国家安全保障と国際連合
勢力均衡政策とその限界
国家は自国の安全を守るために、単独での軍備増強だけでなく、利害を共有する他国と同盟を結ぶという戦略を取ってきた。この考え方の根本にあるのが「勢力均衡(バランス=オブ=パワー)」であり、対立する勢力に対して同盟を形成し、あるいは軍備を拡張することで互いの力の均衡を保つことで平和を維持しようとするものだ。
勢力均衡のしくみと問題点
勢力均衡とは、複数の国家が互いに対抗する同盟を形成し、いずれの側も圧倒的な優位に立てない状態を作り出すことで戦争を抑止するという発想だ。理論上は均衡が保たれれば戦争は起きにくい。しかし現実には、均衡を保とうとするほど各国は際限なく軍備を拡張し、緊張が高まり続ける。さらに、いったん紛争が発生すると同盟の連鎖によって戦争が急速に拡大するという深刻な欠点がある。この構造的な問題が現実に爆発したのが第一次世界大戦だ。ヨーロッパを二分する同盟体制のもとで、サラエボでの一発の銃声が全大陸を飲み込む大戦争へと発展した。勢力均衡は平和の保証ではなく、むしろ一触即発の構造を生み出す装置でもある。
国際連盟と集団安全保障体制
第一次世界大戦の惨禍を経て、国際社会は新たな平和維持の仕組みを模索した。従来の勢力均衡に代わる発想として登場したのが「集団安全保障」であり、その最初の制度的試みが国際連盟だ。戦争の悲惨さを目の当たりにした人類が、力の均衡ではなく法と協力によって平和を守ろうとした最初の本格的な挑戦だった。
平和原則14か条と国際連盟の創設
1918年、アメリカのウィルソン大統領は「平和原則14か条(14か条の平和原則)」を提唱し、国際連盟の創設と集団安全保障体制の構築を訴えた。この理念は現実化され、1919年のパリ講和会議で調印されたヴェルサイユ条約の中に国際連盟規約が定められた。本部はスイスのジュネーヴに置かれ、常任理事国としてイギリス・フランス・日本・イタリアが名を連ねた。国際機関が戦争抑止を担うという発想は、それ自体が歴史的な転換点であった。
集団安全保障のしくみ
集団安全保障の核心は、加盟国全員が武力不行使を約束し、その約束を破った国家に対して全加盟国で制裁を加えるという相互保証の体制だ。個別の同盟によって特定の敵国を想定するのではなく、加盟国全体が潜在的な侵略者に対して結束するという発想は、勢力均衡とは根本的に異なる。侵略者は「国際社会全体の敵」として扱われ、孤立した状態に追い込まれることで戦争抑止を図る。
国際連盟の問題点と崩壊
理念は画期的だったが、国際連盟は構造的な欠陥を抱えていた。まず、武力行使を全面的に禁止したわけではなく、侵略国の認定や強制措置の発動をそれぞれの加盟国の判断に委ねるという根本的な曖昧さがあった。次に、提唱国であるアメリカがモンロー主義(孤立主義)によって上院の承認が得られず、不参加のまま推移したことは致命的だった。さらにソ連の関与は限定的であり、のちに日独伊が相次いで脱退する。意思決定は全会一致制であり、制裁も経済制裁にとどまった。こうした弱点が積み重なり、国際連盟は1930年代の相次ぐ侵略行為を止めることができなかった。
国際連合の集団安全保障体制
第二次世界大戦は国際連盟の失敗を証明し、より実効性のある国際機関の必要性を誰の目にも明らかにした。戦争の終結を見据えながら、連合国は新たな国際平和機構の設計に着手した。
国連設立の歴史的経緯
1941年、アメリカのフランクリン・ローズヴェルトとイギリスのチャーチルは大西洋憲章を発表し、戦後の新たな国際平和機構設立の構想を示した。1944年にはアメリカ・イギリス・ソ連・中華民国によるダンバートン=オークス会議で国連憲章の原案が作成される。1945年のヤルタ会談では安全保障理事会における大国一致方式が確認され、同年のサンフランシスコ会議で正式に国際連合憲章(国連憲章)が採択された。こうして国際連盟の教訓を踏まえた新たな国際秩序の枠組みが誕生した。
国連憲章の基本原則
