を含む日本全土に適用されるため、台湾有事で日本の領土・公海・領空が攻撃された場合は条約の発動が問題となりうる。アメリカ・日本・台湾の三者の安全保障関係が複雑に絡む中で、与那国島は現代の地政学的緊張の最前線に立っている。


与那国島の文化と人々の暮らしはどのようなものか

与那国島の先住民は与那国語(ドゥナン語)を話す集団であり、その言語は本島の沖縄語・本土の日本語とも異なる独特の体系を持つ。ユネスコは与那国語を「消滅の危機にある言語」に指定しており、話者数は高齢者を中心に数十人程度まで減少しているとされる。島の学校や地域団体が与那国語の保存・継承活動を続けているが、若者世代への継承は困難な状況にある。

与那国島で産する「ドナン(与那国酒)」は、泡盛とは異なる独自の製法で作られる蒸留酒であり、アルコール度数が60度を超える銘柄もある。国内最高度数の合法的な蒸留酒として知られており、地域のアイデンティティを体現する特産品の一つとなっている。農業ではサトウキビが主要作物であり、与那国馬(与那国小馬)という日本在来馬の希少品種も飼育されている。

毎年夏に行われる「与那国島マラソン(サンニヌ台マラソン)」は日本最西端の地を走るマラソン大会として知られ、全国から参加者が集まる。与那国島の観光は主にダイビング(海底遺跡・マンタ・ハンマーヘッドシャークなど)と自然体験(サガリバナ・日本最西端の夕日など)が中心で、年間観光客数は数万人規模である。


与那国島の日本最西端としての地理的・天文学的特徴はどのようなものか

与那国島の最西端にある「西崎(いりざき)灯台」は北緯24度26分58秒・東経122度55分59秒に位置し、日本の最西端の地として認定されている。この地点の経度(東経122.93度)は東京の東経139.69度より約16.76度西に位置しており、東経135度の日本標準時(JST)より約1時間7分遅い「太陽時」が対応する。

日本標準時(UTC+9)を使用しているため与那国島での日の出・日の入りは本土より遅く、夏至の頃には東京より約1時間以上遅く日が暮れる。最西端の地から見る「日本最後の夕日」は観光スポットとして人気があり、晴れた日には台湾の山脈が水平線上に見えることもある。

与那国島が「日本最西端」であることは単なる地理的記録にとどまらず、日本の領土・EEZを西方に最大限に拡大させるという地政学的意義を持つ。与那国島がなければ日本のEEZの西側境界は石垣島・宮古島付近となり、東シナ海での日本の管轄海域は大幅に縮小する。現在、与那国島周辺のEEZは中国のEEZと重複する部分があり、その境界画定は日中間の未解決課題の一つとなっている。


与那国島の気候・自然環境と観光の魅力はどのようなものか

与那国島は亜熱帯海洋性気候に属し、年間平均気温は約23度、年間降水量は約2000〜3000ミリメートルである。台風の通過経路に当たることが多く、大型台風による被害を受けることもある。島には固有種・希少種が多く、与那国馬(ヨナグニウマ)は日本在来馬の一品種で世界最小クラスの馬として知られている。体高は100〜110センチメートルと小さく、かつては農耕・荷役・輸送に使われた。

島の植生は亜熱帯照葉樹林が主体であり、ガジュマル・モモタマナ・クバ(ビロウ)などの南国植生が見られる。海岸にはサンゴ礁が広がり、海中のマンタ・ハンマーヘッドシャーク・イソマグロなどの大型魚類はダイビング愛好者を世界中から引き付ける。特に「与那国ハンマーヘッド」(ハンマーヘッドシャークの群れ)は世界有数の観察スポットとして国際的に知られている。

観光の目玉として「日本最西端の碑」「西崎(いりざき)灯台」「ティンダバナ展望台」「与那国海底遺跡(ダイビングスポット)」「ダンヌ浜(サンゴの砂浜)」などが挙げられる。与那国空港からは那覇・石垣への定期便が運航されており、東京・大阪からは那覇・石垣を経由するアクセスが一般的である。島内には小規模なホテル・民宿・ダイビングショップが点在している。


与那国島の面積は約29平方キロメートルで、東西12キロメートル・南北4キロメートルの長方形に近い形をしている。島の最高点は海抜231メートルのサンニヌ台であり、台地・丘陵性の地形が特徴的である。集落は祖納(そない)・久部良(くぶら)・比川(ひかわ)の三つが主要で、島の行政は与那国町(沖縄県八重山郡)が担っている。島の北西端には日本最西端の地・西崎(いりざき)があり、晴れた日には台湾の中央山脈が見える。


与那国島の経済は近年、自衛隊駐屯地の設置(2016年)によって変化しつつある。自衛官・その家族が島外から移住したことで島の人口が微増し、消費・住宅需要にも影響が出ている。また2023年から与那国島〜石垣島間のフェリー運航が再開され、物流・生活インフラの改善が進んでいる。島の若者が石垣島や沖縄本島に移住する流れが続く一方で、農業・漁業・観光業の振興によって島の持続可能な発展を図る取り組みが模索されている。


監修者 taisa68
最終更新日 2026-04-28