第9章 国際政治の動向と課題

39_国家安全保障と国際連合

国家安全保障と国際連合

以前の国家安全保障と勢力均衡政策

ここでいう「以前」とは、第一次世界大戦前の時代を指す。この時代には、国際連盟のような国際機関は存在せず、各国は自分たちの力と同盟関係によって安全を守ろうとしていた。

つまり、国家安全保障は、国どうしの関係の中で成り立っていたのであり、共通のルールや機関によって維持されていたわけではなかった。


勢力均衡(バランス=オブ=パワー)

第一次世界大戦前の国家安全保障の中心にあったのが、勢力均衡(バランス=オブ=パワー)という考え方である。

これは、ある国や同盟が一方的に強くなりすぎないように、他の国々が力を合わせて「力のつり合い」を保とうとする仕組みである。諸国家は、しばしば利害を共有する国家と同盟を結ぶことで、安全を確保しようとした。

たとえば、ある国が軍備を増強すれば、周囲の国も軍備を拡張する。また、ある国が同盟を結べば、それに対抗する別の同盟が生まれる。こうして、別の同盟に対抗して軍備拡張や同盟を結成することで、勢力の均衡を保とうとした。

なぜこのような方法がとられたのか。それは、当時の国際社会では「自国の安全は自国で守る」という考えが基本であり、共通の国際的な安全保障制度がなかったからである。したがって、他国の力が強まれば、自国も対抗して強くならなければならないと考えられた。

しかし、この仕組みには大きな問題があった。軍備拡張競争や国際的緊張を招きやすいことである。お互いに不信感をもちながら軍備を増やしていくため、緊張が高まりやすくなる。

さらに、いったん戦争が始まると、同盟関係によって戦争が拡大しやすいという特徴があった。一国どうしの衝突であっても、同盟国が次々と参戦することで、大規模な戦争へと発展してしまう。

第一次世界大戦は、その典型例である。勢力均衡によって安全を保とうとした結果、かえって大規模な戦争へとつながり、勢力均衡政策は破たんしたのである。


国際連盟と集団安全保障

第一次世界大戦の反省から、「力のつり合い」によって平和を保つやり方を見直そうという動きが生まれた。戦争を防ぐためには、特定の同盟ではなく、国際社会全体で協力する仕組みが必要だと考えられたのである。

その結果つくられたのが、国際連盟であり、その考え方の中心にあったのが「集団安全保障」である。


国際連盟の創設と平和原則14ヵ条

1918年、アメリカ大統領ウィルソンは「平和原則14ヵ条(14ヵ条の平和原則)」を提唱した。その第14条で、国際平和を守るための国際機関の設立が示された。

翌1919年、パリ講和会議で調印されたヴェルサイユ条約の中に国際連盟規約が定められ、国際連盟が発足した。本部はジュネーヴに置かれ、常任理事国はイギリス・フランス・日本・イタリアであった。

このように、第一次世界大戦後の新しい国際秩序を支える中心的な組織として、国際連盟は誕生した。


集団安全保障の内容

集団安全保障とは、加盟国が武力を用いないことを約束し、平和を乱す国家に対しては、すべての加盟国が協力して制裁を加えるという仕組みである。

それまでの勢力均衡では、特定の同盟が相手をけん制していた。しかし集団安全保障では、「侵略は国際社会全体に対する脅威である」と考え、どの国であっても侵略が起きれば、加盟国全体で対応するという立場をとった。

なぜこのような仕組みが必要とされたのか。それは、同盟どうしの対立が第一次世界大戦を拡大させたという反省があったからである。特定の同盟に頼るのではなく、国際社会全体で侵略を防げば、大規模な戦争を防げると考えられた。

国際連盟の問題点

しかし、国際連盟にはいくつかの大きな問題があった。

第一に、武力行使を完全に禁止したわけではなく、侵略国の認定や制裁の実施を各加盟国の判断に委ねていた。そのため、迅速で統一的な対応をとることが難しかった。

第二に、制裁としては主に経済制裁が規定されていたが、軍事的制裁の制度的な規定はなかった。つまり、侵略を実力で止める仕組みが整えられていなかった。

第三に、全会一致制が採られていたことである。重要な決定は加盟国すべての同意がなければ成立しなかった。そのため、反対する国が一つでもあれば決定できないという構造になっていた。さらに、侵略を行った当事国も理事会に参加していたため、強い制裁に同意しない可能性が高かった。結果として、迅速で厳しい対応をとることが制度上きわめて難しかった。