国連憲章は、国際平和と安全の維持、平等と民族自決に基づく諸国間の友好関係の促進、経済的・社会的・文化的・人道的な国際問題の解決、基本的人権の尊重についての国際協力を目的として掲げる。これらの原則のもとで、国連が国際問題解決の中心的な場を形成することが期待された。なお日本など連合国に敵対した国々に関する「敵国条項」が憲章に存在したが、日本は現状に合致しないとして削除を求め、1995年の総会決議で削除が採択された。ただし条文自体は現在も存在しており、いわゆる死文化した状態にある。
国連憲章第6章第7章と強制措置
国連の平和維持機能の中核をなすのが憲章第6章と第7章の区別だ。第6章は紛争の当事国に平和的解決を要請するもので、いわば説得・勧告の段階だ。これに対して第7章は、経済制裁・外交制裁などの非軍事的措置と、正規国連軍(UNF)などによる軍事的措置を「強制措置」として規定している。国連軍は加盟国が自国兵力を安全保障理事会に供給するという特別協定によって結成される構想だが、これまで正規国連軍は一度も結成されたことはない。一方で1991年の湾岸戦争、2003年のイラク戦争では安保理が授権した多国籍軍が組織されており、各国が任意に国連待機軍を準備している場合もある。
安全保障理事会と大国一致の原則
国連の集団安全保障体制の要となるのが安全保障理事会(安保理)だ。国際の平和と安全の維持に主要な責任を負う機関として、他のいかなる国連機関よりも強い権限と実行力を与えられている。この安保理の構造そのものが、国連の強さと弱さの両方を体現している。
安保理の構成と表決方式
安保理は米・英・仏・ロ・中の5常任理事国と、任期2年の10非常任理事国から構成される計15理事国体制だ。実質事項の採択には全常任理事国を含む9理事国の同意が必要であり、常任理事国は反対票を投じることで決議の成立を阻止する「拒否権」を持つ。これが「大国一致の原則」と呼ばれる。なお手続事項には拒否権が認められない。常任理事国の地位変遷として、1971年に中国の代表権が中華民国(台湾)から中華人民共和国に移り、1991年にはソ連の代表権がロシアに継承されている。2026〜2027年の任期を持つ非常任理事国にはバーレーン、コロンビア、コンゴ民主共和国、デンマーク、ギリシャ、ラトビア、リベリア、パキスタン、パナマ、ソマリアが含まれる。
拒否権と冷戦期の機能不全
冷戦期、米ソ対立を背景に拒否権が数多く行使されるか、その行使が予想されるだけで、強制措置がとられることはほとんどなかった。安保理が機能不全に陥った場合の対応策として1950年に採択されたのが「平和のための結集」決議だ。安保理が拒否権行使によって役割を果たせない場合、総会が強制措置をとることを勧告できるとし、会期中でない場合は緊急特別総会を開催できると定めた。
加盟国の拡大と国連の普遍化
国連は創設時51か国でスタートし、冷戦や脱植民地化、冷戦終結などの歴史的転換とともに急速に加盟国を増やしてきた。現在の加盟国数は創設時の4倍近くに達しており、アジア・アフリカ諸国が加盟国の約半数を占めるに至っている。
主要な加盟の歩み
1956年、日ソ共同宣言を受けてソ連が拒否権を行使しないことを決めたため、日本が国連に加盟した。1973年には西ドイツのブラントによる東方外交の成果として東西ドイツが同時加盟を実現した。1991年の冷戦終結後は南北朝鮮(大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国)の同時加盟、エストニア・ラトビア・リトアニアのバルト三国の加盟が続いた。2002年には永世中立国スイスとインドネシアから分離独立した東ティモールが加盟し、2006年にはセルビアとの連邦制を解消したモンテネグロが、2011年にはスーダンから分離独立した南スーダンが加盟した。現在も加盟していない地域としてはバチカン市国、コソボ、台湾(中華民国)、パレスチナなどが挙げられる。
自衛権と同盟のジレンマ
国連憲章は原則として武力行使を禁止しているが、自衛権の行使はその例外として認められている。自衛権には、自国への武力攻撃に対して一国で行使する個別的自衛権と、同盟関係にある他国への攻撃に対して共同で行使する集団的自衛権がある。核兵器との関係では、1996年に国際司法裁判所(ICJ)が、一般的な核兵器使用は国際人道法違反と示しつつも、極限状態での自衛のための使用については最終的な結論を出せないと判断しており、核使用の法的評価は今なお不確定な領域にある。