加えて、提唱国であるアメリカがモンロー主義の立場から参加せず、ソ連の関与も限定的であり、日本・ドイツ・イタリアが脱退したことによって、組織の実効性はさらに弱まった。

このように、侵略を止める仕組みが十分でなかったことが、最終的に第二次世界大戦を防げなかった大きな要因となった。


国連による集団安全保障体制

第二次世界大戦後、国際連盟の失敗をふまえて、より実効性のある国際平和機構として国際連合(国連)が設立された。

国際連盟では、軍事的制裁の規定がなく、全会一致制のために強い対応がとれなかった。そこで国連では、「侵略を実際に止められる仕組み」を制度として整えることが目指された。


国連成立の歴史

1941年、アメリカのフランクリン・ローズヴェルト大統領とイギリスのチャーチル首相は、大西洋憲章を発表した。ここで、戦後に新しい国際平和機構を設立する構想が示された。

その後、1944年のダンバートン=オークス会議で国連憲章の原案が作成された。さらに1945年のヤルタ会談では、安全保障理事会で大国一致方式をとることが決められた。そして同年のサンフランシスコ会議で国際連合憲章が採択され、国連が正式に発足した。

このように、国連は第二次世界大戦のさなかから計画され、大戦終結とともに発足した組織である。


国連憲章と強制措置

国連憲章は、国際平和と安全の維持を最も重要な目的としている。そのほかにも、民族自決にもとづく友好関係の促進、経済的・社会的・文化的・人道的問題の解決、基本的人権の尊重などが掲げられている。

国連憲章では、紛争解決の方法を段階的に定めている。

第6章では、話し合い・仲裁・調停などによる平和的解決が規定されている。まずは武力を用いずに解決することが原則である。

それでも解決しない場合、第7章にもとづき、経済制裁や外交関係の断絶などの非軍事的措置がとられる。さらに必要があれば、軍事的措置も可能とされている。ここが国際連盟との大きな違いであり、国連では軍事的強制措置が制度として認められている。

ただし、正規の国連軍(UNF)はこれまで一度も実際に結成されていない。1991年の湾岸戦争などでは、多国籍軍が組織されて対応した。


安全保障理事会と拒否権

国連の集団安全保障の中心となるのが、安全保障理事会(安保理)である。安保理は、国際の平和と安全の維持に主要な責任を負う機関である。

安保理は、アメリカ・イギリス・フランス・ロシア・中国の5常任理事国と、任期2年の10非常任理事国で構成されている。実質事項の採択には、常任理事国を含む9か国以上の賛成が必要である。

常任理事国には拒否権が認められている。これは、5か国のうち1か国でも反対すれば決議が成立しないという仕組みである。

なぜこのような制度が採用されたのか。それは、第二次世界大戦の勝戦国である大国を制度の中にとどめ、国際機構を機能させるためであった。大国の協力がなければ、実効性ある集団安全保障は成り立たないと考えられたのである。

しかし、冷戦期にはアメリカとソ連が対立し、拒否権が頻繁に行使された。その結果、強制措置がとれない場面も多かった。

このように、国連は国際連盟より強い制度を持ちながらも、大国一致の原則という新たな制約を抱えることになった。


自衛権と同盟のジレンマ

国連は集団安全保障を制度として整えたが、それでもすべての武力行使が禁止されたわけではない。国際法上、例外として認められているのが自衛権である。

ここでは、自衛権の内容と、それに関連する「同盟のジレンマ」について整理する。

個別的自衛権と集団的自衛権

自衛権とは、武力攻撃を受けた場合に、自国を守るために武力を行使できる権利である。国連憲章でも、自衛権は例外的に認められている。

自衛権には二つの形がある。

一つは個別的自衛権である。これは、自国が攻撃を受けたときに、自国自身が防衛する権利である。

もう一つは集団的自衛権である。これは、同盟を結んでいる国が攻撃を受けた場合に、その国を助けるために武力を行使する権利である。

原則として、国際社会では武力行使は禁止されている。しかし、自衛の場合に限っては例外として認められている。この点が、集団安全保障と自衛権の関係を理解するうえで重要である。