同盟のジレンマとリスクの構造
同盟を形成することには二つの相反するリスクがある。それが「同盟のジレンマ」だ。同盟を結ぶことで、単独で攻撃される「見捨てられるリスク」は軽減される。しかし一方で、同盟国の紛争に引き込まれる「巻き込まれるリスク」は増大する。日本が集団的自衛権の行使をめぐって長年議論を続けてきた背景にも、このジレンマが根本的な問いとして横たわっている。安全を求めることが新たな危険を生む、という矛盾は現代の国際政治においても解消されていない。
平和維持活動(PKO)の展開
安保理が機能不全に陥りがちな冷戦期に、国連は新たな平和維持の手段として平和維持活動(PKO)を生み出した。PKOは「国連憲章6章半活動」とも呼ばれ、憲章が想定した強制措置でも純粋な紛争解決でもない、独自の実践として発展した。
PKOの原則と任務
PKOには四つの基本原則がある。すなわち、任意原則(強制でなく自主的参加)、同意原則(紛争当事国の要請と同意を前提とする)、中立原則(いずれの当事者にも偏らない)、自衛原則(武器使用は自衛に限る)だ。設立当初の任務は停戦の監視や兵力の引き離し、非武装地帯の維持が中心で、停戦監視団や平和維持軍(PKF)がこれにあたった。しかし冷戦終結後、内戦や国家崩壊といった新型の紛争が増加するにつれてPKOの任務は複合化した。元兵士の武装解除・動員解除・社会復帰、選挙監視、人権保護、文民保護といった「平和構築」活動が加わり、PKOの性格は根本的に変化した。
PKOの歴史的展開と日本の参加
1950年代半ばのスエズ動乱(第二次中東戦争)で、初の国連平和維持軍(PKF)である国連緊急軍が組織され、PKOが歴史上初めて展開された。1990年のイラクによるクウェート侵攻に対して安保理は侵略行為と認定し武力行使を容認、1991年に多国籍軍がイラクを攻撃した湾岸戦争が起こった。1992年には国連事務総長ガリがPKO強化策を打ち出し、武力行使を予定した平和執行部隊の派遣も可能とした。同1992年、日本では国連平和維持活動協力(PKO協力)法が制定され、長く戦乱が続いたカンボジアに初めて自衛隊が派遣され、国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)の活動の一環を担った。
自衛隊のPKO参加条件(PKO5原則)
日本が自衛隊をPKOに派遣するための条件として五原則が定められている。①紛争当事国間に停戦合意があること、②紛争当事国双方がPKOの受け入れに同意していること、③いずれにも偏らない中立性を遵守すること、④①〜③が欠けた際は独自の判断で撤収すること、⑤武器使用は自衛に限ること、の五点だ。2015年の法改正によって支配下にある者の生命を守るためにも武器使用が認められるようになった。ゴラン高原には1996年から約17年にわたり国連兵力引き離し監視軍として自衛隊が展開したが、2013年に非戦闘地域の要件を欠いたと判断し、独自判断により撤収した。一方で1993〜1995年の第二次国連ソマリア活動や1992〜1995年の国連ユーゴスラビア保護軍は、紛争の泥沼化により事実上失敗に終わっている。
国連の組織と専門機関
国連はその目的を果たすため、複数の主要機関と多数の専門機関・補助機関から構成される複合的な組織体制をとっている。それぞれが特定の分野を担当し、国際社会の諸問題に対応している。
総会安保理経済社会理事会
総会は全加盟国が一国一票の投票権を持つ機関で(一国一票の原則)、一般事項は過半数、重要事項は3分の2以上の賛成で決議する。安全保障理事会は国際紛争の平和的解決と制裁を担い、国際平和と安全維持に一次責任を負う。経済社会理事会は、経済・社会・文化・教育・衛生などの非政治分野での国際協力を目的とし、任期3年の54理事国で構成される。民間団体とも協議を行うのが特徴で、各理事国は国連分担金の割り当てに関わらず1票を行使できる。
国際司法裁判所(ICJ)
国際司法裁判所(ICJ)は国家間の国際法上の紛争を解決するための司法機関だ。裁判の開始には紛争当事国双方の付託が必要であり、一方的な申し立てだけでは開廷されない。また国際法上の解釈について勧告的意見を出す権限も持つ。1996年には一般的な核兵器の使用は国際人道法に違反するとの判断を示した一方で、極限状態での自衛のための使用については最終的な結論を出せないとした。裁判官は任期9年、15名で構成され、一国から複数名の裁判官を出すことはできない。各国は国際法解釈にあたってICJの判決を参照しており、その判断は国際的な法規範の形成に大きく影響する。
事務局補助機関専門機関
経済社会理事会と連携する専門機関は多岐にわたる。主なものとして、国際労働機関(ILO)、国連食糧農業機関(FAO)、国連教育科学文化機関(UNESCO)がある。
世界保健機関(WHO)、国際復興開発銀行(IBRD)、国際通貨基金(IMF)、世界知的所有権機関(WIPO)も経済社会理事会と連携する専門機関だ。WHOは2020年のCOVID-19パンデミックを宣言した。
定期的なイベントとして国連軍縮特別総会や国連環境開発会議(地球サミット)も開催されている。
国連改革と安保理の課題
冷戦終結後、国際社会が直面する脅威は多様化し、安保理に求められる役割も拡大した。しかし拒否権を持つ常任理事国は依然として5か国にとどまり、現実の国際社会の変化と安保理の構造との乖離が深刻になってきた。
安保理改革の議論
安保理改革の論点は三点にまとめられる。①主権の不平等:常任理事国への拒否権付与は加盟国の平等に反するという問題だ。②地位的偏在:常任理事国の地位が欧米に偏っており、過半数を占めるアジア・アフリカ諸国の意見が反映されにくい。③世界情勢との乖離:国連創立から約80年が経過し、日独のような経済大国やインド・ブラジルのような急成長国の意見が反映されづらい。これらの問題に対処するため、安保理の拡大や常任理事国の拒否権行使の制限などが必要と指摘されている。
人間の安全保障とSDGs
1990年代半ばに登場した「人間の安全保障」という概念は、安全保障の対象を国家から個人へと転換する画期的な視点を提示した。紛争・人権侵害・貧困・感染症・テロ・環境破壊といった地球規模の諸課題に幅広く対応し、国際社会の取り組みを方向付ける概念として定着している。
人間の安全保障とSDGsの展開
難民問題はその象徴的な事例だ。2022年末時点で国内避難民なども合わせた難民の数は1億人を超えており、かつてない規模の人道危機が続いている。1990年代の国際会議で採択された国際開発目標は、2000年の「国連ミレニアム宣言」を経て「持続可能な開発目標(SDGs)」へと発展した。SDGsは持続可能で多様性を重視し、誰も排除しない社会の実現を目指す。これは単なるスローガンではなく、各国政府・企業・市民が取り組むべき具体的な目標として機能しており、日常の生活や企業活動の場でも広く参照されている。
ウクライナ紛争と安保理の機能不全
2022年のロシアによるウクライナ侵攻は、安保理の構造的問題を世界に鮮明に示した。国連総会はロシアの侵攻を非難し、ロシア軍の撤退を求める決議を採択したが、安保理ではロシアが常任理事国として拒否権を行使するため、実効的な対応がとれない。国際社会が侵略と認識する行為を止める手段が安保理には存在しないという現実が、改めて浮き彫りになった。
まとめ
国家安全保障の歴史は、力による均衡から集団的な制度による平和維持へという流れとして理解できる。勢力均衡は戦争を抑止しようとしながらも軍拡競争と戦争拡大のリスクを内包し、国際連盟は集団安全保障の理念を示したが構造的欠陥によって機能しなかった。国連はその教訓を踏まえて設計されたが、大国一致の原則と拒否権という現実的妥協の産物でもある。PKOは制度の隙間を埋める実践として発展し、安保理改革の議論は今も続いている。人間の安全保障やSDGsという概念は、安全保障の対象を国家から人へと広げ、地球規模課題への協力を促す新たな枠組みを提示した。国際社会の平和はいかにして維持されるべきか、そしてそのために日本は何ができるか、問い続けることが重要だ。