1996年には、極限状態での自衛のための核兵器使用が国際法上許されるかどうかが国際司法裁判所(ICJ)で審理された。ICJは、一般的には核兵器の使用は国際法に反するとしながらも、国家の存亡がかかる極限状態での使用については最終的な結論を示さなかった。


同盟のジレンマ

自衛権と深く関わるのが同盟である。国家は安全を高めるために同盟を結ぶ。しかし、同盟には「同盟のジレンマ」と呼ばれる問題がある。

一つは「見捨てられるリスク」である。同盟国が約束どおり助けてくれない可能性である。この不安があるため、各国はより強い結びつきを求めようとする。

もう一つは「巻き込まれるリスク」である。同盟国が起こした紛争に、自国も参戦せざるをえなくなる可能性である。

つまり、同盟を結ぶと安全は高まるが、同時に新たな危険も生まれる。安全を確保しようとする行動が、別の形で不安定さを生むという点で、勢力均衡の時代とも共通する側面がある。

このように、集団安全保障のもとでも、自衛権と同盟は国家安全保障の重要な要素であり続けている。


PKOと平和構築

国連は、武力による強制措置だけでなく、紛争が拡大しないように現地で平和を維持する活動も行ってきた。それがPKO(平和維持活動)である。

ここでは、PKOの成立と内容、そして冷戦後の変化について整理する。


PKOの成立と特徴

PKOは、冷戦期に生まれた活動であり、「国連憲章6章半活動」とも呼ばれてきた。これは、第6章(平和的解決)と第7章(強制措置)の中間的な性格をもつためである。

PKOは、紛争当事国の要請と同意を前提として行われる。国連が一方的に介入するのではなく、当事国が受け入れることが条件となる。

主な任務は、停戦の監視や、兵力の引き離し、非武装地帯の維持などである。停戦監視団や平和維持軍(PKF)が派遣され、武力の再発を防ぐ役割を担う。

ここで重要なのは、PKOは戦闘を行うことを目的としないという点である。あくまで「平和を維持する」ことが中心である。


PKO原則

PKOにはいくつかの基本原則がある。

まず、加盟国が自発的に人員や資金を提供するという任意原則である。国連が強制的に部隊を集めるのではなく、各国の協力によって成り立っている。

次に、紛争当事国の同意を得て活動するという同意原則である。国連が一方的に介入するのではなく、受け入れが前提となる。

さらに、どちらか一方に味方せず、公平な立場を保つという中立原則がある。

また、武器の使用については自衛原則がある。原則として武力は行使しないが、自衛のための最小限の武器使用は認められている。

これらの原則によって、PKOは軍事介入とは異なる形で平和維持を行ってきた。


冷戦後の平和構築

冷戦終結後、国際紛争の形が変化した。国家間戦争だけでなく、内戦や民族対立が増加した。

その結果、PKOの任務も複合化した。停戦監視だけでなく、元兵士の武装解除や動員解除、社会復帰支援、選挙支援、人権の保護、文民の保護などが求められるようになった。

こうした活動は「平和構築」と呼ばれる。単に戦闘を止めるだけでなく、再び紛争が起きない社会をつくることを目指すものである。

このように、PKOは冷戦期の限定的な活動から、冷戦後にはより幅広い国際協力へと発展してきた。


国連の活動と国際協力

国連は、安全保障だけでなく、経済・社会・人権など幅広い分野で国際協力を進めている。ここでは、主要な機関とその役割を整理する。


主要機関

まず、総会はすべての加盟国が参加する機関であり、一国一票の原則にもとづいて意思決定を行う。一般事項は過半数、重要事項は3分の2以上の賛成が必要である。総会の決議には法的拘束力はないが、国際世論を示す意味をもつ。

次に、安全保障理事会は、国際の平和と安全の維持に主要な責任を負う機関である。強制措置の決定など、実効性のある対応をとる権限をもつ。

経済社会理事会は、経済・社会・文化・教育・衛生などの分野で国際協力を進める機関である。任期3年の54理事国で構成され、専門機関やNGOとも連携する。

国際司法裁判所(ICJ)は、国家間の国際法上の紛争を解決する司法機関である。裁判を行うには、紛争当事国双方の付託が必要である。裁判官は15名で、任期は9年である。

事務局は、国連全体の運営を担う行政機関であり、事務総長がその長となる。


専門機関と関連機関

国連は、安全保障だけでなく、経済や社会、人権、環境など幅広い分野で国際協力を進めている。その具体的な活動を担っているのが、専門機関や関連機関である。これらは、それぞれの分野に特化しながら、国際社会全体の安定と発展を支えている。

たとえば、ILO(国際労働機関)は、労働条件の改善や労働者の権利の保護を目的としている。劣悪な労働環境は社会不安や貧困の原因となるため、働く人の権利を守ることは安定した社会をつくる基盤となる。

FAO(国連食糧農業機関)は、食料不足や飢餓の問題に取り組み、農業の発展を支援している。食料の確保は人々の生活の基本であり、食料危機は国家や地域の不安定化につながるため、重要な役割を果たしている。

UNESCO(国連教育科学文化機関)は、教育・科学・文化の分野で国際協力を進める機関である。教育の普及や文化遺産の保護を通じて、国どうしの理解を深めることを目指している。世界遺産の登録もその活動の一つである。

WHO(世界保健機関)は、感染症対策や医療体制の整備など、公衆衛生の向上を目的としている。感染症は国境を越えて広がるため、一国だけでは対応できない。2020年には新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の世界的大流行(パンデミック)を宣言し、国際的な連携を呼びかけた。

IBRD(国際復興開発銀行)は、発展途上国の経済発展を支援するための融資を行う機関である。インフラ整備や教育、医療への投資を通じて、長期的な経済成長を支える役割を担う。

IMF(国際通貨基金)は、国際通貨体制の安定を目的とする機関である。通貨危機や財政危機に直面した国に資金支援を行い、国際経済の混乱を防ごうとする。

WIPO(世界知的所有権機関)は、特許や著作権などの知的財産権を国際的に保護する枠組みを整えている。技術革新や文化活動を支える制度を整えることで、経済発展を後押ししている。

また、関連機関として、UNCTAD(国連貿易開発会議)は、発展途上国が国際貿易の中で不利にならないよう、政策提言や調査を行っている。貿易の仕組みが不公平であれば、国どうしの格差は拡大するため、その是正を目指している。

UNICEF(国連児童基金)は、子どもの保健、教育、生活環境の改善に取り組んでいる。子どもの権利を守ることは、将来の社会の安定にもつながる。

UNDP(国連開発計画)は、貧困の削減や持続可能な開発を支援する中心的な機関である。単に経済成長だけでなく、人々の生活水準や教育、健康の向上を重視し、『人間開発報告書』で人間開発指数(HDI)を公表している。

UNEP(国連環境計画)は、地球温暖化や生物多様性の減少などの環境問題に国際的に取り組む機関である。環境問題は一国だけでは解決できないため、国際的な協力が不可欠である。

UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)は、紛争や迫害によって国を追われた難民の保護と支援を行っている。難民問題は人道的課題であると同時に、国際的な安定とも深く関わっている。

このように、国連は軍事的な安全保障だけでなく、人々の生活や人権、経済、環境といった幅広い分野で国際協力を進めている。これらの活動は、平和を支える土台として重要な意味をもっている。


国連改革と現代の課題

冷戦終結後、国連の活動は大きく広がった。東西対立が緩和されたことで、安全保障理事会が機能しやすくなり、地域紛争への対応やPKOの拡大など、積極的な役割を果たす場面も増えた。

しかしその一方で、国連の制度そのものが現在の国際社会に十分対応できているのかという問題も指摘されている。ここでは、安全保障理事会の構成、拒否権の問題、そして国連が抱える構造的課題について整理する。


安全保障理事会の構成問題

安全保障理事会の常任理事国は、アメリカ・イギリス・フランス・ロシア・中国の5か国である。この構成は、第二次世界大戦後の国際秩序を反映したものである。

しかし、国際社会の勢力分布は戦後から大きく変化している。経済規模や人口、地域的影響力の点で重要な役割を果たす国々が増えているにもかかわらず、常任理事国は拡大されていない。そのため、「現在の世界を十分に代表していないのではないか」という批判がある。

とくに、アジア・アフリカ・中南米などの地域からは、自分たちの声が十分に反映されていないという不満がある。2005年には、日本・インド・ドイツ・ブラジル(G4)が常任理事国入りを求めて改革案を提示したが、常任理事国の同意が必要であるため、実現には至っていない。

このように、安保理の構成は国際社会の変化に対して固定的であり、それが改革の難しさにもつながっている。


拒否権と実効性の問題

安全保障理事会では、常任理事国が拒否権をもつ。これは、第二次世界大戦後に大国を国際機構の中にとどめ、制度を維持するために設けられたものである。大国が反対する決定を無理に押し通せば、組織そのものが崩れる可能性があると考えられたからである。

しかし、拒否権は同時に安保理の実効性を制限する要因にもなっている。常任理事国の一国でも反対すれば、強制措置を含む重要な決議は成立しない。

2022年のロシアによるウクライナ侵攻では、国連総会がロシアを非難し撤退を求める決議を採択した。一方で、安全保障理事会ではロシアが拒否権を行使したため、強制措置をとることはできなかった。

この事例は、拒否権が大国の参加を確保する制度であると同時に、大国が当事者である場合には機能しにくいという矛盾を示している。


国連が抱える構造的課題

現在の国連には、制度の成り立ちそのものに由来する課題がある。

安全保障理事会では、常任理事国だけが拒否権をもっている。この仕組みは大国を国連の枠組みにとどめるために設けられたが、その結果、加盟国のあいだに制度上の権限の差が生まれている。国家は主権のうえでは平等であるとされるが、安保理の決定においては常任理事国が特別な立場を占めている。

また、常任理事国の構成は第二次世界大戦直後の国際秩序を反映したものであり、特定の地域に偏っている。アフリカや中南米には常任理事国が存在せず、現在の世界の人口や経済規模、地域バランスを十分に反映しているとは言いがたい。そのため、国際社会の変化と制度のあいだにずれが生じているという指摘がある。

さらに、国際社会が直面する課題そのものも変化している。新興国の台頭、地域紛争の多様化、テロや環境問題、感染症の拡大など、国家間戦争だけではない複雑な問題が増えている。しかし、国連の基本的な枠組みは第二次世界大戦後に作られたものであり、こうした新しい課題に十分対応できているのかという問いが生じている。

このように、国連は国際連盟よりも強い制度を備えているが、制度の設計と現在の国際社会とのあいだに課題を抱えている。国家安全保障の仕組みは発展してきたものの、国際平和を確実に維持できる完全な制度が完成したわけではないのである。

国際平和の維持には、制度の整備だけでなく、加盟国が共通の責任を自覚し、協力して行動することが不可欠である。


まとめ

第一次世界大戦前の国家安全保障は、勢力均衡によって成り立っていた。しかし、軍備拡張競争と同盟の連鎖は、かえって戦争を拡大させる結果となった。

その反省から国際連盟による集団安全保障が試みられたが、軍事的制裁の制度がなく、全会一致制のもとでは侵略を止める力が十分ではなかった。

第二次世界大戦後に成立した国際連合は、軍事的強制措置を制度として整え、安全保障理事会を中心とする体制を築いた。しかし、拒否権や構成の固定化という問題を抱え、現在も改革が課題となっている。

このように、国家安全保障の仕組みは発展してきたが、どの時代にも制度の限界が存在してきた。国際平和の維持は、制度だけでなく、それを支える各国の協力と責任にかかっている。